あれも幽霊画と言っていいのだろうか。両親に連れられて行った展覧会で、不思議な光景を目にしたことがある。
大きさも色彩も似たり寄ったりな絵画の群れにすぐに飽きてしまった私は、大人たちが長たらしい挨拶を交わしている隙に会場の裏手に忍び込んだ。正面の作りこまれたような清潔さとは正反対の、乱雑な景色と薄暗く冷えた空気を堪能していると、柱の陰になった壁に一枚だけ絵がかかっているのに気づいた。近づいて覗いた額縁の中では、潤んだ目をした若い女性がこちらを見据えており、今にも何か話しはじめそうに思えた。先ほど陳列されていたどれよりも素晴らしい絵だということが分かると同時に、なぜこれが表に飾られていないのかと不思議に感じて眺めていると、不意に人の気配がし、狼狽した私は咄嗟にテーブルの陰に隠れた。
絵の前に立ったのは若い男性だった。描かれた女性とどことなく面差しが似ているようで、その悲しげな表情から彼女が今はもう亡き人なのだということが読み取れた。彼は何か光るものを手にしており、絵に翳して一心に動かしはじめた。すると、額の中からさらりと黒い束が床へと零れ落ちた。鋏だ。男性が鋏を使う度、絵の中の女性の髪が切り落とされていく。そこだけが磨かれた床にわだかまった黒い塊は、青ざめた電灯の光を受けてきらきらと輝いている。流れるような黒。彼が髪を切り終え、絵に向かって手を合わせてから床を掃き清めて出て行くまで、視線が吸いよせられ一瞬たりとも逸らせなかった。そのことに気づいたのは、慌てて探しにきた母に肩を揺すぶられている最中。手足が凍りついたように固まっているのが分かってからだ。
以来、理想の男性像を尋ねられたら「死んでからも私の髪を切ってくれるひと」と答えるようにしているが、残念ながらまだそういう人物には巡り逢っていない。


