一鬼夜行 - 余聞

大好評を博している『一鬼夜行』シリーズ。書籍未収録の「こぼれ話」を不定期でお届けします

第2回 月夜の手招き

「いてててて……!」
 強かに打った尻に手を当てて、小春は呻いた。百鬼夜行の行列から落ちてしまったわけではなく、修業相手の青鬼にこてんぱんにのされたのだ。「容赦ねえなあ」とぶつぶつ言うと、「お前が弱いせいだ」と返ってきた。
「そりゃあ、猫股だった時よりかは弱いだろうが、他の妖怪と比べたら俺は大分強いぞ!」
「他の妖怪に比べたら? そんな程度でよいのか?」
問われた小春はぐっと詰まった。勿論、いいわけがない。弱い己のままでいるのが嫌で、こうして毎日修業に明け暮れているのだ。元々は、喧嘩で負けた縁だが、青鬼はなぜか小春にとどめを刺さなかった。弱いながらも、才を見出してくれたのだと思っていたが、
「人の世に行き、残して来た未練を捨てろ」
 青鬼の言を聞いた小春は、ケッと鼻を鳴らした。用無し――そう言われたも同然なのに動揺しなかったのは、己でも修業の成果が出ていないと感じていたからだ。青鬼は恐ろしい顔つきをしているが、そこには知性が表れている。妖怪の世で五指に入るほどの実力があるものの、偉ぶったところもない。しかし、今の彼から発されているのは、己に対する嘲りと蔑みだった。
「……短い間だったが、世話になった」
 スッと起き上がった小春は、踵を返したが――。
 一瞬、半年前に歩いた夜行に戻ってしまったかのような錯覚を覚えた。それも、行列が動き出す前の真っ暗闇の中だ。しかし、百鬼夜行といえば、闇夜に浮かぶ眩いまでの明るさと賑々しさが特徴だ。夜行でないならば、一体何だろうと考え始めた時、少し辺りが薄暗くなった。
「お前……何でここにいるんだ?」
 視界に入ってきた者に思わず問いかけたが、返事はない。相手はひたすら空を見上げて、微動だにしなかった。
「……相変わらず恐ろしい面だな。そんなんじゃあ、せっかく会えた妹にも愛想つかされるぜ? 少しは笑え――否、こんな闇夜で一人笑っても不気味なだけか」
 声が届いていないことを察しながら、小春は話した。小春は今、浅草の古道具屋・荻の屋の庭の上空にいた。身体が宙に浮いている感じはしないものの、見下ろす先には、半年前に出会って別れた喜蔵がいる。どうやら、己の意識だけがここに存在するらしい。青鬼か、はたまた他の者の仕業か――考え込でいる間も、小春はずっと喜蔵を見つめていた。そして、次第に顔を歪めていった。
「……ずっと想ってきた妹と会えて、順調そのもののはずだろ? それなのに、お前の面ときたら……」
 喜蔵は常通り無表情に近かったが、どこか寂しげだった。これでは、別れた時に見せた微かな笑みの方が、よほど明るく、幸せそうだった。
「……くそっ! お前がそんなことしたら、俺は――」
 いつまで経っても、未練が残ってしまう――結局、迷いは晴れてなどいないのだと、喜蔵の姿を見て小春は悟った。別れの時、手招きしてきた喜蔵に、「逆だ」と小春は指摘した。さよならの時には横に手を振るものだ。
 ――逆ではない……
 あの夜、姿が見えなくなる間際、喜蔵は呟いた。小春はそれを耳にしながら、知らぬ振りをし続けた。そのうち己のことなど忘れるだろう――そう考えていたのだ。  しかし今、喜蔵は月に向かって――己が去った方に向かって、懸命に手招きをしている。まるで、半年前のあの別れの夜が、そのまま続いているかのように。
「――お前に未練は捨てられまい」
 響いた声に、小春はにわかに意識を引き戻された。修業していた岩場に、己と青鬼がいた。茜空には紫雲が棚引き、鵺が飛んでいる。紛れもなく、妖怪の世だ。向けられた冷徹な視線にたじろぎ、目を逸らしかけたが、
(否――ここで負けたら一生勝てぬままだ)
 睨みるように見返すと、青鬼はくすりと笑って述べた。
「修業の続きだ。さっさと人の世に行き、縄張りを見回って来い」
踵を返した小春は、大岩の前に立った。指を噛み切り、流れ出た血で、○の中に「も」を書き、もののけ道を開いた。声を掛けられたのは、足を踏み出した瞬間だった。
「未練を断ち切れなければ、妖怪としては生きられぬ」
 もののけ道を進む途中、何度も立ち止まりそうになったが、歩みを止めることはなかった。喜蔵に深雪に彦次に逸馬――これまで関わった人々の顔が浮かんだ。それを無理やり消すことはせず、噛みしめるように小春は想いを巡らせた。
(あと少し……もう少しだけ、こうしていよう)
 すべてを捨て去り、本来の自分を生きるその日までは――。暗い、暗い、もののけ道と同じく、迷いの闇を歩きながら、小春は密かに決意した。

プロフィール

小松エメル(こまつ・えめる)
1984年東京都生まれ。母方にトルコ人の祖父を持ち、トルコ語で「強い、優しい、美しい」という意味を持つ名前を授かる。國學院大學文学部史学科卒業。2008年、あさのあつこ、後藤竜二両選考委員の高評価を得て、ジャイブ小説大賞初の「大賞」を受賞した「一鬼夜行」にてデビュー。著書に『一鬼夜行』シリーズ(ポプラ文庫ピュアフル)、『蘭学塾幻幽堂青春記 夢追い月』(ハルキ文庫)、共著に『FKB話 怪談実話 饗宴』(竹書房恐怖文庫)がある 。瑞々しいイマジネーションと、温かな人物描写の才を併せ持つ新鋭。

最新記事

ポプラビーチを読んだ感想をぜひお寄せください。
皆さまのおたよりお待ちしております。
感想を送る
WEB マガジン ポプラビーチ powered by ポプラ社
ポプラビーチトップへ戻る