コンコンと墨のような水が、壊れたあの石の台から湧き出ている。あたりにはあの時の臭いが立ちこめていた。
二人だけで海のほうに行ってはダメよ、引っ越しの車の中でお母さんは言った。行けるわけないよ、僕と弟は答えた。今度の家は埋立て地にあるから海が近いの、とお母さんは続けて言ったが、初めて行く土地のことなんか知っているはずないじゃんと思った。だから僕と弟は引っ越しの邪魔にならないよう、家のそばの空き地でキャッチボールをした。奥の方に、細長い石の台がある空き地だった。
僕の投げたボールが大きく弟の上を超えて、石の向こう側に落ちた。弟は石の上に飛び乗って、拾うね、といって飛び降りた。ばちゃん、と大きな水飛沫が上がって少し僕にかかった。あたりには嗅いだことのない臭いが立ちこめた。何だよ今の、と弟の降りたあたりを見たけど、弟はいなかった。
それ以来、弟はいなくなった。
結局、僕と弟は二人で海に行って、弟は海に落ちたんだろうということになった。僕たちはすぐまた別の土地に引っ越した。
僕は今日、弟のことが知りたくてあの石の台のある空き地に行った。ちょうど駐車場にする工事をしていて、あの石の台は取り壊されるところだった。こちら側からショベルカーで石の台を崩した瞬間、プンッとしたあの臭いを僕の鼻が嗅いだ。ショベルカーが止まった。工事の人があたふたしている。なんだか悲鳴も聞こえてきた。「水だ!」「黒い水!?」「いや、海水か?」声が聞こえたとき、僕は駆け出した。
半分壊れた石の台の向こう側から、黒い水がコンコンと勢い良く湧き出ていて、下に大きな水たまりを作っていた。漏れ出る水に目を凝らすと、弟のグローブが黒い水とともにこちら側に出かかっていた。



