古本道場(海外編)角田光代

八月某日

 ウィーン行きはかねてからの悲願だった。ハブスブルグ家もザッハートルテもなんにも知らないが、私の大好きな小説に、ウィーンのことがことこまかく出てくる。ジョン・アーヴィングの「ガープの世界」である。「ホテル・ニューハンプシャー」にも、ウィーンは登場するのだが、印象として、「ガープの世界」のほうが強い。
 というのも、ガープとともにウィーンに引っ越した母親が、一日じゅう小説の執筆をしているので、ひまをもてあましたガープはウィーンの町をくまなく歩きまわる、という記述があるからだ。何通りから何通りへ、ナントカという博物館からナントカという教会へ、という具合に、路地の名前、建物名、地名、市場の名前が、「ガープの世界」には頻出する。それで、ガープが歩いたとおりにウィーンを歩く、というのが、小説ミーハーの私の悲願だった、というわけだ。
 ウィーンに着いて翌朝、「ガープの世界」をガイドブックがわりにして、私はホテルを出た。ウィーンはちいさな町で、中心街をまるく囲むように路面電車が走っている。路面電車の一日パスを買って乗りこめば、ほとんど一日で見所はすべて、見ることができる。もちろん、そのくらい狭い町だから、路面電車を使わずとも、歩くことだってできる(が、これは一日八時間歩いても平気な私の感覚なので、一般的見地としてはどうかわからない)。
 私がウィーンでいちばん見たかったのは、歴史博物館である。ここには、クリムトとエゴン・シーレの絵があるが、ほかにはほとんど派手な展示はない。観光客もほとんどいない。しかしここが私にとってウィーンの目玉であった。ウィーンに着いた翌日、私は早速、歴史博物館へと赴いた。
 ここに何があるかというと、グリルパルツァーというオーストリア作家の部屋が、そのまま展示されているのである。
 小説の執筆に忙しく、まったく市内を観光しないガープの母、ヘレンが、自分でいった数少ない博物館のうちのひとつが、このウィーン市歴史博物館で、彼女はその話をガープにする。作家の部屋、一個がそのまま展示されているのだと、母から聞いたガープは、早速それを見にいって、「なんの変哲もない」「幅広い作家のベッドやテーブルじゃない」という感想を持つ。そうして彼は、オーストリアでしか知名度のないこの作家の著作を読むのだが、読んで、そして大嫌いになる。
 とはいえ、このグリルパルツァーはガープに多大な影響を与え、彼は処女作「ペンション・グリルパルツァー」を書き上げる、という次第。
 歴史博物館にたどり着き、グリルパルツァーの部屋をさがして、一階、二階と館内を歩いていると、なんだか馬鹿みたいに緊張してきた。大好きなスターの出待ちをしている少女はこんな気持ちなんだろうか。
 そうして、最上階にグリルパルツァーの部屋はあった。「あったー!」と叫びたいほどうれしかった。たしかに、部屋は狭く、ベッドも机も箪笥も、ちいさめに見えた。ちいさいおうちに住む日本人の私から見ても、ちいさめに見えた(このあとベルリンで見た森鴎外の仕事部屋のほうが、広い)。
 私はその狭い一角を飽きず眺めた。ガープがこうして立ったのだと思って、ガープの視線をたどるように眺めた。見てどうということはない。見るだけでうれしい。正真正銘の、ミーハーである。
 博物館を出て、「ガープの世界」をガイドブックに町を歩いた。そうしてみると、この本の記述がひどく正確であることがわかる。もちろん、町の印象はだいぶ違う。ヘレンとガープがウィーンに引っ越したのは1961年、とある。そうしてガープは、ウィーンの印象を、「死の町」として語る。陰気で、戦争の災禍から立ちなおっていない。私が旅した2005年はもちろん、戦争のなごりなどまるで見受けられない、陰気さのかけらもない、美しい町だ。しかし、小説は建物と通りの名前とある場所からある場所への移動手段を正確に描き出し、それらが今なお現存しているから、私は架空のガープを、自分の前に歩かせることができる。
 ナッシュ市場は、現在ではトルコ料理のデリとアジア食材店が多くなっているが、私は、そこで果物を買っている娼婦のシャルロッテを見かけるガープを見ることができる。その果物がオレンジだろうということもなぜか見える。そしてシュテファン寺院へと続くケルントナー通りは、現在では夜でも観光客がそぞろ歩くにぎやかな道になっているが、私はまたしても、ひっそりと暗闇に沈む通りと、そこここに立つ娼婦と、そのあいまを背を丸めて歩くガープを、見ることができる。
 そうしていると、数日しか滞在しないウィーンという場所が、通り一遍の観光地ではなくて、自分だけに何か深い意味を持った、単なる旅行とも違う、特別な場所に感じられる。こういう旅の仕方も、おもしろい。
 さて、明日ハンガリーに向けて出発、という最後の日、例によって「ガープの世界」を読みなおしていた私は、古本屋についての記述があるのに気がついた。
 件のグリルパルツァーの部屋を見たあとで、ガープはグリルパルツァーの著作を読みあさるのだが、「ハブスブルガー通りの古本屋で英語版の翻訳を見つけたが、それを読んでも大嫌いの印象に変りはなかった。」と、ある。
 そういえば、このウィーンで、私は古本屋を見ていなかった。ぜひともこの、「ハブスブルガー通りの古本屋」にいってみたい、という気持ちになった。私はそこでも、ガープを見ることができるだろう。すべての壁を覆う書棚、床にも積み上げられた本、グリルパルツァーの部屋のように狭く薄暗い空間、埃のにおい、私には読めないドイツ語の背表紙、きっと無愛想な店主……小説にはさっきの一行しか記されていないのに、私はなぜか、その古本屋をすでに見知っているような気にさえなった。
 結論からいうと、私はその古本屋を見つけることができなかった。そこにいこうと思ったのが出発前の夜だったし、手持ちの地図からハプスブルガー通りを見つけることもできなかった。それで次の日の午前中、(小説のなかでガープがそうしたとおり)シュテファン寺院そばのスタンドで、ウインナーとコーヒーの朝食を済ませ、荷造りをして、飛行場へ向かった。
 しかしながら、旅を終えて思うのだけれど、なんだか実際に、私はその古本屋へいったような錯覚を抱いている。そこは想像通り、狭く、薄暗く、客に無関心な店主がいて、私はグリルパルツァーの名前を苦労して見つけて手にとり、英語版のそれも読めなさそうだとあきらめてもとに戻し、そうして陽光の明るいおもてへと出た……そんなふうに思うのである。これは、小説の魅力である。力のある小説というのは、そんなふうに人の記憶を変化させたりするのだから、つくづくすごい、と思わずにはいられない。
 あと数年後にウィーンの旅を思い出すとき、光景のなかにはいつもガープがいるに違いない。

八月某日 ブダペスト

 ブダペストが、ブダ地区とペスト地区でできている町って知っていましたか?
 例によって私はちっとも知らなかった。そもそもハンガリーがオーストリアと近いことも、ほんの少し前まで共産圏であることも、知らなかった。
 おおざっぱに言えば、ブダ側はゲッレールトの丘や王宮の丘など観光名所が集まっていて、ドナウ川を挟んだペスト側は(もちろん名所はあるが)レストランやスーパーや目抜き通りのある繁華街っぽい地域。私はブダ側の、温泉施設のある大ホテルに泊まっていた。
 ブダペストは、ウィーンから直接くると、なんでも馬鹿でっかく見える。通りも建物も、川も空も、やけにでっかい。ヨーロッパの町というよりサンクトペテルブルグに似ている、という印象を私は持った。
 ハンガリーではほかの取材の仕事があって、ほとんど自由時間がなく、地理を覚える間もなくブダペストから地方の町へいき、帰ってきてまたすぐ明日出発、というようなスケジュールだった。ウィーンでは古本屋を見かけなかったし、ここもきっと、古本屋は見つけられまい、と思いつつ、わずかな自由時間でペスト地区を歩いた。
 そうしたらなんと、あったのだ、古本屋。しかも、一軒じゃない、その通り、ずらりと古本屋。早稲田の古本街を、ミニチュアにしたような感じ。
 地図で見ると、国立博物館前の、Muzeum korutという通り(博物館と反対側の歩道)だ。
 残念なのが、この自由時間が夕方六時過ぎで、全部店じまいしていたこと。それでも、鉄柵の閉まった店内をガラス越しにのぞきこむことはできる。一軒一軒、のぞきこんで歩いた。ガラス越しに見るだけでも、店々の個性がうかがえておもしろい。フローリングに内装も凝ったお洒落な店もあり、本、本、本!という感じの、硬派な古本屋あり。ショーケースを出している店もあり、そこに並んだ本を鉄柵越しに見ると、なんとも美しい本が並んでいる。くすんだ色使いの、絵本、児童書の挿し絵が、子どもっぽくなくて本当にすてき。大人向けの本の装幀も、美しいものが多く、店が閉まっていることが本当に残念だった。ハンガリー語はもちろん読めないんだけれど、きれいな本って、なぜか触りたくなるし、所有したくなる。
 私は旅する無知だから、古本を見ても、装幀の美しさや挿画のきれいさに「わー」とか「ひゃー」とか言うだけだけれど、歴史に詳しい人が見たら、共産圏時代と現在との本(印刷、内容、挿画、装幀)の違いや、昔の本の共通点など、きっとおもしろいことをいっぱい知っているんだろう。ロシア側から受けた影響、ヨーロッパ側から受けた影響の違いなんかも、きっとあるに違いない。こういうとき、無知はちょっとかなしい。
 自由橋に続く通りにぶつかって、短い古本ストリートは終了。
 閉店後に見つけたのはくやしいけれど、ブダペストに古本ストリートがあるなんて知らなかった。ガイドブックにも載っていない。古本好きの方、ハンガリーにいく機会があったら、ぜひ国立博物館前の通りに足を運んでみてください。
 ところでこの夜、私とK社の編集者、Tさん、カメラマンのMさんは、猛烈に中華料理が恋しくなって、熱に浮かされたように町をさまよったのだけれど、なんと一軒の中華料理店も見つけられなかった。二手に別れたり、聞き込み調査をしたりと、いろいろやってみたのだが、成果はなし。結局一時間以上さがしまわって、見つけられず、べつのレストランにいった。
 古本屋はあっても中華料理屋のない、荘厳な町。それが私のブダペストの印象。

九月某日 ベルリン

 ドイツ、あるいはベルリンに対して、私はなんの前知識も、「きっとこういうところだろう」というような推測も持たずにベルリンに着いた。着いてびっくりしたのは、町のいたるところにクマがいること。もちろん本物のクマではなくてクマの置物。私の背丈よりもでかいクマの置物が、ホテルの前やレストランの前、ただの路上に置いてある。赤や青と色もさまざまで、レインボーカラーのクマもいた。
 ベルリンは、どこから歩きはじめるかで、だいぶ印象が変わるんじゃないかと思う。たとえば、ベルリン動物園のあるツォー駅周辺から歩きはじめたら、なんとなくざわざわした、煩雑な町というイメージを、ベルリン全体に持つのではないか。ツォー駅周辺は、上野にちょっと似ていて、人も多いし、車も多いし、なんとなく荒っぽい雰囲気。
 ソニーセンターのあたりから歩きはじめたら、まったく新しい町という印象になると思う。ボツダム広場には真新しいビルが並んでいて、レストランやカフェの入ったソニーセンターも、なんだか未来的な建物だ。
 ベルリン大聖堂周辺を最初に見たら、ふるめかしく重々しい歴史の町に思えるだろう。ベルリン大聖堂をはじめ、中州にある博物館の数々は、建物がいちいち壮大で、威圧感がある。
 古本の好きな人なら、ミッテ地区から歩き出すことをおすすめする。ミッテ地区というのは、かつての東ベルリンに属していたため、開発の波に遅れかつての古い建物が残っている(ガイドブックより)。
 その建物が、現在、お洒落な雑貨屋や洋服屋やカフェに使われている。ミッテ地区は、ツォー駅周辺やソニーセンター周辺よりも、現在の、等身大のベルリン、という雰囲気である。
 ミッテ地区の、ハッケシャー・ホーフ(古いアパートがショッピングモールになっている)を過ぎて、北へ向かって歩いていくと、ツォー駅ともソニーセンターとも違うベルリンが広がっている。実際、歩いていると、雰囲気ががらりと変わるのがわかる。車道の両側には、カフェが並び、洋服屋が並び、雑貨屋が並び、店が並んでいるのはその他の通りといっしょなのだが、空気がもっと、まろやかでゆるやかになる。
 こういうたとえはどうかと思うが、しかしあえていえば、中央線のゆるやかさに、ひどく近しいのだ。中央線沿線の、阿佐谷や西荻に、町の空気が非常によく似ている。古い八百屋とポップな古着屋とお洒落な雑貨屋が、同じ通りに並んでいるあたり、まさに中央線。行き来しているのも、いったい何をしているのかわからないひま成人(成人なのに、仕事もせずぶらぶらしている人のこと)。
 アジア料理屋もいきなり増える。インドカレー、ベトナム料理、タイ料理、中華料理。カフェの数がまた半端でなく多い。若い人がはじめたのだろう、ずば抜けてお洒落な店や、プラスチックのテーブルと椅子を並べただけの簡素な店から、需要と供給のバランスを心配してしまうくらいの数があって、しかもどの店にも、ちゃんと人がいるのが不思議である。
 この周辺は、かつて東ベルリンと西ベルリンの境界だったらしい。西の新しさよりは、東の古さのほうが、まだ残っている。だから、どことなく、ださい(中央線沿線的だささ)。しかし文化の香りはどこよりもする。それは博物館の島みたいな、重厚な文化ではなく、動き続けている、生ものとしての文化である。
 古本屋があるとしたら、この通りだ。直感的にそう思って歩きはじめたのだが、あった、あった、本当に。ブダペストの古本通りほどではないが、数軒が点在している。
 さすが、岡崎師匠に武の字をもらっただけのことはある(角田武光というのが、師匠にいただいた名前)、と自画自賛したくなったが、そうではなくて、たぶん、世界じゅうに中央線的場所というのはあるんだろう。少々泥臭くて、生の文化が息づいていて、芸術家系の若者が集まって、必然的にゆるやかな空気が漂う場所というのはどこにでもあって、そういう場所には当然、古本屋も多くなるんだろう。
 真新しい、店先に洒落たポストカードを並べたような古本屋と、元祖古本屋といった風情の、洒落っけのない本ずらり的店とが、混在している。なんとなく西荻窪の町を思い出す。
 なかに入っても、もちろん私に読める文字はたいへんに少なくて、「カフカ」「ケンザブロウ オオエ」くらいしかないのだが、なんとなく店々に立ち寄って、書棚を眺めた。どの店も、うっすらと埃くさく、薄暗く、いかにも古本屋然としている。まったく客に注意を払わない店主たちも、世界共通。
 思うに、ヨーロッパの本屋は、凝っていないのにディスプレイがうまい。ガラス戸越しに見たハンガリーの古本屋、はたまたベルリンの新旧の古本屋、どちらも、必要以上に平積みにしたり、コーナーを作ってそこを目立たせようとしたり、面出しの一角を作ったり、そういうことはいっさいしておらず、ただ天井まである棚にびっしり本を詰めこんでいるだけなのだが、それがなんとも本を素朴で美しいものに見せている。かつてウルムチで、中国の人にとって本はモノではなく中身なのだと思ったが、ここでは本は、中身でもあるが同時に完全なモノである。だからおしなべて装幀が味わい深く、ただ並べただけで美しく見えるのだ。
 ベルリンの古本屋は、どこもがらがらに空いていた。東京の古本屋より空いている。それでも、おもてに出されたワゴンの前で、学生らしき若い人が立ち止まり、ワゴン内の本をぱらぱらとめくっていたりして、陽にさらされたその様を、暗い室内から眺めるのは、なんとも心落ち着くことであった。

 もう一箇所、うれしくなるような古本売場を見つけた。フンボルト大学である。アインシュタインが卒業したこの大学の門に沿って、ずらりと青空古本市が出ている。校内にも続いている。早稲田の青空古本市とおんなじで、区画ごとに出店者が違う。この古本市は人でにぎわっていた。私も立ち止まり、ワゴンの本を眺めてみたが、やっぱりちんぷんかんぷん。それでも、美しい本の背表紙を眺め、手に持ち、なかの挿し絵を眺めるだけでも、じゅうぶん楽しかった。芝生敷きの校内と、古本のワゴンは、なんだか妙に、心なごむ光景だった。開いたページが、陽をあびて白く輝くのも、うれしくなるようななつかしさだった。
 ところで、古本とはまったく関係ない感想。ドイツ人は日光を好きすぎると思う。公園という公園で、寝転がっていない人を見ない日はなかった。夏の江ノ島か、というくらい混んでいる公園もあった。カフェも、全員おもて席。どんなに混んでいてもおもて席。なかはがらがらなのに!
 さらにもっと関係ない疑問。全身革の服、露出した肌には入れ墨、髪逆立て、のパンクスをよく見かけたんだけれど、なぜか、彼らはひとなつこい大型犬を連れていることが多い。犬連れのパンクスって、たいへん可愛らしく見える。本当にしょっちゅう見かけるから、この黄金の組み合わせはなぜ?流行?とちょっと不思議に思ったのでした。

 

角田光代(かくた・みつよ)
1967年神奈川県生まれ。作家。
90年「幸福な遊戯」(海燕新人文学賞)でデビュー以来、『まどろむ夜のUFO』(野間文芸新人賞)、『ぼくはきみのおにいさん』(坪田譲治文学賞)、『空中庭園』(婦人公論文芸賞)、『対岸の彼女』(直木賞)など受賞多数。「本がなくなり、電子媒体だけになる前に死んでしまいたい」と語るほどの本好き。


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