最終回 元囚人、刑務所改革へ始動す。
6ヶ所での講演が予定されている。
『獄窓記』出版以来、すでにこれまで三十数回の講演を行なってきたが、いつも講演終了後には、話を聞いてくれた人たちとの間で意見交換をするようにしていた。そんななかで痛感するのは、やはり、障害のある受刑者に対する社会の無理解であった。そして、その根底には、彼ら罪を犯した障害者への、大いなる誤解があるように思う。「障害者」という言葉と「犯罪者」という言葉を重ね合わせ、頭の中で勝手に、モンスターのような人間を想像してしまっている人もいる。福祉関係者や更生保護関係者であっても、その例外ではない。福祉関係者には「罪を犯した人」を支援することへの物怖じが、そして更生保護関係者には「障害のある人」と関わることへの怯えが、それぞれ少なからずあるように感じられた。
今後の講演では、このあたりの偏見を取り除くための話に力点を置き、そのうえで、「触法障害者」と呼ばれる人たちへの支援を要請していこうと考えていた。
1月の中旬のことである。私は、約10年ぶりに、母校・早稲田大学を訪れていた。私が講演者として参加する予定の「早稲田矯正保護展」に向けた打ち合わせのためである。
「早稲田矯正保護展」というのは、矯正と更生保護の現状についての周知をはかることを目的としたイベントであり、法学部・I教授のゼミナール(犯罪者処遇法)及び第一文学部・F准教授のゼミナール(犯罪心理学)、それに「早稲田大学広域BBS会(BBSとは、Big
Brothers and Sisters Movementの略であり、非行少年の更生保護を支援するボランティアサークル)」や、大学に隣接する更生保護法人「更新会」などの共催によって、10年前から毎年開催されているのだという。学生が中心となって企画しているこの「矯正保護展」は、二部構成となっており、第一部が講演会、そして第二部では、学生たちが研究・実践した成果を発表するパネル展示などが行なわれるのだそうだ。私の出番は第一部の講演会で、与えられた演題は、「塀の中の高齢者・障害者たち」である。企画メンバーの学生が言うには、「矯正保護展」当日は、学内の大講堂に1000名以上の聴衆を集める予定らしい。
ところで、この講演依頼は誰から寄せられたのかというと、それは、法務省矯正局の総務課長を通じて紹介された、更生保護法人「更新会」の理事長からのものだった。理事長は、かつて法務省保護局の局長職にあった元検察官で、最高検察庁の公判部長も務めたことがある人物だという。こうしたキャリアからすると、つい強面の人を想像してしまうが、電話を通して聞こえてくるその声は、非常にソフトな感じだった。
「学生たちは、それはもう熱心に、矯正や保護のことを勉強しています。そんな学生たちが、是非山本さんの話を聞きたいと言っています。山本さん、どうか彼らの要望に応えてやってもらえませんでしょうか」
理事長の話によると、学生たちは、刑務所や少年院といった矯正施設への視察のみならず、「更新会」でのボランティアにも積極的に参加してくれているのだそうだ。この話を聞いた私は、本当に嬉しく思った。我が母校において我が後輩たちが、罪を犯した人間の更生を真剣に考え、そして、そのための活動も行なっているのだ。もちろん私は、理事長からの依頼は、二つ返事で引き受けた。と同時に、理事長に対して、事前に学生たちに会せてもらいたい旨も伝えていた。
このような経緯で、学生との懇談も含めた「打ち合わせ会」が行なわれることになったのである。
更生保護法人「更新会」関係者やI教授、それに学生が加わっての打ち合わせの席。学生やI教授からは、この1年間に調査した「高齢受刑者の実態」についての報告があり、私は、それに対して、自分の実体験を踏まえた感想を述べる。そんなやり取りを繰り返すなか、私の顔は、ほころびっ放しだったように思う。学生が示した「いまや刑務所が福祉の受け皿になってしまっている」という認識が、嬉しくも頼もしくもあったのだ。当然彼らは、刑務所内のこの状況を良しとしておらず、「なんとかしなくてはならない」との熱い思いも持ってくれている。さらに、「更新会」の理事長がこう話す。
「ここ数年に見られる出所者の特徴を考えると、更生保護の仕事は、刑事司法的視点だけではなく、福祉的視点を持って取り組んでいかなければならないと思いますよ。それくらい、高齢受刑者や障害を抱えた受刑者が増えているってことですね。ですから山本さんには、今度の講演のなかで、そのへんのところをしっかりと訴えていただきたいと考えています」
いまなお法務省への影響力を有するであろう元保護局長が、そう言うのだ。それに、学生たちも、刑務所の中の現状から見た「福祉の問題点」を指摘してくれている。私の気持ちは、ますます欣然となっていった。
こうしたなかではあるが、私は、この会が始まって以来ずっと、気になっていることがあった。部屋の隅に座っている二人の人物の存在である。どういうわけでこの場にいるのか分からないが、二人の男性はいずれも、スーパーゼネコンといわれる、あの大林組の社員だった。一人は40歳代後半くらいで、もう一人は30歳代後半くらいだと思われる。一応、二人とも、早稲田大学のOBだというから、私にとっては先輩と後輩ということになるのだが……。
打ち合わせも首尾よく進み、「矯正保護展」当日の段取りがほぼ固まったところでである。I教授が、改めて二人のことを参加者に紹介するとともに、二人に対しては、「何か報告があるんじゃないの」と、発言を促したのである。そこでだ。年長のほうの人物がすくと立ち上がり、恭しく一礼してから口を開いた。
「皆さん、こんにちは。私は、ただいまI先生からご紹介いただきましたように、大林組のPFI推進部というセクションに所属しております歌代と申します。そして、隣にいますのが、同じくPFI推進部の小川といいます。どうぞ皆さん、よろしくお願いします。実は私ども大林組は、昨年法務省が発表した、再来年4月に開設予定のPFI方式による刑務所、山口県『美祢社会復帰促進センター』の入札に参加するつもりで準備を進めているところなんです。そこでこの数ヶ月の間、国内外の刑務所について、いろいろと調査と勉強を重ねてきたんですが、つい先日も、フランスに行き、司法省や刑務所・拘置所を訪ねてまいりました。それで、もしよろしかったら、その報告をさせていただければと考え、今日はお邪魔した次第なんです。貴重なお時間のなか、誠に申し訳ありませんが、皆さん、よろしいでしょうか」
歌代と名乗るその人は、「皆さん」と言いながらも、話をしている間中、なぜか視線は、私のほうにばかり向いていた。したがって私は、まず自分が最初にイエス・ノーの返事をしなくてはならないと思った。
――日本の刑務所の話をしているときに、なんでフランスの矯正施設についての説明なんか受けなきゃならないんだ。
こうは思うものの、それを口にしたら身も蓋もないだろう。
「はあ、まあどうぞ」
本人の顔も見ずに、そう答えた私。かなり邪険な態度であったように思う。有意義に進めてきた学生や更生保護関係者たちとの語らいの場が、突然ゼネコンの人間が割り込んできたことによって台無しになった。そんな憤慨を覚えていたのである。純粋なる学生の前に厚かましく現れた、刑務所建設によって儲けようとするゼネコン社員。この時点での私は、大林組の二人のことを、こんなふうに見ていた。
「それでは恐れ入りますが、フランスにおける刑務所の実情について、報告させていただきます」
歌代さんが、遠慮気味に話を始める。しかし以後、私の頭の中には、話の内容はほとんど届いていなかった。別のことを考えていたのである。
それは、PFI刑務所についての考察だった。確かに歌代さんが言うように、法務省は前年の3月、PFI手法を用いて新しい刑務所を設置する方針を打ち出していた。場所は、山口県の美祢市というところで、刑務所の新設は、1983年の北海道「月形刑務所」以来およそ四半世紀ぶりとなる。ただし、このたびの新施設については、「刑務所」という呼び方はせずに、「社会復帰促進センター」という名称になるのだという。名は体を表す、という言葉があるように、この名称変更に対して期待する部分もあるが、やはり「監獄法」という法律のもとにあっては、施設運営はそうは変わらないと思う。
ところで、そもそもPFIというのは、一体どういうものなのか。
プライベート・ファイナンス・イニシアチブ(Private Finance Initiative)という英語の略文字「PFI」は、イギリスで生まれた行財政改革手法のひとつであり、公共施設の建設や維持管理などを民間の資金力と技術力を活用して行なうことを意味する。これによって、社会資本の整備を効率的かつ効果的に進めていこうとするもので、我が国においても、その根拠となる法律が1999年に「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律(PFI法)」として制定された。思えば、当時の私は、衆議院建設(現・国土交通)委員会の委員として、この法律の審議に加わっていたのだった。議員立法で提案されたPFI法案は、共産党を除く各会派の賛成により可決となったのだが、私自身、正直言って、若干不安を抱いていたところもある。PFI事業を請け負った民間事業者が経営破綻した場合はどうなるのか、また、事業者が収益性の確保に走り、結果的に公共サービスの質が低下してしまう恐れはないか、などなどである。だが、民間の知恵とノウハウを生かして公共事業の効率化をはかり、その透明性も高めるという、PFI法の基本理念には全く異存はなかった。
――しかしそれにしても、PFIの手法が、刑務所建設にまで用いられるようになるとは……。
私は、議員当時のことを思い出し、ある種の感慨を覚えていた。が、現在の自分に戻ると、今度は逆に、強い反発を感じてしまう。
――ゼネコンの人間なんかに、刑務所のことが分かるか。
そんなふうに思い、ゼンコンの社員がこの場に同席していること自体、腹立たしくなってきた。振り返ると、約12年間の議員生活のなかで、スーパーゼネコンといわれる企業の社員との交流も多少はあった。大林組の社員とは直接的に面識はなかったが、他のゼネコン社員と付き合うなかで受けた印象はといえば、残念ながらいずれも、あまり好感を持てなかった、とういことになる。どうしても彼らに対しては、「談合」というイメージが付き纏うのだ。
「どうも、ご清聴ありがとうございました」
ようやく、歌代さんの話が終わった。だが、「ようやく」と思ったものの、時計に目をやり時間を確認してみると、その話は20分間ほどでしかなかった。配られた資料のボリュームからすると、随分と話を端折っての説明だったようである。それは、私の態度を気にしたうえでの配慮かもしれないと思う。私のなかに、少し申し訳ないという気持ちが生まれてきた。私は、歌代さんに向かって、思わずこう口にする。
「この資料、家に帰ってから、じっくりと読ませてもらいます」
すると歌代さんは、瞬時にして表情を緩め、「ありがとうございます」と大きな声を発した。そして、重たそうな鞄の中から、さらなる資料を取り出す。
「どうかこの資料にも、目を通していただければ有り難いです」
分厚いファイルを差し出された私は、「何ですか、これ」と言い、すぐには受け取ろうとしなかった。
「すみません、突然。実はこれ、『美祢社会復帰促進センター』に関しての、私どもが収集した資料なんです。邪魔になるかもしれませんが、時間のあるときで結構ですからお読みいただければと思います。それで可能でしたら、ご意見など頂戴できれば……」
「はいはい、分かりました」
私は、話を遮るようにそう言って、とりあえず、資料だけは受け取った。
最後は私のせいで、やや不穏な空気が流れたかもしれないが、打ち合わせ会は無事終了した。そして、それぞれが帰路に就く。そんななか、またも歌代さんが近づいてきて、私に頭を下げながらこう言うのだ。
「突然私どものような者が押しかけてきて、気分を悪くされたと思います。本当にすみませんでした」
このとき、はじめて歌代さんとしっかりと目を合わせたが、その瞬間、実に実直そうな人物だと感じた。私は、笑顔をつくり、言葉を返す。
「いいえ、こちらこそ失礼があったんじゃないかと思います。先輩に対して、申し訳ありませんでした」
しかし、それ以上の言葉はでてこなかった。意識的に会話にブレーキをかけているようなところもある。自衛本能が過敏に反応しているのかもしれない。
――自分が目指していることと、この人たちがやろうとしていることとは、そんなに接点はないのではないか。この人たちは、施設建設というハード面での仕事を請け負う人たちなのだ。ハードとソフトが結びつかないことはないし、自分自身、刑務所という建物のあり方について興味がないこともない。いや実は、率先して関わってみたいという気持ちがなくもない。でも、いま自分がやるべきことは、刑務所の造作についてあれこれ意見を言うことではないと思う。それよりも、ソフト面の改革につながるような活動を優先させなければならないのだ。けれど、決して意志が強くない自分のことである。ここで、歌代さんの話に乗ったら、ずるずるとそちらのほうに流されてしまうかもしれない。
私の気持ちのなかに、そんな危機感が芽生えていたのだ。先ほど来の歌代さんの様子からすると、きょう大林組の二人がここに来た目的は、私と会うことであるように察せられる。それはそれで大変有り難い話なのだが、私は刑務所建設アドバイザーではない。
――歌代さんとは、もう二度と会わないほうがいいだろう。
そうも思った。だが、そんな私に対して、歌代さんは、なおも執拗に話しかけてくる。
「最後にもう一度、しつこいようで恐縮ですが、是非『美祢社会復帰促進センター』の資料をご覧いただきますようお願いします。それで是非、山本さんの刑務所運営に対するご意見を伺いたいんです。受刑者の人たちへの処遇はどうあるべきかとか、社会復帰のためにはどういう教育を行なえばいいのかとか。実際に受刑者として生活してこられた山本さんにしか分からないことも多いと思います。どうかお願いです……」
そんなふうに食い下がる歌代さんだったが、私は、次の予定もあったため、振り切るようにして、その場を立ち去った。
都心での別の用事を済ませ、自宅へ帰る電車の中、私は、何度も歌代さんの話を思い起こしていた。どうしても気になる言葉があったのだ。確か歌代さんは、「刑務所運営に対するご意見を伺いたい」と言っていた。さらには、受刑者への「処遇」や「教育」についても関心を持っていたようにも思う。
――「社会復帰促進センター」事業を落札したとしても、PFI事業者が行なうのは、建物の建設や維持管理のみだ。それがなぜ、「処遇」や「教育」についてまで興味を示すのだろう。
そんな疑問が、頭から離れないのだ。歌代さんから受け取った資料を見てみたいと思うが、満員電車の中では、分厚いファイルを開くことはできなかった。
家に戻った私は、すぐさま、歌代さんに渡された資料を鞄から取り出した。
――えっ、そうだったのか。
1ページ目を見ただけで、抱いていた疑問が氷解したのである。最初に綴じられていたのは、法務省が発表した「美祢社会復帰促進センター」の事業実施方針だった。そこには、こう書かれてある。
――本事業は、単に施設の設計・建設のみならず、公権力の行使に直接かかわる業務を除いて、広く運営も民間に委託し、官民協働による刑務所を新設するものでありまして、「民間にできることは民間に」という構造改革の方針に従い、刑務所という治安インフラの整備にも民間の資金、ノウハウ等を活用し、更には、刑務所の運営についても民間参入を拡大するなど、官製市場の開放による雇用創出や経済効果をもたらすことをねらいとしております。 ―中略― 法務省としては、民間の創意工夫が発揮されることにより、効率的かつ効果的な施設の整備・運営がなされ、一人でも多くの受刑者が、人間としての誇りや自信を取り戻し、再犯に至ることなく健全に社会復帰を遂げることができるよう、将来の矯正行政にとって有意義なご提案をいただけることを期待しております。
ここで述べられているように、このPFI事業は、施設の設計・建設・管理を民間に委ねるだけではなく、運営という、いわばソフト面に至るまで民間が参加することになるのだ。どうも私は、勘違いしていたようである。矯正におけるPFI事業は、施設整備中心の、いわゆる「箱ものPFI」だと思い込んでいた。普段、人様に向かって、刑務所について分かったような話をしている私だが、全くの勉強不足だった。
――恥ずかしい限りである。
私は、そう深く反省しつつ、資料を読み進めていった。
法務省が1ヶ月ほど前に示した「運営業務要求水準書」もファイリングされており、庶務的業務や保安業務に対する要求、さらには給食業務における要求など、そこには優に100項目を超える要求事項が記載されていた。そこで、私が注目したのは、職業訓練や教育業務に関する要求事項であった。
――全受刑者が平日1時間(週5時間)以上の職業訓練が実施できるよう、必要な職業訓練科目を確保し、提供すること。
――社会復帰に必要な職業知識や技能を修得する職業訓練は、社会の労働需要に見合った訓練科目となるよう務めること。
――社会貢献を実現するための職業訓練として、おおむね100名程度の受刑者に点訳作業を実施すること。
――集団でのカウンセリング指導などを実施できるよう、外部講師の手配・連絡調整等を行なうこと。なお、集団でのカウンセリング指導は、薬物乱用防止教育、認知行動療法、アンガーマネジメント(怒りの管理)など、本人の問題性に着目して、集団指導を行なうものである。
――受刑者の問題性に応じての、改善更生及び社会復帰に有効な教育を企画し、実施すること。
このような内容が列挙されているのだ。本当にこれらのことが取り入れられれば、受刑者処遇はかなり変わることになるだろう。私は、ひとつひとつの項目に頷き、そして感嘆していた。こうした提案がすべて法務省によってなされているという事実に、大きな喜びを覚えていたのである。
ほとんどの要求事項が、私の考えと一致していた。それぞれがまさに、私が7ヶ月前に法務省における講演で口にした、「充実した処遇」につながるものだと思った。しかも、これらの事項は、あくまでも最低要求水準である。したがって、施設を運営することになるPFI事業者に対しては、これ以上のきめ細かな受刑者処遇を求めている、ということになる。私はそこで、ふと歌代さんの顔を思い浮かべた。
――当然、歌代さんも、この要求水準書はしっかりと読み熟しているだろう。そうであるならば、この事業への応札を決めるには、相当な覚悟が必要だったのではないか。
こう考えると、歌代さんに対するきょうの私の態度は、はなはだ不謹慎だったのではないかと思う。それこそ、ゼネコン社員に対する大きな偏見が、私のなかにあったのではなかろうか。人様には、特定の人たちに対する偏見を取り払うように求めているにも拘らずだ。全くもって、了見の狭い私である。
私は急に、また歌代さんに会ってみたくなった。今度は、じっくりと腹を割って話をしたいと思った。
こうした場面では、私もせっかちなところがある。
――そうだ、すぐに電話を入れてみよう。それで、歌代さんの都合がつくようであれば、あしたにでも会おう。
翌日の夜、私は、次の日の早朝に愛知県の岡崎医療刑務所を視察する予定だったため、東京駅近くのホテルに宿泊していた。いや、その日のうちに名古屋あたりまで行ってもよかったのだが、ある事情により、急遽、宿をとったのである。
午後7時過ぎ、ベッドに横たわり、資料に目を通す私。来客にそなえて、服は着たままだ。手にしているのは、前日歌代さんが配付したフランスの刑務所についての報告書である。
――なるほど、そうか。
資料を読んでみて、なぜ歌代さんがフランスの刑務所に行ったのかが、よく理解できた。世界各国に民間が関わる刑務所が数多く存在するなか、日本の法務省がPFI刑務所を新設するに当たって、そのモデルとしているのが、フランスにおける「官民協働型」の刑務所だったのだ。
歌代さんが作成したこの報告書によると、フランスのこうした官民協働刑務所では、民間運営事業者側が、出所者の4割以上に、就職先を斡旋しているのだという。そして、就職した後も、受け入れ企業と出所者の双方に対するリサーチを続けるのだそうだ。なるほど、と思う。それは多くの企業が刑務所運営に関わっているからこそ、可能となる話であろう。運営事業者の関連企業が、出所した受刑者に広く門戸を開き、そしてその後の生活もフォローしていくのだ。
「いまのお前らは、まだ罰を受けている期間なんだ。就職のことなんかは、刑務所から出たあとに考えろ」
服役中、このような刑務官の言葉をよく耳にしたものだった。結果、現在に日本では、受刑者のほとんどが就労の当てがないまま出所の日を迎えることとなる。報告書を読むと、そんな我が国の刑務所とフランスの官民協働刑務所では、受刑者の就労に関する意識が全く違うことが分かる。
法務省が行なった2003年の調査では、保護観察中の出所者の再犯率は、有職者が7.6パーセントであるのに対して、無職の者は39.7パーセントとなっており、その差は約5倍だ。当然のことではあるが、職のない者は職に就いている者と比べ、再犯者となる可能性が格段に高いのだ。その意味では、再犯防止の一番の策は出所者への就職斡旋である、ということが言えるかもしれない。にも拘らず、法務省は、出所者の就労について、有効な方策をほとんど見出せないでいる。だが日本の場合も、PFI方式の刑務所の出現によって、新たなる出所者就労策が生まれてくるかもしれない。フランスの官民協働刑務所における成果は、そんな期待を抱かせてもくれる。
歌代さんの報告書の中には、そのほかにも興味深いレポートが、そこかしこに溢れていた。教育、刑務作業、医療、給食など、多岐にわたる観点からのその報告は、一方で、専門書を読むようなアカデミックさも感じた。たぶん、歌代さんという人物は、非常に研究熱心な人なのであろう。それに、非常にアクティブな人でもある。
私からの電話を受け、「都合のいい場所と時間をおっしゃってください。どこにでも参りますから」、そう答えてくれていたのだ。
そして私は、そんな言葉を意気に感じ、逆に歌代さんの都合に合わせることにしたのである。
歌代さんが、私の宿泊するホテルを訪ねてきたのは、午後8時を少し回った頃だった。前日も同行していた小川さんと、それにもう一人、私と同い年くらいの男性も伴っていた。
私を含めた四人は、すぐに、近くの飲食店へと場所を移した。
「連絡をいただいて、本当に嬉しく思いました。ありがとうございます」
まず歌代さんは、相好を崩してそう言ってくれた。その横では、小川さんが大きく頷いている。
もう一人の人物は、川谷さんという人で、名刺には「PHP研究所 デジタル事業本部 企画制作課 課長」と記されてあった。歌代さんの説明によると、PHP研究所も大林組とともに「美祢社会復帰促進センター」の運営計画の立案に関わっているのだそうだ。川谷さんは、畏まった様子で言う。
「私どもは、これまでも法務省に教育教材を納めておりまして、山本先生も刑務所の中でご覧いただいたかもしれませんが、受刑者に見てもらうための教育ビデオなんかもつくっているんです」
確かに、服役中の私は、教育訓練の期間や仮釈放前の時期に、あわせて10本以上のビデオを視聴していた。
「そういえば、そうでしたね。あれって、PHP研究所でつくっていたんですか。薬物乱用防止の教育ビデオは、ちょっといただけませんでしたが、釈放前に見た、ドラマ仕立てのビデオは、なかなかよくできていましたね。それから川谷さん、すみませんが、私のことを先生と呼ぶのはよしてください」
「そうですね、そうさせていただきます。私のほうがちょっと先に生まれていますから」
こんな会話の後、次第に場は和んできて、互いの細かい経歴なども披露しあった。川谷さんは、私より少し年上で、やはり大学の同窓だった。在学中は、前日に会ったあのI教授のゼミに籍を置いていたそうで、そんな関係上、いまは歌代さんや小川さんも含めて、I教授に教えを請うているのだという。
「きのうの会に誘ってくれたのは、I先生なんです。『山本譲司さんと会えるから、是非来なさい』って。それで、ただ行くだけじゃー胡散臭く思われるでしょうから、フランス視察の報告もさせていただいたわけなんです。実は私、2ヶ月ほど前から、ずっと山本さんにお会いしたいと思ってたんです」
歌代さんは、前日の裏話をこう語り、続いて、なぜ私に会いたかったかを説明してくれた。
「私が刑務所PFIに関わり始めたのは、去年の8月くらいからなんです。『美祢社会復帰促進センター』の入札広告が11月に、そして説明会が12月に行なわれるということで焦ってはいたんですが、はじめの1、2ヶ月間は、何をどうすればいいのか、その手立てがなかなか見つかりませんでした。刑務所のことなんて全く分かりませんでしたからね。それで、参考書として何度も何度も読ませていただいたのが、山本さんの書かれた『獄窓記』なんです。私だけでなく、大林組の刑務所PFIのメンバーみんなが読んでいます。おかげさまで、刑務所の現状がよーく分かりました。で、次に、刑務所をどう変えればいいのか、ということになりますが、そこで私は、去年の10月、ポレポレ東中野という映画館で上映されていた『ライファーズ』という映画を観に行ったんです。確か、山本さんもゲストスピーカーとして出演されたそうですが、私はあの映画を観て、『これだ!』と思いましたね。日本の刑務所にも、アミティが必要だと思いました。そして、アミティが実践しているような、『治療共同体』的更生プログラムを是非とも取り入れたいと思いましたね。なんといっても、『人間としての生き直し』という発想が素晴らしいですね。感動すらしました。それでです、私の頭の中で、アミティと山本譲司さんとが重なったわけなんです。是非、山本さんにお会いしたいと思いました。お会いするだけでなく、一緒に運営に関わって欲しいとも思いました」
この話を聞き、私のなかに、熱いものが込み上げてきた。だが、目の前にいる歌代さんは、それ以上に熱くなっているように見える。私は、その熱い思いに、なんとか応えたいと思った。
「歌代さんのお考え、大変すばらしいですね。アミティのような受刑者処遇を行なうという考え、私も心から賛同しますし、その実現のためでしたら、なんでもお手伝いさせていただきたいとも思います」
そうなのだ。私も、あの『ライファーズ』を観たときから、歌代さんと同じような思いを抱いていたのだった。なんとしても、日本の刑務所におけるアミティを実現させたい。そう思っていた。しかし、そのための方法は、全く見つからず、半ば諦観モードに入っていたところだった。いや、意識の外に追いやりつつあった、と言ったほうがいいかもしれない。いくら必死になってみても、それが叶わぬ夢であるならば、結局は徒労感だけが残ってしまうのではないか、と考えていたからである。
だが、いま目の前に突然、夢を形にするチャンスが現れたのだ。私は、天にも昇る心地になった。本当に夢を見ているのではないか、とさえ思う。
「アミティがやっているような刑務所をつくるためには、この事業を、是が非でも落札しなくてはならないと思っています」
歌代さんが、真剣な表情で言う。
――そういえば、そうだった。落札しなければ、事業を運営することはできないんだ。いまは、入札すらしていない段階だったんだ。
夢見る心地から現実に引き戻された私に、歌代さんは、さらに入札の件について言及する。
「ほかの応札グループとの差をつけるのは、入札価格だけではありません。それよりももっと重要なのは、提案書のなかに盛り込む、施設運営のコンセプト、そしてその中身だと思っています。どうか山本さん、お知恵とアイデア、それに情熱を、我がグループにお貸しください。お願いです」
そう言って、深く上半身を折る歌代さん。「絶対に『美祢社会復帰促進センター』の運営事業者になるんだ」という意気込みが、痛いほど伝わってくる。
――これだけ強固な意志のある人が、責任者なんだ。きっと、この大林組のグループが事業を落札することになるのではないか。
歌代さんには、そう思わせるような迫力があった。ところでそういえば、大林組のグループとは、どのような企業が参加しているのだろうか。PHP研究所は分かったが、そのほかには……。私は、その点について質問した。
すぐに、歌代さんが答える。
「私どものグループは、ほかにあのアルソックの『綜合警備保障』、医療と介護の『セラム』、それから『富士通ビジネスシステム』と『松下電工』、そして総合商社の『丸紅』も参加してくれています」
かなりの大企業がついていることになる。
だが、歌代さんの把握している情報によると、応札を予定しているグループは、ほかにもふたつあり、それぞれが、なかなか手強い相手だという。ひとつは、警備保障会社の最大手「セコム」を中心とするグループで、そこには、「清水建設」「竹中工務店」「新日本製鐵」「日立製作所」「日本ユニシス」「小学館プロダクション」「ニチイ学館」などが参加しているのだそうだ。そしてもうひとつは、「NTTデータ」と山口県の地元企業「宇部興産」が中心となっているグループで、ここには、「大成建設」「飛島建設」「オリックス」「協和エクシオ」といった企業が参加しているらしい。なるほど、いずれのグループも、参加企業はそうそうたる顔触れだ。特に、スーパーゼネコンといわれる企業は、「鹿島」を除いてすべてが、この事業に参入しようとしているようだ。
「本当に、強敵だと思います」
小川さんがそう嘆息を漏らすが、私の視点は、別のところにあった。
――これだけの企業が、刑務所に興味を持ってくれているんだ。たとえば、これらの企業が少しずつでもいいから、出所者を雇い入れてくれたら、どんなにか再犯者は減るだろう。でもその考えは、性善説に過ぎるのではないか。刑務所運営事業に関心を示しているだけで、受刑者には興味のない企業も多いのではないか。
そんなこんなを考えるが、いずれにせよ、いまの私は、刑務所運営に関わることができるかもしれない立場となっているのだ。漠然としたことを思索するよりも、ここは、ひとつひとつの課題に対する提案を、より具象のものとして完成させていくべきであろう。
その後、四人の会話は、「施設運営のコンセプト」、あるいは「受刑者処遇のあり方」についてのテーマを中心に進んでいった。
「病院というところは、患者自らが病気と向き合う場所ですし、そして病院側がその患者の病気が回復するような治療と環境を提供する場所ですよね。私たちが目指すべき刑務所も、病院と同じような考えで運営する必要があると思います。まずは、『罪を犯した自分と向き合う』という姿勢、それに『生き直しをしたい』という姿勢を、受刑者の人たちに能動的に持ってもらうためのサポートが必要でしょうし、受刑者がそういう姿勢になったら、そのあとは、『治療的教育』を重視していかなければならないでしょう。その結果、受刑者個々が生まれ変わり、再び罪を犯すことなく、やがて社会の担い手となっていく。そんな刑務所にしたいですね」
施設を運営するにあたっての理念は、歌代さんのこの言葉に集約されていると思う。それはまさに、アミティが行なう「治療共同体」の発想だった。
受刑者処遇や施設運営の細かい中身に関しても、四人の口から次から次と、具体的なアイデアが出されていく。
編集部より
『獄窓記』という一冊の本が、己の本質を目覚めさせ、一人一人の胸に改革への意志という楔を打ち込んでいく。そして繋がりゆく出会い。やがてそれは共感に変わり、仲間となり、元囚人を刑務所改革の第一歩まで導いたのだった。果たしてPFI刑務所は落札できるのか。そして、理想の福祉を実現することができるのか? 続きは2月中旬に配本になります、単行本『続
獄窓記』にてお楽しみください。読者の皆様、数々の山本譲司さんへのメッセージありがとうございました。 |