<ゲスト>茂木健一郎:前編

少女漫画を代表する描き手といえば、この方、萩尾望都さん。
際立ったアイデアと世界観、詩的なネーム、確かな画力に裏打ちされた美しい絵柄で、少女漫画の地平を広げてきました。
この連載では、萩尾さんの描くSF作品を中心に、第一線で活躍する科学者の方々とお話していただきます。
連載第1回目のゲストは「クオリアの脳科学者」茂木健一郎さん。専門分野のみならず、現代美術をはじめ、さまざまな領域の表現とかかわりを持ちつつ活躍なさっている茂木さんにとって、「少女漫画体験」とは、どのようなものだったのでしょうか。
茂木健一郎(もぎけんいちろう):1962年東京生まれ。
脳科学者。〈クオリア〉(意識のなかで立ち上がる、数量化できない微妙な質感)をキーワードとして、脳と心の関係を探求し続けている。文芸評論、美術評論に取り組むなど、活躍の場を広げている。
現在、ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、東京工業大学大学院客員助教授(脳科学、認知科学)、東京芸術大学非常勤講師(美術解剖学)。その他、東京大学、大阪大学、早稲田大学、聖心女子大学などの非常勤講師もつとめる。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現職。
主な著書に『脳とクオリア』(日経サイエンス社)、『生きて死ぬ私』(徳間書店)『心を生みだす脳のシステム』(NHK出版)、『意識とはなにか--<私>を生成する脳』(ちくま新書)、『脳内現象』(NHK出版)、『脳と仮想』(新潮社)、『脳と創造性』(PHP研究所)、『スルメを見てイカがわかるか!』(角川書店、養老孟司氏との共著)、『脳の中の小さな神々』(柏書房、歌田明宏氏との共著)がある。専門は脳科学、認知科学。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに、文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。出井伸之氏の提唱するソニーのQUALIAプロジェクト・コンセプターとしての活動も行っている。

◆ 「私」という境界が揺らぐ感覚

茂木:正直に言いますと、僕は少女漫画をまともに読んだことがなかったんですよ。『マーガレット』とか萩尾さんが連載していた『少女コミック』とか、あえて半径5メートル以内には近づかないように、人生を送ってきたんです。だから今回、萩尾さんの作品を読んで、凄くびっくりしました。
とくに『ポーの一族』(*1)ですね。ふあっと何かが揺らぐ感じ、「私」の境界が揺らぐというのかな? まだ掴めていなくて、上手く言えないんだけど、思考の流れの描き方が凄いと思いました。あとで詳しく話しますが、それは男と女の感じ方の違いじゃないでしょうか。僕は初めて、「ああ、女の人って、こんなふうに世界をとらえているのかな」と、わかった気がしたんです。

萩尾:たしかに女の人に特有なストーリー展開や、見せ方というのはあるから、ある程度違うのかもしれませんね。そうですね、漫画の画面で言うと、男の人が描いたのか女の人が描いたのかは、パッと見て、すぐにわかるのですよ。あ、でも、95%ぐらいが、わかって、5%ぐらいは、わからない、男性とも女性とも、どちらともとれる、画面の描き方ですが、たいていは、判別がつきます。

茂木:どう違うんですか

萩尾:解りやすい違いのひとつは、コマのはみだしの、あるなしです。茂木さんが「ふあっと」と、おっしゃったけど、女の人の作品は境界(枠)が非常に曖昧なのです。特にコマとコマとの境界が、けっこう曖昧で、主人公がいきなりコマをはみ出して等身大で出てきても、アップで出てきても、あんまり読者は驚かない。男性の漫画は、むしろコマからはみだすほうが珍しくて、コマをきちっと割っていきます。

茂木:かっちりしていますよね。

萩尾:手塚治虫さんの時代から、そういう特性を、少女マンガは持っています。男性マンガのキャラが、コマからはみ出すというのは、珍しくて、それは一つの事件です、と、思えるほどです。
ある男の人が「僕は漫画は好きなんだけど、少女漫画はコマからはみだしているから読めない」と言うのを聞いて、「そんなに読みにくいかな?」と思って考えてみたら、一つ、発見したことがあるんです。たとえば少女漫画にはコマからはみだして、隣のコマの町の風景とか、半分隠していても、女性は、隠されている部分の背景を、さらりと想像できる。でも、男の人は、そんな風には、隠されている部分の絵を、想像はできない。男の人はきちっと、絵を切り抜こうとする。だったら、読みにくいだろうなあと。
あと、少女マンガって、ストーリーの他に、余分なモノが、いろいろあるのですね。私はこの頃、良い言葉を思いついて、タカラヅカ的要素、っていうと、ぴったりなのですが。
タカラヅカ、好きなので。ダメかな。なじまないかな。
つまり、女の人は人物を見ながら、着ている服も、背景のムードも楽しもうとする。登場人物がいて、背景では、なにかべつの物語が流れている。あれもこれもと、よくばりです。

茂木:そうそう、萩尾さんの作品を見ると、重層的にいくつもの意味が流れている感じがあって「大変なことが起こっているな」と思いました(笑)。それから『11人いる!』(*2)の場合でも、ハードな問題を扱っているから、男性作家だったら、自我がどうしたとか硬い話になりそうなのに、可愛い美形のキャラクターが出てくるじゃないですか。

萩尾:金髪、巻毛のフロルですね。

茂木:はい、実は未分化で中性の存在だというキャラクターが出てきて、その実在感のほうが、大きな問題よりも印象に残っちゃう。それは凄いことだな、と思って。

萩尾:フロルは、私も描いていて、とても楽しかったです(笑)。

茂木:大きなことを言うと、昔から女性に哲学者は少ないとか言うでしょう。それは結局、男の哲学をやってたからだな、と思うんですよ。僕は脳科学でよく言われる「男と女の脳は違う」という話は、あまり好きではありません。同じ人間じゃないか、と思っているから。ただ、萩尾さんの作品を拝読してみると、ちょっとこれは違うなあ、と思いましたね。

萩尾:そうですか。

茂木:とにかく凄いと思った。凄いというのは、もちろん萩尾さんの作品が少女漫画のなかでも飛びぬけているんだと思いますが、自分にははかりしれない思考プロセスというか、感覚の流れがあって、僕は読んでて眩暈がしてくるんですよね。(同席の編集者を見て)女の方って、萩尾さんの作品を読んで眩暈はしないの?

――眩暈じゃなくて、陶酔します(笑)。

茂木:そうなのか。男はそこで自我をリリースできないんだな。妙な例なんですが、シャーマニズム研究をしている人たちに言わせると、たとえばネイティブ・アメリカンのところへ行って、儀式でキノコとか食べますよね。その時に、どうも男の人の方がバッド・トリップすることが多いんだって。なぜかと言うと、男は抵抗するらしいんですよ。

萩尾:ああ、なるほどね。

茂木:自分を失わないことに拘泥する。そうするとひどいバッド・トリップになるんだけれど、女の人は意外とすぅーっと行けるらしいんだ。
……たとえば、『バルバラ異界』のこのシーンですけどね(*3 2巻74-75p)。キリヤという男の子が、3人の女の子を追いかけてくじゃない。ここの流れがとにかく不思議なんですよ。つまり男の作家だと、「悪い奴を追いかける」という文脈になって、十中八九、対決になるんです。となると、画面でも、はっきりと対象と主人公の位置関係が把握できるようにするんですが、萩尾さんの文法は類型的な善悪の構図じゃなくて、人と人との関係がよくわからない。だから、とても不安にさせるんです。
◆視覚化された女性性

茂木:女性の書いた文学作品ならばいっぱい読んでいるけれど、文字だと気づかなかったのに、絵として視覚化されて初めてわかった感覚がありますね。『スター・レッド』(*4)で言うと、主人公の少女は実は火星人で、髪は白くて目が赤いという設定ですよね。理由はよくわからなくても、「白い髪に赤い目」という造形の中に、何かを強く想像させる、イメージの喚起力がある。普段は髪を染め、コンタクト・レンズで瞳の色も変えているけれど、取ってみると燃えているような赤が隠されているというイメージとか。
単純に二分化するのは問題なんだけど、男ならば「地球人対火星人」という対立か、「火星人は地球人から進化したんだ」という、ストーリーのロジックを追いがちだと、まあ、そういう読み方があるとする。だけど「黒い瞳の下に赤い色が燃えている」というディテールの説得力が凄いと思った。もちろん萩尾さんの場合は、ハードなSFのストーリーにも深く結びついているでしょう。そこが不思議な感じがしますね。

萩尾:うーん、何なんでしょうね。

茂木:ほら、実験用の部屋の中で過ごす少年の話があるじゃないですか。

萩尾:『スロー・ダウン』(*5)ですね、はい。

茂木:「男の哲学」で作ると、「こういうふうになるんだろうな」と予想できる話なんだけど、萩尾さんの作品では、感性が論理の線を逸脱して、洪水のように感性の方がメインになってしまう。そんな瞬間が、何回もありますよね。
『ポーの一族』もそうですね。エドガーとアランをはじめ、美少年同士のやりとりとが、きわどいというか、ちょっとエロティックな雰囲気があるでしょう。ヴァンパイアが血を吸うところとか、『スターレッド』の赤い目に相当する、「萌える」要素が何かあるんですよね。僕にはうまく言えないけど、何か、凄いなぁ。

萩尾:そういう流れを感じるというのは、茂木さんも 「萌える」タイプかもしれませんね。そう、脳ってやっぱり「萌える」のでしょう?だから、神に出会うのでしょう?
わたしも、「萌える」モノに出会って、脳が大洪水になる作品を、書きたいです。また、そういう作品を、読みたいです。

◆ 漫画と「源氏物語絵巻」

茂木:我々が文字を記している部分のまわりには、普通だと余白があります。文字のところでは、一応、意味や論理が通っていて、一方、文字になってない余白の部分、背景になっている世界もある。萩尾さんの作品では、その文字の背景の広大さ、空気感みたいなものが主役になっているという感じがしてしまうんです。
さっきおっしゃってましたよね、漫画では「登場人物があって、背景では何か別のストーリーが流れている」と。登場人物だけを見るんじゃなくて、その背景でもまた別の出来事が起こっているのを読み取る――というのに相当することが、何かあるなぁ、と。だから萩尾さんの『11人いる!』も、ハードSFとしても読めるんだけど、読後感としてはストーリー・ラインの背後にある空気感、世界観といった感覚的なものが中心を占めている感じですよね。
あらすじだけをまとめたら、本質的なものが抜け落ちてしまうと思う。これは他のジャンルでは見たことない気がします。というか、この感じは文字だと表せない、漫画じゃないと表せないんです、きっと。

萩尾:ううん、すごい、そうなんですか。それは、マンガの評論の新しい方法として、見逃せないポイントですね。茂木健一郎著の、漫画はこう読む、誰も知らなかった新しい読み方、なんて本、読んでみたいですねえ。

茂木:そういえばこの前、徳川美術館で、源氏物語絵巻の精巧なコピーを見てびっくりしたんですよ。実は、源氏物語絵巻のことを、ずっと僕はバカにしてたんです。「国宝だなんて、なに言ってやんだい」って。でも、見てみると、本当にきれいなんですねぇ。それも、源氏物語の文字よりも背景が綺麗なのが、素晴らしかった。
教科書にはよく絵の部分が載ってますが、そうではなくて、文字が書かれている部分が、もーのすごく綺麗なんですよ。うっとりするぐらい。本当にびっくりしちゃって。普通、物語というと文字が書いてあるところしか読まなくて、そこの意味で我々は、「桐壷がどうのこうの」とか言ってるんだけど、そうじゃなくて、その文字の後ろにあるキンキラキンの、ススキがあったり花があったりという背景が、むしろ主役っぽいような感じがして。「あー、こりゃ、さすが国宝だな」と思ったんです。萩尾さんの作品には、それに通じるような感じがありますね。

萩尾:書道家の人が言ってたんですが、日本の文字は色紙に書くとき、空間をあけながら文字を書く。書きながら、ちょっと空けたり、空間を斜めに区切っていったりとか、こういう書き方をする文字っていうのは、世界にないんですって。

茂木:ふーん、なるほどなぁ。

萩尾:文字がやっぱり、絵なんですね。だから、ナナメにしても、空間を開けても、ススキがあっても、邪魔じゃなく、絵としてきれいに感じられるんでしょうね。

(後編に続く)

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* 1『ポーの一族』: 永遠に年をとらない「バンパネラ」となった少年、エドガーとアランをめぐる200年におよぶ物語。幾つもの作品が有機的につながりながら、大きな流れを作っていく、少女漫画界の金字塔。
* 2『11人いる!』: 難関をきわめる宇宙大学の入学試験は、実際に宇宙船に乗り込み、受験生だけで数十日を過ごすこと。だが定員は10人のはずなのに、宇宙船には11人が乗り込んでいた……今もなお名作とされるSF作品。
* 3『バルバラ異界』: (小学館)第2巻74−75ページ
* 4『スターレッド』: 火星が流刑地となっている未来の地球。火星を火星人のために取り戻そうとする少女、レッド星は、自分を大きく超える運命に巻き込まれていく。生命体としての惑星、他者との連帯、男性による懐胎など、その後の萩尾作品に出てくる重要なモチーフが出てきている。
* 5『スローダウン』: 宇宙旅行中のロケットを想定して、一人で室内で暮らすとどんなふうに変調をきたすのかという実験に参加したロイ。数日間の実験のあと、ロイは自分の「何か」が変わったことに気がつく。世界を取り戻すために、彼が考えた方法は……16ページを緊密に構築した短編。
 

【萩尾望都】
1949年福岡県生まれ。
1969年「ルルとミミ」でデビュー。『ポーの一族』『11人いる!』で第21回小学館漫画賞を受賞。『残酷な神が支配する』で第1回手塚治虫漫画賞を受賞。
際立ったアイデアと世界観、詩的なネーム、確かな画力に裏打ちされた美しい絵柄で、少女漫画の地平を広げてきた。また劇団夢の遊眠社のために『半神』を戯曲化するなど、さまざまなジャンルで活躍を続けている。


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