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学歴、職歴、趣味、特技……、たいていの人ならいちどは書いたことのある履歴書。そして、たいていの場合、その中身は何度書いてもそうかわりばえのしない、退屈なものだ。だが、人にはもっと多くの出会いがあり、変化がある。旅が人生の節目となった人、本に勇気づけられた人、あるいは何物かによって人生を狂わせた人……。経験不問、形式不問の個性ゆたかな「もうひとつの履歴書」、ここに公開します。
2回目の今回は、『ポプラビーチ』連載でもお馴染み、漫画家の萩尾望都さんです。
少女漫画のジャンルを超えて、多大な影響を与えてきた萩尾さんに影響を与えた〈本〉をめぐる「もうひとつの履歴書」です。どのような本や作家が、萩尾ワールドを形作ったのか、萩尾さん御自身に書いていただきました!
* 本のカバーは、現在、流通しているものから掲載しましたが、一部、絶版のものも含まれています |
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1949(昭和24)年
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5月12日、福岡県大牟田市に生まれる。
萩尾望都(本名)は萩尾家の二女。姉、本人、妹、弟の4人兄弟である。
大牟田は炭坑の街で、父は三井三池炭坑の関連会社の事務職。 |
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1950(昭和25)年…1歳
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| 朝鮮戦争勃発。鉄鋼生産に伴う石炭供給源となった大牟田、荒尾市は朝鮮特需にわきかえる。この時からすでに絵を描き始め、豊かな画才を見せ、両親を喜ばせていた。 |
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1951(昭和27)年…3歳
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3歳の頃荒尾市に引越。
ホワイトカラーとブルーカラーの階層闘争、労働争議もさかんになる。「長屋の子(炭坑労働者の家)と遊んじゃいけない」と母にいわれて育つが本人はなぜなのか解らない。おまけに長屋の子が大多数の幼稚園に行かされる。身体が小さいため幼稚園で苛められ登園拒否になる。いじめっこも助けてくれた子も長屋の子だった。大牟田、荒尾は、騒然とした時代であった。
自分でも漫画を描き始める。ワラ半紙を16コマに折り、シンデレラ物語のようなおとぎ話を描いた。 |
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1956(昭和31)年…7歳
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『文庫版 怪盗紳士』
モーリス・ルブラン
南 洋一郎/文
ポプラ社 |
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『鉄腕アトム』
手塚治虫
小学館 |
荒尾市第四小学校に入学。1年生の時、鯉のぼりの絵を宿題で描いて、教師に「こんな構図を子供が書けるはずがない」と言われた。
2年生の時、隣の市大牟田に引越。大牟田の三川小学校に転入。学級文庫が出来る。「ヘレンケラー物語」「アルセーヌ・ルパン」「青い鳥」「一休とんちばなし」「ギリシャ神話」などの児童文学書読みあさる。
また、手塚治虫や石ノ森章太郎、牧美也子などの漫画にも夢中になる。特に手塚治虫の「鉄腕アトム」や「リボンの騎士」などに引き込まれた。スケールの大きさ、登場人物の多彩さ、心理描写の巧みさなどに驚かされる。
教育ママの母親は教科書以外の読書を禁ずる。読みたいときは母の許可が必要だった。4時には帰ってくるよういわれる。
5年生のとき、校内図書館ができる。母に内緒で入り浸って、SF全集や、ポーター、オルコット、モンゴメリなどの少女向け文学を読む。帰りが4時半、5時と遅くなると「友だちみんなで宿題をしていた。」と嘘をついていた。小学校高学年になるとノートに長いストーリーものを描くようになる。 |
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1962(昭和37)年…13歳
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アイザック・アシモフ
『宇宙気流』
平井イサク 訳
ハヤカワ文庫 |
大牟田市内の船津中学校入学。中学になると母親の教育は厳しさを増し、クラブ活動禁止令が出る。母に内緒で演劇部、美術部、文芸部に入る。中2の時、学校で文化祭用の粘土細工を制作中、三池炭坑爆発。木造の学校が揺れた。中学2年で大阪府内の吹田第一中学校に転校。変わらず読書やマンガに夢中。
このころ、アシモフ「宇宙気流」を読み、SFへの思いを強くする。また、友人に「Please
Mr. Postman」のレコードを借り、Beatlesのファンになる。TVでWalt Disney作品や「ルーシー・ショー」「鉄腕アトム」「ひょっこりひょうたん島」などを夢中で見る。 |
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1965(昭和40)年…16歳
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フレドリック・ブラウン
『さあ、気ちがいになりなさい』
星新一 訳
早川書房 |
大阪府内の吹田高校に入学。高校2年の時、手塚治虫の「新選組」と出会い、「マンガはここまで描けるのか」と衝撃を受け、マンガ家になることを決意する。親の転勤のため高校3年で再び大牟田へ。福岡県立大牟田北高校に転校。転校は4回目。小中時代の友人と再会。友人の作るマンガ同人誌のサークル「キーロックス」に入れてもらう。小学館や講談社の作品公募に投稿を開始し、デビューまでのスケジュールを練った。
変わらず演劇部にも入る。もちろん、親には内緒。門限は5時。秘密の多い娘は嘘も上手くなる。
アシモフ、クラーク、ハインライン、フレドリック・ブラウンなどのSFを読みふける。北杜夫、遠藤周作などを愛読。 |
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1967(昭和42)年…18歳
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高校卒業後、福岡市内のデザイン専門学校、日本デザイナー学院ファッションデザイン科に入学。
服飾の勉強を続ける一方で、クロッキー・ブックにマンガのストーリーや絵の原案を描きため、作品を『COM』(手塚治虫の虫プロ商事が創刊したマンガ誌。71年休刊)などに投稿を続けた。
学校の休みに上京して講談社の編集部に持ち込み原稿を持っていき、担当がつく。 |
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1969(昭和44)年…20歳
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ジャン・コクトー
『恐るべき子供たち』
鈴木力衛 訳
岩波文庫 |
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『10月はたそがれの国』
レイ・ブラッドベリ
宇野利泰 訳
東京創元社 |
福岡時代の作品「ルルとミミ」が『なかよし』夏休み増刊号に掲載されてデビュー。作品を描きためるよういわれてせっせと送るが大半がボツとなる。編集者の言う「読者の求める少女マンガ」とはギャップを感じるが、自分の思う作品を送り続けた。前途が不安だ。明日はどっちだ?
コクトー、ヘッセ、レイ・ブラッドベリのSF作品にハマル。 |
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1970(昭和45)年…21歳
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『ケーキケーキケーキ』
小学館 |
この年、講談社『なかよし』に発表された作品は「ケーキケーキケーキ」など。講談社『フレンド増刊』に「ビアンカ」。
デザイン専門学校を卒業後、半年間原稿料で資金を貯めてから上京した。上京中知り合った、竹宮惠子女史と、練馬区大泉で2年間共同生活。多くの漫画家と知り合う。 |
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1971(昭和46)年…22歳
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『11月のギムナジウム』
小学館文庫 |
講談社から小学館へ少しずつシフトする。「雪の子」、「かわいそうなママ」、「精霊狩り」、「小夜の縫うゆかた」、「秋の旅」などの短篇を『週刊少女コミック』『別冊少女コミック』に次々と発表。他に「11月のギムナジウム」。「セーラ・ヒルの聖夜」など。多作の年であるが、講談社でボツになった作品で救われて発表できたものが5作ほどある。描きためておくものである。 |
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1972(昭和47)年…23歳
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フィリップ・K・ディック
『アンドロイドは電気羊の夢をみるか?』
朝倉久志 訳
ハヤカワ文庫 |
「ポーの一族」シリーズ開始。シリーズ第1作は『別冊少女コミック』3月号に掲載された「すきとおった銀の髪」。以後、シリーズ最終作「エディス」まで5年にわたり断続的に発表された。
「とってもしあわせモトちゃん」シリーズを連載開始。
SF「あそび玉」、「精霊狩り」の続編「ドアの中のわたしのむすこ」などを発表。
この年、初のヨーロッパ旅行。竹宮惠子、増山法恵、山岸凉子ら4名と横浜からナホトカまでを船、ハバロフスクまでをシベリア鉄道、それから飛行機という経路でモスクワまでに到着。7〜8カ国を巡る。
フィリップ・K・ディックのSF「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」と読み、暗い未来にハマル。
下井草に引越しした。6畳と台所付きで2万円。庭付きでよくノラネコが遊びにきた。 |
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1973(昭和48)年…24歳
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| 大泉の借家はキャベツ畑の側にあった。「キャベツ畑の遺産相続人」を発表。「ポーの一族」シリーズの中でも人気の高い「小鳥の巣」を発表。この年、イギリスのブライトンに短期語学留学。40日の予定が、結局は9月から翌年の3月まで滞在。(「ハローイングランド」を参照) |
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1974(昭和49)年…25歳
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『トーマの心臓』
小学館文庫 |
帰国後は埼玉県のH市に住む。「トーマの心臓」を半年にわたり『週刊少女コミック』に連載。連載開始当初は人気がなかったが、回数が進むに連れ次第に人気を得た。 |
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1975(昭和50)年…26歳
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有吉佐和子
『複合汚染』
新潮文庫 |
「11人いる!」を『別冊少女コミック』に発表。
「ポーの一族」シリーズの続編を『別冊少女コミック』に発表。
司馬遼太郎「新撰組血風禄」を読み、司馬遼太郎にハマル。有吉佐和子の「複合汚染」を、読み、有吉佐和子にハマル。 |
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1976(昭和51)年…27歳
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『11人いる!』
小学館文庫 |
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『ポーの一族』
小学館文庫 |
「11人いる!」「ポーの一族」で75年度の小学館漫画賞を受賞する。
「アメリカン・パイ」、「続・11人いる」を発表。
「ポーの一族」シリーズ完結。
この年の6月1日〜8月31日までフランス(パリ、ルルド)、スペイン(バルセロナ、トレド、マドリッド、グラナダ等)、イギリス(ロンドン、エジンバラ、インバネス)を旅行する。(旅行の様子は「ヨーロッパみぎひだり」「ヨーロッパ便り」「ドリーム・イン・パリ」を参照 |
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1977(昭和52)年…28歳
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『ウは宇宙船のウ』
小学館文庫 |
「みずうみ」、「霧笛」などブラッドベリ原作のSF短篇を『週刊マーガレット』に発表し始める。
壮大なSF叙事詩「百億の夜と千億の昼」(原作・光瀬龍)を『週刊少年チャンピオン』に連載開始(78年まで)。
小学館から「萩尾望都作品集」刊行開始。
「11人いる!」がNHKの少年ドラマシリーズでドラマ化される。(これは、なんと言ったらいいのか、…う〜ん) |
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1978(昭和53)年…29歳
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SF長篇「スターレッド」を『週刊少女コミック』に連載開始(79年まで)。
「ゴールデンライラック」を『別冊少女コミック』に発表。 |
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1979(昭和54)年…30歳
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コクトー原作の「恐るべき子どもたち」を『月刊セブンティーン』に発表。
この年の7月31日から伊東愛子、花郁悠紀子、佐藤史生、城章子らとヨーロッパへ。イギリスのSF大会に参加する。この時の模様は『奇想天外』12月号に掲載されている。
旅行は、ギリシャ、エジプト、イタリア、スイス、オーストリア、ドイツ、ベルギー、イギリス、フランス、を巡る。更にそのまま9月に、パリでちばてつや、松本零士らと合流し、松本零士念願のコンコルドで飛び、9月12日からブラジルとペルーを旅行する。ペルーから、米国、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ラスベガスと巡り、9月30日帰国。(「地球魔ゾーンの宇宙人」を参照)
両親に、マンガの仕事を止めるよういわれ、決裂。悩んで、心理学書を読みあさる。
本田勝一「子供たちの復讐」のルポタージュの真摯さに感動する。本田勝一にハマル。 |
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1980(昭和55)年…31歳
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河合隼雄
『青春の夢と遊び』
岩波書店 |
「訪問者」を『プチフラワー』に発表。
「メッシュ」シリーズを『プチフラワー』に連載開始(84年まで)。
SF長篇「銀の三角」を『SFマガジン』に連載開始(82年まで)。
小此木圭吾、河合隼夫、木田恵子など、カウンセリングや心理学書を読む。読んでも、親との関係は改善に至らず。 |
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1981(昭和56)年…32歳
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『メッシュ』
白泉社文庫 |
SF「A-A'」を発表。「メッシュ」シリーズでは「春の骨」「モンマルトル」「革命」「ブラン」 |
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1982(昭和57)年…33歳
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「モザイク・ラセン」を『プリンセス』に連載。
「メッシュ」シリーズでは「耳をかたむけて」「千の矢」「苦手な人種」
この年の12月30日、観光で訪れていたモスクワで、乗っていた観光バスがトラックと正面衝突して頭蓋骨骨折、重度脳震盪を負う。モスクワで最高設備のボトキン病院に翌年まで2週間入院。しかしトイレには紙が無く、エレベーターの60%は故障していた。ソビエト連邦の崩壊を予感する。 |
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1983(昭和58)年…34歳
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野田秀樹
『野獣降臨』
新潮社 |
事故で休業中、野田秀樹の夢の遊眠社の舞台「野獣降臨(のけものきたりて)」を本多劇場で観劇。大感激して、野田秀樹にハマル。
「メッシュ」シリーズ「謝肉祭」を発表。
「城」「4/4カルトカース」などを発表。この年、夢の遊眠社「小指の思い出」を観劇、演劇やバレエへの関心が深くなる。「フィジカル!85」を参照。 |
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1984(昭和59)年…35歳
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「半神」「エッグ・スタンド」「X+Y」などを発表。
「シュールな愛のリアルな死」を発表して、「メッシュ」シリーズ完結。この年の末に甲斐バンドの武道館コンサートを見に行き、公演後に楽屋を訪問。打ち上げに参加し、甲斐よしひろとの交流が始まる。 |
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1985(昭和60)年…36歳
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『マージナル』
小学館文庫 |
SF大作「マージナル」を『プチフラワー』に連載開始(87年まで)。「ばらの花びん」ほかを発表。 |
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1986(昭和61)年…37歳
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萩尾望都+野田秀樹
『戯曲 半神』
小学館 |
劇団・夢の遊眠社の戯曲「半神」の脚本を担当。 |
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1988(昭和63)年…39歳
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「完全犯罪〈フェアリー〉」発表。一連のダンス・バレエシリーズの開始である。
「フラワーフェスティバル」連載開始(89年まで)。 |
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1989(平成1)年…40歳
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バレエ・シリーズ「海賊と姫君」「青い鳥」を発表。
SF「海のアリア」を『ASUKA』に連載開始(91年まで)。 |
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1990(平成2)年…41歳
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| バレエ・シリーズ「ローマへの道」を隔月で『プチフラワー』に連載。 |
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1991(平成3)年…42歳
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アルフレッド・レヴィナス
『暴力と聖性――レヴィナスは語る』
せりか書房 |
バレエ・シリーズ「ロットバルト」「ジュリエットの恋人」「感謝知らずの男」「オオカミと三匹の子ブタ」を発表。
「イグアナの娘」を発表。
シュタイナー教育、人智学を知る。アルフレッド・レヴィナスを読む。難しいが、泣ける思想だ。 |
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1992(平成4)年…43歳
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バレエ・シリーズ「狂おしい月星」発表し、完結。
SFコメディ「あぶない丘の家」を『ASUKA』増刊(現・ファンタジーDX)に連載開始(94年まで)。
サイコ・サスペンス「残酷な神が支配する」を『プチフラワー』に連載開始。
戯曲「斎王夢語」の脚本を手がける。 |
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1994(平成6)年…45歳
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| 「午後の日差し」「学校へ行くクスリ」を青年誌『ビッグ・ゴールド』に発表。 |
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1995(平成7)年…46歳
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| 絵本『左手のパズル』(イラスト・東逸子)を発表。 |
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1997(平成9)年…48歳
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『残酷な神が支配する』
小学館文庫 |
「残酷な神が支配する」第1回手塚治虫文化賞(朝日新聞社主催)優秀賞を受賞。 |
1998年(平成10年)…49歳 |
3月、バンダイビジュタルより原画・インタビュー映像収録のCD-ROM「sanctus(サンクトゥス)」発売。
養老孟司の『唯脳論』を読み、脳の不思議さにハマル。 |
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2001(平成13)年…52歳
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9年の長きにわたり連載を続けて来た最長篇作品「残酷な神が支配する」の連載を終了し、少し充電期間に入る。
ロイス・マクスター・ビジョルドのSFシリーズにハマル。『無限の境界』他。
茂木健一郎『心を生みだす脳のシステム』に出会う。 |
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2002(平成14)年…53歳
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『バルバラ異界』
小学館 |
久しぶりのSF作品『バルバラ異界』を連載。2005年に連載終了。 |
2003年(平成15年)…54歳 |
茂木健一郎『意識とはなにか』、養老孟司『バカの壁』を読む。お二人と『ポプラビーチ』の対談(『科学者とお茶を』)でお目にかかることになるとは。
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萩尾望都(はぎおもと)
1949年福岡県生まれ。
1969年「ルルとミミ」でデビュー。『ポーの一族』『11人いる!』で第21回小学館漫画賞を受賞。『残酷な神が支配する』で第1回手塚治虫漫画賞を受賞。
際立ったアイデアと世界観、詩的なネーム、確かな画力に裏打ちされた美しい絵柄で、少女漫画の地平を広げてきた。また劇団夢の遊眠社のために『半神』を戯曲化するなど、さまざまなジャンルで活躍を続けている。 |

*ポプラビーチを読んだ感想をぜひお寄せください。 |
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