Vol.23 想いは想いのままに  〜内田善美『星の時計のLiddell』〜

 どんな人にも必ず「運命の一冊」というものがあるはずです。それまで自分が持っていた価値観や意識を一瞬にしてひっくり返し、人生そのものを変えてしまうような多大な影響を与えた本が。それが私にとってはこの『星の時計のLiddell』でした。
 この作品はまさに「特別」な作品。出会うべくして出会った運命の一冊。この世で唯一無二の存在。だからこの作品について書くことは、まるで自分のすべてをさらけ出すような感じで、多少の躊躇と恐怖と羞恥心を感じます。でも一方で、「いま書かなければ」という理由もわからない焦燥感が私を突き動かし、いまはいない内田善美への深い想いと交錯して、抑えがたいほど強くなってきたのも事実です。その衝動に素直に耳を傾け、なぜこの作品が運命の一冊なのか、それほどの影響を人に与えるマンガ作品とは何なのかを探ってみたいと思います。

 『星の時計のLiddell』は1982年から1983年にかけて『ぶ〜け』(集英社刊)で14回にわたり連載された内田善美の最高傑作です。「幽霊になった男の話をしようと思う」と語りだされる物語は、「夢に囚われた」青年ヒューと、彼を夢から現実世界に取り戻そうと格闘する親友ウラジーミルを軸に、哀しいまでに美しい「予感」と「気配」に包まれながらすすんでいきます。細密画のような繊細な絵柄と、ほとんど詩といえるような美しく幻想的な言葉たちによって紡ぎだされる内田善美の世界。それは哲学的であり宗教的でありながら、デリケートなガラス細工のようにキラキラときらめいて、豊かで華麗で豊穣な世界を形づくっています。

 内田ワールドでは時間と空間と人間が多重構造のように重なりあいながら融合しています。それはまさに理想的なパラレルワールド。そこでは様々な世界が同時に並立し、交錯しながら見事なバランスを保っています。それが万華鏡のように儚く美しく妖しい光を放ち、内田善美の世界をこの世で唯一無二の存在にしているのです。そして、すべての内田作品の根底にいつも流れている「せつなさ」。まるで時の流れに洗われて褪色してしまった写真のようなセピア色の追憶。リアルな現代を描きながら、行間から溢れてくる失った世界への深い哀しみと郷愁。DNAに刻まれた「種」の哀しみのような寂寞感。それが内田ワールドの世界観です。

 眠るたびに繰り返し同じ夢を見るヒュー。夢の舞台はいつも同じ家。見たことも住んだこともない見知らぬ家。でも、その夢はどこか現実のように鮮明で、詩の一遍のように美しくどこか懐かしい。ヒューの親友・ウラジーミルはヒューがその夢を見ているとき、まったく呼吸をせず心臓さえも止めていることにやがて気づきます。しかし、しばらくするとヒューはその仮死状態から目覚め、夢の中で出会ったリデルという少女のことを幸せそうに語りだします。不安にかられたウラジーミルは、やがてヒューの夢のことを調べ始めます。その過程で出会った奇妙な人たち。彼らはヒューと同じように「夢に囚われた」人たちを探してインタビューを繰り返し、ある確証を手に入れていました。

 やがて、ヒューは夢と現実を行き来し、夢で出会った少女リデルを助けるために何もかもを捨てて旅にでようとします。「あの子は俺を呼んだんだ」。ヒューの揺るぎのない言葉についにウラジーミルは折れ、その奇妙な旅に同行することになります。
 誰も見たりしないものを見、誰も信じたりしないものを信じ、誰も語らないようなものを語り、容易く向こう側へ行ってしまえる我身を知りながら、狂気に陥ることもなく悠然と正気を保つことができるヒュー。ウラジーミルはそんなヒューを見守り続けます。いつのときも淡々と幸福そうに微笑んでいるヒュー。しかしその傍らで、ウラジーミルはやがてやってくるであろう喪失の気配にたった一人で静かに耐えていたのです……。

 この物語はファンタジーです。ただし、これはただの幻想的なだけの夢物語ではありません。そこにははっきりと現実世界がリアルに描かれ、そこに生きる人間たちへの厳しく優しいメッセージが溢れています。人間とは何なのか? 心とは何なのか? 生命とは何なのか? 世界とは何なのか? 内田善美はファンタジーという宇宙と時空の中で常にそのことを考え、人間という存在を捉えようともがいてきました。そして、内田善美が追い求めた「人間とは何か?」の究極の答えがこの『星の時計のLiddell』という作品なのです。

 物語の中で何度も語られる「人間に生まれたこと」の哀しさ。その哀しさとせつなさを私は自分のもののように感じます。そう、私はいつも人間に生まれたことに絶望していました。生きることは辛く苦しく、私は10代で人生に疲れ果てていました。そんな私に、世界の美しさと真に生きることの意味を教えてくれたのが『星の時計のLiddell』だったのです。 

 物語の中でヒューが言います。
「俺はね。何者でもない、そのことがけっこう気に入ってる。詩人でもない。画家でもない。音楽家でもない。たとえばさ、そういうことがけっこう気に入っている。画家だったら描かねばならない。詩人だったら言葉があふれてしまうだろう。音楽家は感情の一ひだも葉っぱの一枚さえも音に変えてしまうんだ。そういうミューズたちを必要としないってこと、俺は結構気に入っている。風は風のままに、季節(とき)は季節(とき)のままに。想いは想いのままに。何に変わる必要もない。何に語る必要もない」

 この言葉を聴いた瞬間、私の中で何かが大きく弾けました。すべての符号がぴったりあったような爽快感と幸福感が全身を包みました。それは、「お前はお前のままでいい」という、存在の全肯定の瞬間でした。「私は私のままでいい。そのままでいい」。そう認めることができた瞬間、それまで私を否定していた暗くて恐ろしい世界は、優しい色に彩られました。

 あらゆる樹々の間に、あらゆる大地の上に、あらゆる時間の岸に、あらゆる宇宙の中に、私の求めていたものがありました。世界が私を受け入れてくれたのです。いえ、私が世界を受け入れたのだと言ったほうがいいのかもしれません。手をのばしさえすれば、世界はそこにあったのです。すべては自分の内にあると、ヒューは教えてくれました。世界は自分の外側にあるのではなく、自分の内にあるのだと。それは世界と宇宙と自分が一体になった奇跡のような瞬間でした。

 物語の最後、ヒューはこつ然と消えてしまいます。そして、この物語を描ききった翌年、作者の内田善美も姿を消してしまいました。彼女は1984年以降、現在までひとつも作品を発表していません。いまどこかでマンガを描いているのかどうかもわかりません。彼女が姿を消してからもう22年。これからの内田ワールドがどこに向かうのか誰もが期待したまさに絶頂期、私たちの前からこつ然と姿を消した内田善美。彼女の作品によって命を救われた私はただ、彼女の無事と幸福を祈るしかありません。

 内田さん、どうかあなたがいま幸せでありますように。私はいまも、生きるのを諦めそうになるたび、希望を失いそうになるたび、『星の時計のLiddell』を何度も何度も読み返しています。あなたの作品はいつも私に生きる希望と勇気を与えてくれました。どうかあなたがいまも世界を愛していますように。人間である自分を愛していますように。


 昨年8月から11ヶ月連載させていただきましたが、今回をもちまして最終回となりました。紹介した23作品はどれも私の人生を大きく変えた大傑作、名作中の名作ばかりです。私の好みが反映されて、70年代や80年代の古典的名作が多かったかもしれませんが、今も現役のマンガ読みとしては人気爆発中の最新作までもれなく網羅したつもりです。でも、まだ紹介できていない傑作が山のようにあります。
 『訪問者』も『AKIRA』も『陰陽師』も『おんなのこ物語』も『エイリアン通り』も『秘密』も『日出処の天子』も『西洋骨董洋菓子店』も『彼氏彼女の事情』も『Paradise Kiss』も『SONS』も『イグアナの娘』も『変奏曲』も紹介できなかった! ああ、心残りがいっぱいです。このままでは死んでも死にきれません。いつか機会がありましたら、どこかで絶対思いを果たしたいと思っています。
 連載中、読者の方々から心温まるメールをいただきました。本当に嬉しかったです! 今も挫けそうになるたびにそのメールを読み返しています。書き手にとって読んでくださる方は神様です。本当にありがとうございました。皆さまのことは忘れません。それでは、いつか、また、きっと会えることを信じて。アデュー!(オスカー風に)

 
及川 樹(おいかわ いつき)
1965年大阪生まれ。マンガ・映画・演劇・小説などのエッセイやルポを中心にライターとして活動中。ものごころついた頃にはすでに萩尾望都を読み、花の24年組を中心とした少女マンガに多大な影響を受けた幸福な少女期を過ごす。「ホンモノには惜しみなく金を払え」という師の教えを忠実に守り、現在も家計に占めるエンタメ係数85%以上。エンターティメントに命を捧げる人生を爆走中。


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