週刊てのひら怪談

2007年2月、字数制限800字の文学賞「ビーケーワン怪談大賞」から生まれた作品集が『てのひら怪談』として発売され、たちまち話題となり、その夏に開催された第5回の同賞は、質量ともに前年までを大きく上まわる活況を呈した。
2007年12月、第5回の応募作663編の中から選りすぐられた作品が、『てのひら怪談2』として早くも発売された。ここでは、その『てのひら怪談2』収録作家たちが新たに書き下ろした渾身の一作を、週替わりで2編ずつお送りしていきます。
800字怪談の精鋭が腕を競う『対の妖(ついのあやかし)』の諸相を、ご堪能ください!

弁天池にて

 この場所の怖い話はないかと聞くと、真っ黒な顔のおじさんは「ないね」と答えた。
 「大正十五年かな、ここが出来たのは……。今は浅草の六区にある会社の社長が管理してるんだよ。あの菊の花束なんか、ひと束五千円もするんだ。それを月に二回、腰の低い人なんだ。蝋燭も線香もみんなその社長が寄付してるんだよ。段ボール敷いてると、こんなところに寝てんなって一喝されて、小遣い持たせてくれるんだなあ……」
 寒さの堪(こた)える夜だった。木枯らしが吹きすさび、供養塔にある黄色く染まった銀杏の葉はほぼ落ちかけて、雨上がりの石畳の上一面にはらはらと散っていた。
 小さく残った池の水を循環する濾過ポンプの音が静かに響いている。
 私はポケットの財布から五百円玉を取り出して、それを手渡した。
 「少ないけど一杯やって。今晩寒いからさ」

 「夜になると泣くんだよ、ここの観音様……」
 おじさんは、供養塔の上の観音像をそうっと指差した。
 「本当だよ。何回かここで寝た事あるんだけど、夜中に目覚めてふっと見ると……。昼間と違う顔して悲しそうに泣いてやがる。まあ、ここで遊女ばかり四百人くらい亡くなってるっていうからさあ、念ってやつが残ってんだろね……」

 怖くないのと尋ねると、「明日のまんまの事の方が心配だよ」とおじさんは笑った。

プロフィール

矢内りんご(やない・りんご)
実家の氏神が安倍晴明という、生まれつき怪と腐れ縁という悲しい宿命を持ち、クトゥルーと怪談と伝奇ホラーをこよなく愛すオカルトかぶれ。最近フォースを習得したくてヨーダ人形を入手しました。

あひるの夜

 まっすぐ帰宅する気になれず、終電を見送った私は駅二つ分の道のりを歩いて帰っていた。
 コンビニで遅い晩御飯を買い、寝静まった住宅地を歩いていると、どこからかアヒルの鳴き声が聞こえてくる。
 なんて寂しそうな鳴き声だろう。私はその声に誘われるように、住宅に挟まれる小さな公園に入った。
 中には遊具が一つもなく、柵で囲われた池と木製のベンチが一つだけ。ベンチの横には街灯が寄り添い、それが唯一の光源だったが、群がる蛾や羽虫のせいで、せっかくの灯も仄暗い。池の中央には地蔵に似た形の小さな像があり、灯明かりの届かぬ薄闇に浮かんでいるように見える。その周りをアヒルの影がぐるぐると周っている。
 アヒルがガァと鳴く。つられて私の腹がグゥと鳴った。ここで晩御飯を食べよう。どうせ帰っても一人侘しい食事だ。
 先ほど買った卵サンドを齧るが喉に入っていかない。腹の中は空っぽのはずなのに――。
 アヒルが寄ってきて、嘴で柵をコツコツと叩く。パンを千切って投げてやると、池の水が激しく波立ち、水面に浮かぶ街灯の光が散る。今度はパンを持った手を柵の中に伸ばす。するとアヒルの影がすーっと近づいてきて、パンではなく服の袖を引っ張る。余りに強く引くので、放っておけば私が池に落ちてしまいそうだった。
 悪ふざけが過ぎるので、「こらっ、だめよ」と叱ると、アヒルは短く鳴いて、腕を解放してくれた。――素直な子だったんだ。
 もうこれ以上、ここにはいられない。寂しそうに鳴くアヒルの声を背に、私は泣きながら公園を飛び出した。
 どうしてそんな声で呼ぶのだろう。私は数時間前に、母親を放棄した人間なのに――。
 空っぽの腹が、赤ん坊のゲップのようにガァと鳴った。

プロフィール

黒史郎(くろ・しろう)
今年こそナマハゲ伝道師認定試験を受けたい三十二歳。
黒ナマハゲになれたらいいな。

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