遊星ハグルマ装置

子供部屋は海 朱川湊人

 子供の頃の、ちょっとした不思議の話です。
 今でこそ元気そのものの私ですが、幼い時は体が弱く、何かにつけて寝込んでいるような子供でした。特に気温の変化に弱く、春から夏に向かう頃や、秋が深まって冬になる時分には決まって微熱を出して、何日かは布団の中で過ごすことが多かったのです。
「ススムはいいよなぁ……便利な病気でよ」
 三つ年上の兄は親や祖母のいないところで、ときどき私にそんな意地悪を言いました。
 確かに病気と言っても、ただ微熱が出るというだけで、どこか痛くなったりするわけでもなく(気分が悪くなって、吐いてしまうようなことはありましたが)、見る限りは病気らしくないのですから、兄がそう言いたくなる気持ちもわかります。私が布団に横になっている間、お使いなどの家の手伝いはすべて兄がやらされるわけですし、父が会社帰りに、私にだけ本を買ってきてくれたりするのですから。
 けれど私には、毎日元気いっぱいに跳ねまわっている兄の方が、よほどうらやましく思えました。確かに少しは得な思いもしましたけれど、来る日も来る日も布団の中にいなければならない……というのは、やはり子供には苦行なのです。
 たとえば今なら、家に何台もテレビがあることは珍しくはないでしょう。けれど三十年以上昔の昭和の頃には、そんな家は滅多になかったと思います。もちろん私の家も一階の居間に一台あるきりでしたが、微熱を出している間は二階の子供部屋に閉じ籠っていないといけないので、テレビを見に行けませんでした。毎週見ているマンガだけは許してもらえましたが、それが終わると、さっさと部屋に戻らされるのです。元気な時のように、家族と一緒にいつまでも見るというのは、許されませんでした。後ですごく面白い番組をやっていた……と兄に聞かされて、悔しい思いをするばかりだったのです。
 そう、病気の時は子供部屋だけが、私の世界でした。
 出ることは原則的に禁じられ、それこそカゴの中の鳥――出ていいのはトイレと食事の時だけで、それ以外はおとなしく寝ていなければならなりません。学校を休んでいる以上、そうするのが当たり前だと、家族のみんなは考えていたのです。
 けれど兄が“便利な病気”と冷やかすように、微熱の時でも私は、たいてい元気でした。体温計の水銀が赤い線を何分か超えてしまっているだけで、何もする気が起きなくなるほどグッタリしてしまうことなど、滅多になかったのです。
 そんな時、私はおもに本やマンガを読んで過ごしましたが、昼間、母が家事に追われている時などは、こっそりと布団を抜け出て一人遊びをしました。兄も学校に行っている時間でしたので、六畳の子供部屋は使い放題です。
 その頃、よくやったのは「漂流ごっこ」です。
 もともとは幼稚園に行っていた頃、雨の日などに兄とやっていた遊びですが、子供部屋の畳を海、布団一枚をそこに浮かぶイカダに見立て、部屋の隅にある文机は島、ザブトンや雑誌は岩……という具合に空想して遊ぶのです。
 兄とやっていた時は「大きなサメが襲って来る!」とか「海が大荒れだ!」とか、いろんな状況を
思いつくままに作って、コント風のごっこ遊びをしていました。文机の島に行くためにはザブトンか雑誌の岩を渡って行かねばならず、うっかり畳の海に落ちてしまったら、イカダから跳びナワのロープで助けてもらわなくてはなりません。その途中でサメ(祖母に買ってもらった大きなクマのヌイグルミが、その役を演じることが多かったと思います)に襲われたら、銀玉鉄砲やオモチャのナイフで攻撃したり、格闘して倒さなくてはならないのです。
 私はその遊びが大のお気に入りでしたが――私が小学校に入学したくらいの頃から、兄はそのごっこ遊びに付き合ってくれなくなりました。兄自身も大きくなっていましたから、ちょっと幼稚に感じられたのでしょう。かわりに雨の日には、トランプや人生ゲームをして過ごすことが多くなりました。年齢を考えれば、そんなものです。
 けれど私は病気で学校を休んだ日、一人でこっそりと「漂流ごっこ」を続けていました。
 兄とやっていた頃ほど大掛かりではありませんでしたが、その分、凝ったものになっていたと思います。たとえば布団のイカダは、足元に扇風機を立てることでモーターボートに進化していましたし、壊れたトランジスタラジオの無線機も搭載されていました。何よりすごいのは、本物の方位磁石があったことです。
 その方位磁石は兄が雑誌の懸賞で当てたもので、直径五センチほどの金属製、横に出っ張っているスイッチを押せば、バネ仕掛けでフタが開く本格的なものでした。もちろん当時の兄の一番の宝物で、普通なら絶対に触らせてもらえないはずでしたが――兄が文机の引き出しの奥深くにそれをしまっているのを、私はとうに知っていました。ですから兄が学校に行っている間にちょっと拝借して、私のモーターボートのリアルな部品にしていたのです。なに、兄が帰ってくる前に元の場所に戻しておけば、どうってことはありません。
 私は畳の海で、魚釣りをして楽しみました。適当な棒の先にタコ糸で磁石を結びつけた竿で、あらかじめパラまいておいた紙の魚を釣るのです。魚は私の手製ですが、口のところに金属クリップが付けてあり、それを糸の先の磁石にくっ付けるのです。単純な遊びですが、竿を振って狙ったところに磁石の針を落とすのが難しく、なかなか面白い遊びでした。
「あぁ、ここは釣れないな。今度はどっちに行けばいいんだろう」
 ときどき私は、そんな風にボヤいては方位磁石のフタを開け、ちらりと針を見て、今度は西だ東だと釣り場を変えました。と言っても、布団の場所をちょっと変えるだけなのですが――そんなことをしているだけで、三十分や一時間は、すぐに過ぎてしまうのでした。
 ところが、十月のある日のことです。
 前日の夜から私は熱を出し、その日も学校を休んだのですが、今から思えば、いつもより少し熱が高かったような気もしています。そうでもなければ、あんな幻を見るはずなんてないのですから。
 その時も私は子供部屋で、母の目を盗んで「漂流ごっこ」をしていました。少し体がだるく感じましたが、兄がいない時でなければできない遊びでしたので、半分は無理にやっていたところもありました。
「今日は、さっぱり釣れないなぁ」
 しばらく遊んでいるうち、やはり体が辛くなってきて、私はその日の漂流を早々に切り上げることにしました。ひと眠りして調子が戻ったら、また続きをやればいいや……と考えたことは覚えています。
(こいつを、ちゃんと戻しておかなくっちゃ)
 そう思いながら方位磁石を手にして立ちあがった時です。何だかまわりの景色が、ぐにゃりと歪んだような気がしました。その瞬間、私の手から方位磁石が、するりと滑り落ちたのです。
 その時、私は信じられないものを見ました。
 畳の上に落ちた方位磁石が――そのまま、とぷん、という小さな音を立てて、消えてしまったのです。それこそ本当に、海の中に落としてしまったみたいに。
「そんな……バカな」
 思わず私は、磁石が落ちた場所を撫でました。が、それはやはり畳以外の何ものでもなく、私の指先が沈み込んでしまうようなこともありませんでした。
(どうしよう)
 その時の私の頭に浮かんだのは、その不思議を怪しむ気持ちよりも、兄の宝物の方位磁石を失くしてしまった……という事実の恐ろしさでした。懸賞で当たった時の兄の浮かれぶり、実際に雑誌社から送られてきた時の嬉しそうな顔を見ていただけに、取り返しのつかないことをしてしまったと思ったのです。
「兄ちゃんの方位磁石!」
 私は慌てて部屋の中を探しました。それこそ枕を投げ、布団をひっくり返し、ザブトンのカバーを外し――目につくところを、すべて探しました。
 けれど、やはり方位磁石はありませんでした。さっき見た光景が本当なら、あれは子供部屋の畳の海に沈んでしまったのです。
(どうしよう……)
 そう思いながら、私は布団の上に倒れました。同時に頭がガンガンと痛み、激しい寒気が襲ってきて――どういうわけか、そのまま私は失神してしまったのです。
 次に気がついた時には、見知らぬ病室のベッドに寝かされていました。まわりには父も母も祖母も兄もいて、同じような不安げな表情を浮かべて、私を見降ろしていました。聞けば私は突然に四十度以上もの高熱を出して、救急車で近くの病院に運ばれたのだそうです。
「兄ちゃん……僕、兄ちゃんの方位磁石、海に落としちゃったよ」
 何より先に私が言うと、兄は私の手をしっかり掴んで言いました。 
「ススム……そんなことはいいから、早く元気になれよ。また一緒に遊ぼうぜ」
 その時の兄の顔は、涙と鼻水でグシャグシャになっていました。目を開けたばかりの私には、どうして兄がそんな有り様になっているのか、少しもわかりませんでした。
「本当なんだよ。畳の海に落っこっちゃったんだ。一生懸命探したんだけど、見つからなくって……ごめんね、兄ちゃん」
「あんなもの、おまえにあげるよ。お使いだって、全部俺が行ってやるから……だから、早く元気になれって」
 今から思えば兄は、私が熱に浮かされて、変なことを口走っているとでも思ったのでしょう。そう言いながら私の手を、ぎゅうぎゅうと痛いくらいに握りました。
 その後、私はどうにか持ちこたえ、数日後には退院することができました。あと少し熱が下がるのが遅かったら、本当に危ないところだった……と聞かされたのは、確か中学生の頃です。
「そんなことも、あったっけか」
 先日、母の法事で久しぶりに顔を合わせ、この時の話をすると、兄はどこか照れくさそうに笑っていました。さすがにこの年になると、子供の頃の話は恥ずかしいものです。
 ついでながら私が海に落とした方位磁石は、すぐに見つかりました。
 子供部屋の真下にあった祖母の部屋――そこの箪笥の上に、ぽつんと落ちていたそうです。

 

著者プロフィール

朱川湊人(しゅかわ・みなと)
1963年、大阪府出身。
出版社勤務を経て、2002年「フクロウ男」でオール讀物推理小説新人賞を受賞してデビュー。2003年 「白い部屋で月の歌を」で日本ホラー小説大賞短編賞を受賞。
2005年『花まんま』で第133回直木賞を受賞。
著書に『さよならの空』『わくらば日記』(以上角川書店)、『いっぺんさん』(実業之日本社)『スメラギの国』(文藝春秋)などがある。
笹公人(ささ・きみひと)
1975年、東京都出身。
17歳の頃に寺山修司の短歌を読んだことがきっかけで作歌をはじめる。
2003年、処女歌集『念力家族』(インフォバーン)を刊行。
04年、未来年間賞を受賞。主な著作に『念力姫』(KKベストセラーズ)、『念力図鑑』(幻冬舎)、『抒情の奇妙な冒険』(早川書房)、『笹公人の念力短歌トレーニング』(扶桑社)がある。
公式HP:http://www.uchu-young.net/sasa/

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