一鬼夜行 - 余聞

大好評を博している『一鬼夜行』シリーズ。書籍未収録の「こぼれ話」を不定期でお届けします

第1回 幸災楽過

 某の生業は、不幸な人間の家に居つき、そこに住まう者どもに幸福を与えることだ。そんな某のことを、同胞たちは揃って「不憫だ」と言う。本来妖怪は、人間を驚かせ、陥れ、時には害す生き物である。確かに普通の妖怪とは違うが、某は己を不憫だと思ったことはない。それは、ひとえに人間が某を恐れ敬っているからだ。これまで数々の家を渡り歩いてきたが、どこでも良き待遇を受けた。好物の小豆飯を供えられ、神棚に祀られることもあった。どいつもこいつも某に深く頭を垂れたのだ――たった一人を除いて。
 それは、浅草の古道具屋の主だった。両親に捨てられ、唯一の肉親である祖父も亡くし、親友や従姉に裏切られ、周りに誰もいなくなってしまった哀れな男だ。某はその店主を見た瞬間、店に居つくことを決めた。幸せをもたらすにはちょうどいい、不幸な相手だったからだ。そして、店に居つくこと数年――古道具屋に住まう付喪神たちともすっかり慣れ親しんだある日、某は初めて店主の前に姿を現した。
 さあ、驚くがいい! 恐れ敬うがいい!――某は期待に胸を躍らせたが、
 「……どこの餓鬼だ? 勝手に他人の家に上がるなど、無礼極まりない」
 男は某を見た途端、冷淡な口調で吐き捨てた。某は思わず固まった。初めて真正面から見た店主は、「鬼」のごとき形相をしていたのだ。不覚にも「うわあ」と叫び声を上げてしまったほど凶悪だった。しかし、本当の驚愕はその先にあった――。某は人間の幼子とそっくりの見目をしているため、傍目から見ると妖怪だと気づきにくい。まだ名乗っていなかったので、店主は某を人間だと思ったはずだ。それなのに、店主は某を塵のようにつまむと、ぱっと外に放りだしたのだ! 人間とは思えぬ、あまりに非道な所業である。
 おのれ……次に会った時には、必ずや幸福を与え、恐れ敬わせてやる!
 そんな誓いを立てた某は修行に明け暮れた。そして、三年が経った今日、ついに古道具屋へ戻ったのだ。裏戸から忍び込んだ某は、中に入ったところで立ち尽くしてしまった。男が唯一信頼していた祖父が存命の時でさえ、重苦しい沈黙が満ちていたというのに――家の中には笑い声が響いている。それも、どうやら複数であるようだ。実に奇妙だった。某は抜き足差し足で土間を通り、居間の近くまで寄っていった。
 「その時のこいつの顔ったら、もう傑作で! ありゃあ本当に……ぶははっ」
 「そうそう、あんまり面白かったから、あの後、記念に画に収めたりなんかして……う! 冗談だよ、冗談。いや、本当だって! 違う! 本当なのは冗談の方で――うわあ!」
 「き、喜蔵さん! 頭を殴ると、馬鹿になってしまうんですって! だから……」
 「ひひひ、喜蔵聞いたか? 綾子が言っているぞ、頭じゃなけりゃあ殴っていいって」
 「小春ちゃん、はやし立てちゃ駄目よ。お兄ちゃんも、もう彦次さんを殴っちゃ駄目」
 若い男女が数人――中には人間の形をした妖怪もいたが――皆笑みを浮かべ、夕餉を囲んでいた。人間もどきの怪は腹を抱え、顔を見合わせた女子二人は呆れ顔で笑っている。青い顔をして逃げ惑う男も、口元には笑みが浮かんでいて――笑っていないのは、あの店主だけだった。眉を顰め、口元を固く結び、ちっとも楽しそうではない。全て諦めたような暗い表情も、まるで変わっていなかった。本当に、まるで、ちっとも――。
 「おや、座敷童子じゃないか。せっかく戻ってきたのにまた出て行くのか?」
 裏戸に手を掛けた某に声を掛けたのは、撞木という妖怪だ。相変わらず、撞木鮫によく似ている。不思議そうな表情を浮かべている撞木に、某は答えを返してやった。
 「某の生業は、不幸な者を幸せにすることだ。すでに幸せな者には用がない」
 きょとんとした撞木に会釈し、某は外へ出て行った。長居は無用だ。某は、不幸を抱えた者を捜さなければならない。あの顔の怖い店主のせいで、とんだ面倒を掛けられた。あんな奴の元へ、もう二度と戻ってやるものか! 某は新たな不幸者の匂いを辿りながら、珍しく歌など口ずさみつつ、夜道を歩き出した。

 

プロフィール

小松エメル(こまつ・えめる)
1984年東京都生まれ。母方にトルコ人の祖父を持ち、トルコ語で「強い、優しい、美しい」という意味を持つ名前を授かる。國學院大學文学部史学科卒業。2008年、あさのあつこ、後藤竜二両選考委員の高評価を得て、ジャイブ小説大賞初の「大賞」を受賞した「一鬼夜行」にてデビュー。著書に『一鬼夜行』シリーズ(ポプラ文庫ピュアフル)、『蘭学塾幻幽堂青春記 夢追い月』(ハルキ文庫)、共著に『FKB話 怪談実話 饗宴』(竹書房恐怖文庫)がある 。瑞々しいイマジネーションと、温かな人物描写の才を併せ持つ新鋭。

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