父と新しい仏壇を買いに行って、弟は鳥と一緒に行方知れずになった。仏壇屋の店先で父が店の人と話している間に、姿が見えなくなってしまったのだという。
「だから、鳥なんか連れて行くなって言ったんだ」
あの日の夜、くたびれた顔で家に戻ってきた父は、丸いちゃぶ台で焼酎を飲みながら、不機嫌そうに言っていた。その横で母は割烹着の裾で涙を拭きながら、たださめざめと泣くばかりだった。
私は裸電球の光が届かない部屋の隅で、弟に何が起こったのか、ぼんやりと考えた。
弟が連れて行った鳥は、その十日ほど前、分校帰りに拾った文鳥だった。カラスにでもつつかれたのか、片方の翼の付け根を怪我していて、畑のわき道でバタバタと苦しげにしていたのだという。
それを連れて帰ってきた弟は、赤チンを塗ってやったり、まめまめしくエサをやったり、幼いなりに懸命に世話をしていた。もともとノンビリとした性格なのに、私たちが鳥に触ろうとすると顔を赤くして怒り出すほどで、弟はあの鳥にかなりの思い入れがあったのだろう。生まれつき左足が不自由だった弟は、もしかすると、あの鳥に仲間意識みたいなものを持っていたのかもしれない。
「人買いにでも、連れて行かれたのかもしれねぇな」
酔いの回った父は、余計なことを言って母をいっそう泣かせた。それは十分に有り得る話だと、私は思った。
あの鳥は怪我で飛べず、家にいる間も鳥かごに入れなくても(そんなもの、ありもしなかったが)、逃げたりはしなかった。だから弟もどこに行くにも肩に乗っけていたのであるが、もしかすると十分に傷が癒えて、突然に飛ぶことを思い出したのかもしれない。
仏壇屋の前で父を待っている時、ふいに肩から鳥が飛び立つ。弟は慌ててその後を追い、いつのまにか知らぬ通りに迷い込む。帰る道を探しているうちに日は落ち、はるか遠くの街角で泣いているところで人買いに会ってしまい、言葉巧みに連れ去られた――その光景を見たわけでもないのに、そうやって弟が消えてしまったのではないかと私には思えた。
あくる日になっても、あくる月になっても、あくる年になっても、弟は帰ってこなかった。そのうち母さえ弟のことを言わなくなり、父は兵隊に取られた。私と母、妹と女だけになった家で三度の春を過ごして、やがて父の小さな骨壷が家に届いても、弟の消息は知れなかった。
私が十七歳の春――奇妙な夢を見た。いや、あれは絶対に夢でなかったという自信があるのだが、中身がどうしても現実のこととは思われないので、夢と言う他はない。
その時、私は学校で出された針仕事の課題が終わらず、部屋で夜なべしていた。母と妹はすでに眠っており、部屋の明かりは落としていたので、私は机の上の小さな電気スタンドの明かりを頼りに針を動かしていた。
柱時計の音が、ボン……と短く鳴った頃である。私は不意に、短い笛の音のような鳥の声を聞いた。
(こんな夜更けに、鳥……?)
何度となく聞こえるその声に、私は首をかしげた。鳥は夜には目が見えないのだから、飛び回っているはずなどないのだ。
気のせいかと思い、私はそのまま針仕事を続けたが、今度は何かが窓ガラスを叩く音を聞いた。トントン、トントン……と、まるで小指の爪の先で叩いているような、遠慮がちの音だ。
私は座ったまま窓辺にいざり寄ると、ほんの少しだけ窓を開けてみた。するとすぐ目の前の雨戸の敷居に、白い小鳥が澄ました顔でとまっていた。落ち着きなく首を振り、それでもそこを離れないさまは、何か用があって来たような風情だ。
(どうしたのかしら、この鳥)
そう思った時、小さいけれど、はっきりと聞こえた――「姉ちゃぁん」と私を呼ぶ、弟の声が。
私は部屋の中を見回し、さらに外を見たが、その声がどこから聞こえてきたのか、まったくわからなかった。やがて再び弟の声。
「ここだよ、ここ」
まさかと思い小鳥に顔を近づけると――何と小鳥の背中に、まるでおもちゃのように小さくなった弟が乗っているのだった。
「あんた、いったいどうしたの」
私の問いかけに弟は叫ぶように答えたが、それでも何を言っているのか聞き取れなかった。体が小さいので喉や肺も小さくなり、自然と響く声も小さくなっているのだ。
私が右手の人差し指を差し出すと、小鳥はぴょんと飛び乗った。そのまま顔の近くに持ってきて、ようやく弟の言葉がわかるようになる。
「久しぶりだね。元気だった?」
私たちがどんなに心配していたかも知らずに、弟の口調はのんきなものだった。
「それどころじゃないでしょう。いったい、どうしたっていうのよ」
私はできるだけ声をひそめて言った。同じ部屋で眠っている母と妹への気遣いだったのだが、思えば二人を起こしてあげた方がよかったのかもしれない。たとえおもちゃのような大きさでも、弟に会えれば母も妹も喜んだろうに――けれど、その時の私には、なぜかまったく、そういうことに気が回らなかった。
「ちょっと、遊んでいたんだよ」
それから弟は自分の身に起こった出来事を、つっかえつっかえに話した。
父と仏壇を買いに行った時、肩にとまっていた小鳥が突然に飛んでいってしまい、弟がそれを追いかけて迷子になってしまったところまでは、私の想像どおりだった。けれど、その先が、ずいぶん違っていたのだ。
小鳥を見失って弟が泣いていると、再び小鳥が肩に戻ってきて、弟に人間の言葉でささやいたというのである。
「修一さん、あなたのおかげで、こんなに元気に飛べるようになりました。そのお礼に、面白いところに連れて行ってあげますよ。どうぞ、私の背中に乗ってくださいな」
「そんなこと言われても、人間が小鳥になんか乗れるもんか。踏み潰しちゃうよ」
「大丈夫ですよ、不思議な呪文がありますから、私の言うとおりに唱えてごらんなさいな」
弟は小鳥の言うとおりに、その呪文を唱えた。すると肩に乗っていた小鳥がどんどん大きくなって鶏くらいになり、お茶箱くらいになり、自転車くらいになり、ついには自動車くらいの大きさになったそうである。
「わぁ、すごいや」
弟は思わず飛び跳ねて喜んだが、まわりをよく見ると、近くの木がとてつもなく大きくなっている。その様子を見て、初めて自分の方が小さくなっているのに気づいたらしい。
「さぁ、小鳥の国に行きますよ」
弟が背中に乗ると、鳥は言った。
「小鳥の国?」
「とても楽しいところです。お友だちがたくさんいますよ」
それから弟は鳥に乗って空を飛び、どこかの山の中にあるという小鳥の国に行ったという。そこには弟と同じように体の不自由な子がたくさんいて、みんなで楽しく暮らしているのだそうだ。
「そこで遊んでいたら、時間があっという間に過ぎちゃってね」
小鳥の国がどんなに楽しいところか、弟は熱っぽい口調で語った。その笑顔には一点の曇りもなく、弟が本当に楽しい毎日を送っているのだ……と私に思わせた。
「お父さん、亡くなったんだね」
ひとしきり小鳥の国の話をした後、弟は不意にまじめな口調になって言った。
「骨壷は帰ってきたけど、中には紙切れが一枚入っていただけよ」
南の島で玉砕した父の遺体は回収されず、届いた骨壷の中には名前を書いた紙が入っているだけであった。あんまりな話だとは思うが、当時では珍しいことでもなかったのだ。
「僕……帰ってきた方がいいかな」
弟は小鳥の頭を撫でながら、寂しそうに言った。「当たり前でしょう」と私は即座に答えかけたが――口に出る直前で、かろうじて言葉を噛み潰した。
当時は戦争中で、けして明るいとは言えない世相である。足の不自由な弟は、たとえ戻ってきても大変な思いをすることが多いのではないか。兵隊に取られる可能性は少ないだろうが、そのために逆に生き辛くなるかもしれない。
そう思うからこそ、私はこんな風に答えたのだ。
「いや、あんたは、帰ってこなくていいよ。もっと小鳥の国で遊んでおいで」
その言葉を聴いて、弟はひどく傷ついたような顔をした。
「そうだね……僕も小鳥の国の方が好きだ」
弟はそう言うと少し頬を膨らませながら、右足の踵で鳥の脇腹を蹴った。
あぁ、弟は誤解している……と私は思ったが、その時は遅かった。鳥はすばやく羽ばたいて宙に舞い上がると、そのまま暗い闇の中に飛んでいってしまったのだ。
「修一、違うのよ」
私は急いで立ち上がって外を見たが、すでに弟の姿も、鳥の姿も見当たらなかった。
あれから何十回と春は訪れたが、それきり弟は帰ってこない。むろん、白い鳥が家の軒先に現れたこともない。
きっと私は一生、弟に誤解されたままだ。
弟と鳥 朱川湊人
- 朱川湊人(しゅかわ・みなと)
- 1963年、大阪府出身。
出版社勤務を経て、2002年「フクロウ男」でオール讀物推理小説新人賞を受賞してデビュー。2003年 「白い部屋で月の歌を」で日本ホラー小説大賞短編賞を受賞。
2005年『花まんま』で第133回直木賞を受賞。
著書に『さよならの空』『わくらば日記』(以上角川書店)、『いっぺんさん』(実業之日本社)『スメラギの国』(文藝春秋)などがある。 - 笹公人(ささ・きみひと)
- 1975年、東京都出身。
17歳の頃に寺山修司の短歌を読んだことがきっかけで作歌をはじめる。
2003年、処女歌集『念力家族』(インフォバーン)を刊行。
04年、未来年間賞を受賞。主な著作に『念力姫』(KKベストセラーズ)、『念力図鑑』(幻冬舎)、『抒情の奇妙な冒険』(早川書房)、『笹公人の念力短歌トレーニング』(扶桑社)がある。
公式HP:http://www.uchu-young.net/sasa/


