一鬼夜行 - 余聞

大好評を博している『一鬼夜行』シリーズ。書籍未収録の「こぼれ話」を不定期でお届けします

第3回 瑠璃の友

 勘太が彼と出会ったのは、十の夏の終わりの頃だった。はじめ、狸が溺れているのかと思った勘太は、着物を脱ぎ捨て、海に入った。漁師の子なので、泳ぐことなどお手の物だ。素早く目標を捉えると、相手の身を腕の中に抱え込み、浜辺に戻った。
「おい、狸公! 何で海なんかに……あれ!?」
 浜辺に寝かせた相手を見て、勘太は目を丸くした。丸みを帯びているが、身体は青く、鱗が生えている。唇は鳥の嘴のように出っ張っており、ぱちりと開いた目は円らだった。短い手足には、水かきのようなものがある。
「お前え……河童か? 海にも来るのかね――あ? 河童じゃねえって?」
 勘太があれこれ言うたび、相手は首を振ったり、頷いたりしてきた。どうやら、言葉は分かるらしい。しかし、会話は無理のようで、身振り手振りで何事か伝えようとしてきたが、ちっとも分からなかった。そのうち意思の疎通を諦めたらしい相手は、丸い尻を振って海に戻っていった。また溺れるのではないかと勘太は心配したが、その後の海は静かなものだった。
 翌日、朝から漁の手伝いをしていた勘太は、昼過ぎになって浜辺に向かった。いつもなら、幼馴染の太郎を誘うところだが、今日は一人だった。昨日と同じ場所に来た勘太は、辺りを見回して「あ」と呟いた。
「……あいつ、また!」
 舌打ちするや否や、勘太は海に飛び込んだ。そして、溺れている者の傍に行き、相手の身を抱えて浜辺に上がった。青く、丸々とした身体を持つ者を見下ろした勘太は、相手の額と思しき辺りを指で弾いた。
「お前えな、泳げねえなら海に入るなよ」
 呆れながら言った勘太は、はっとした。相手の身がぱっと赤くなったのだ。まるで鬼灯のようだと思っていると、相手は跳ね起き、そのまま海に飛び込んでしまった。勘太は慌てて腰を上げたが――。
「……なんだよ、泳げるんじゃねえか」
 鬼灯のように赤くなった相手は、自由自在に海の中を泳ぎ回り、海鳥のように水面を跳ねた。「本当は泳ぎが得意なんだぞ」と勘太に見せつけるように、何度も何度も。あまりにも楽しそうにするので、勘太は堪らず海に入った。そうして、日が暮れるまで名も知らぬ相手と共に泳いだのだ。
 それからというもの、勘太は彼と共に泳ぐのが日課となった。
「勘太あ、今日も遊べねえのか?」
「悪いな、太郎。またな!」
 友の誘いを断ってばかりで胸が痛んだが、心は彼のいる海に向かっていた。会話はできず、意思の疎通すらままならなかったが、共にいるのが楽しくて仕方なかった。それは相手も同じらしい。毎日、勘太が来るまで海の中から顔だけ出して、じっと浜辺を眺めているのだ。その姿を目にするたび、胸いっぱいに嬉しさが広がった。だから、この日も急いで浜辺に向かったのだ。
「……何だ、これ……」
 浜辺に着いた勘太は、呆然と呟いた。目の前に広がっていたのは、異様な光景だった。海にいる大勢の漁師は殺気だっており、手には銛が握られていた。「いたか?」「こっちにはいねえ」と言い合っている声で我に返った勘太は、近くにいた漁師に声をかけた。
「何を捜しているんだ!?」
「尼彦っつう、青くて妙な化け物だ。そいつが来ると海が荒れて、流行り病が起きるって言い伝えがあんのさ。最近この辺りをうろついてるのを見たって奴がいてな。何か起きる前に退治しちまおうって――おい!」
 漁師の制止の声も聞かず、勘太は海に飛び込んだ。銛や網を避けつつ、必死になって彼を捜した。
(あいつは化け物なんかじゃねえ……!)
 このひと月ずっと共に過ごした思い出がよぎり、涙が零れた。海面が紫色に光り、海がにわかに荒れだしたのは、その時だった。
 漁師たちが慌てて浜辺に戻るのを見た勘太は、己も続こうとしたが、かなわなかった。足がつってしまったのだ。溺れているという事実を悟った時、勘太は苦笑した。
(逆になっちまったなあ。でも、助けてやった回数は俺の方が上だ)
 紫の光を発している主が近づいてくる。短い手を懸命に伸ばし、勘太の手を掴もうとしていた。あと少しで届くという時、勘太は気を失ってしまった。
 目を覚ましたのは、三日後のことだった。あの日、突如巻き起こった嵐のせいで、海にいた漁師の半数は波に攫われてしまったという。

「――では、やはりアマビエ……いえ、尼彦のせいだったんですね?」
 記録本屋と名乗った若い男は、帳面に書き込みながら問うてきた。尼彦という妖怪について、方々で聞き回っているらしい。物好きな男がいたものだ、と勘太は顎に蓄えた髭を撫で、首を横に振った。
「三十年前のあの日は元々天気が悪かった。海は不安定なもんだ。いつああなってもおかしかねえ。今もな」
「へ?――あ!」
 波打ち際にいた記録本屋は、いきなり大きくなった波に身を包まれ、びしょびしょになってしまった。
「ああ、大事な帳面が! 早く乾かさないと……!」
 半泣きで慌てている男に苦笑しつつ、勘太はちらりと海を見た。波は一瞬で引き、すっかり穏やかだった。海面がきらきらと青く光っている。
「……奴がするのは、こんな可愛い悪戯くらいなんだよ」
 呟いた勘太の目線の先には、楽しそうに跳ねる、青くて丸い、奇妙な生き物の姿があった。

プロフィール

小松エメル(こまつ・えめる)
1984年東京都生まれ。母方にトルコ人の祖父を持ち、トルコ語で「強い、優しい、美しい」という意味を持つ名前を授かる。國學院大學文学部史学科卒業。2008年、あさのあつこ、後藤竜二両選考委員の高評価を得て、ジャイブ小説大賞初の「大賞」を受賞した「一鬼夜行」にてデビュー。著書に『一鬼夜行』シリーズ(ポプラ文庫ピュアフル)、『蘭学塾幻幽堂青春記 夢追い月』(ハルキ文庫)、共著に『FKB話 怪談実話 饗宴』(竹書房恐怖文庫)がある 。瑞々しいイマジネーションと、温かな人物描写の才を併せ持つ新鋭。

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