「最近、調子が悪いのよ」
そう言って検診に向かった母は、そのまま入院を余儀なくされた。
事実を伝えられないまま、看病をしていると、母がポツリ、「癌なのね?」と呟いた。
積極的な治療を拒んで帰宅した母に、私ができることは、遠からず訪れる最後の時まで、一緒に過ごすくらいだろう。
数ヶ月の間、痛みも無く、酸素吸入も必要としなかったが、こけた頬や枯枝のような指は、病の進行を如実に示していた。浅い寝息の聞える布団の隣で、逃げ出したいという衝動を必死に堪えていると、不意に母の目が開く。
弱弱しい口調で語られたのは、弟の話だった。産まれ出る寸前に、胎内で生涯を閉じたもう一人の我が子。病室の扉の隙間から赤ん坊に用意していた名を呼び、泣き崩れていた姿を、子供心に憶えている。
母は折に触れ、弟は今もすぐ傍にいるのだと言う。それは寂しさを埋める為の願望というより、ある種の確信を含んでいた。何故そんな風に思えるのか、私には分からなかった。
だが、幾度も相対してきた母の顔に、答えは常在していたのだ。
年の暮れに母は逝った。線香花火のように、ふっと。握り締めた手は、まだ微かに暖かかった。
あの日、瞳の中に佇んでいた、私に良く似た誰かを思い出す。きっと、二人で旅立ったのだろう。
心の奥底からは、悲しみが波のように押し寄せてきたが、ずっと母の眼球に住み続けられた弟のことを考えると、少しだけ羨ましかった。


