週刊てのひら怪談

2007年2月、字数制限800字の文学賞「ビーケーワン怪談大賞」から生まれた作品集が『てのひら怪談』として発売され、たちまち話題となり、その夏に開催された第5回の同賞は、質量ともに前年までを大きく上まわる活況を呈した。
2007年12月、第5回の応募作663編の中から選りすぐられた作品が、『てのひら怪談2』として早くも発売された。ここでは、その『てのひら怪談2』収録作家たちが新たに書き下ろした渾身の一作を、週替わりで2編ずつお送りしていきます。
800字怪談の精鋭が腕を競う『対の妖(ついのあやかし)』の諸相を、ご堪能ください!

優しき球体

 「最近、調子が悪いのよ」
 そう言って検診に向かった母は、そのまま入院を余儀なくされた。
 事実を伝えられないまま、看病をしていると、母がポツリ、「癌なのね?」と呟いた。

 積極的な治療を拒んで帰宅した母に、私ができることは、遠からず訪れる最後の時まで、一緒に過ごすくらいだろう。
 数ヶ月の間、痛みも無く、酸素吸入も必要としなかったが、こけた頬や枯枝のような指は、病の進行を如実に示していた。浅い寝息の聞える布団の隣で、逃げ出したいという衝動を必死に堪えていると、不意に母の目が開く。
 弱弱しい口調で語られたのは、弟の話だった。産まれ出る寸前に、胎内で生涯を閉じたもう一人の我が子。病室の扉の隙間から赤ん坊に用意していた名を呼び、泣き崩れていた姿を、子供心に憶えている。

 母は折に触れ、弟は今もすぐ傍にいるのだと言う。それは寂しさを埋める為の願望というより、ある種の確信を含んでいた。何故そんな風に思えるのか、私には分からなかった。
 だが、幾度も相対してきた母の顔に、答えは常在していたのだ。

 年の暮れに母は逝った。線香花火のように、ふっと。握り締めた手は、まだ微かに暖かかった。
 あの日、瞳の中に佇んでいた、私に良く似た誰かを思い出す。きっと、二人で旅立ったのだろう。
 心の奥底からは、悲しみが波のように押し寄せてきたが、ずっと母の眼球に住み続けられた弟のことを考えると、少しだけ羨ましかった。

プロフィール

長谷部弘明(はせべ・ひろあき)
怪談を幾つも書いて今更と言われてしまうかもしれませんが、以前は怪談など恐ろしくて反射的に耳を塞いでいた頃もありました。が、最近は恐ろしい話を読み、書くことが快感になっております。一種の成長でしょうか?

母のとむらい

 突然の怒鳴り声に、葬儀のしめやかさが破られる。刈りたての茶色い坊主頭を床にこすりつけて土下座する若い男と、紅潮した顔で場にそぐわぬ大声を張り上げる初老の男。ぼくはどうしても、彼らを「父」「祖父」と呼ぶ気にはなれない。
 自分の言葉に陶酔する性質なのか、喚けば喚くほど老人は勝手に激昂して、ますます口汚く罵りだす。娘を喪った父親の怒りとはもはや呼べない、ただのヒステリックな罵詈雑言だ。
 じっと頭を下げて耐えていた若い男が、不意にばね仕掛けのように立ち上がり、老人の胸倉に掴みかかる。膳がひっくり返り、こぼれた日本酒が、垢じみた畳に染みこんでいく。
 いいぞ、もっとやれ。そう口にすれば、すこしはこの状況をおもしろがれるかと、わざとシニカルにつぶやいてみる。でも、佐智子さんが両手で顔を覆う姿が目に入り、ぼくの薄笑いはいっぺんにかき消えてしまう。
 佐智子さんは母の姉で、母のたった一人の味方でもあった。彼女の歌う古い子守唄が、ぼくは大好きだった。出るはずのない涙のかわりに、黄色い臭いのする水がこみ上げ、喉が焼けるように痛む。こらえきれずしゃがみこんだぼくは、抱えたひざこぞうに顔を押し当て、目も耳も、かたく閉ざす。
 目を開けると、隣に母がいた。フリルの沢山ついたスカートの裾をぎゅっと掴んで、うつむいたまま、かぼそい声でぼくに言った。
 「ごめんね、産んであげられなくて」
 こんな世界、産まれてこなくてホッとしてるよ――そう答えようとしたけれど、皮肉に聞こえそうなので、黙って母の手を握った。佐智子さんの手とそっくりな肌ざわりだ。西陽の射しこむ病室で、あの古い子守唄を口ずさみながら、ぼくを身ごもる母のお腹をそっと撫でていた、あの手と同じ。
 「ねえ」ぼくは思い切って母に尋ねてみた。
 「お母さんもあの唄、歌える?」

プロフィール

間倉巳堂(まぐら・みどう)
年末に買ったドラえもん全巻(てんとうむしコミック45巻+未収録作品集全5巻)をようやく読破。勢いで21エモンと、大長編ドラえもん初期10作も読みました。藤子Forever不二雄。

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