「グラウンド・ゼロがくれた希望出版記念特別対談」
 2001年9月11日、アメリカ・ニューヨークを襲った同時多発テロは、全世界の人々に恐怖と戦慄を与えた。テロの標的となった世界貿易センタービル、堤さんはその向かいのビルに勤務していてテロと遭遇することとなった。9・11で多くのものを失った堤さんだが、時間の経過とともに少しずつ、「希望」を取り戻しはじめている。今回は、堤さん初の著作である『グラウンド・ゼロがくれた希望』刊行を記念して、堤さんと、同時通訳の神様と呼ばれ、アメリカ文化についても造詣の深い元参議院議員の國弘正雄さんに、9・11が残したもの、そして9・11以後の世界を生きる私たちがなすべきことについて、語っていただいた。

空襲体験から9・11を俯瞰してみると

  2001年9月11日、私は世界貿易センタービルの隣のビルに勤務していて、同時多発テロに遭遇しました。あの事件は私にとって、自分の人生そのものを変えてしまうほどの衝撃でした。けれど「9・11」は、アメリカという国について、世界の在り方について、そして自分自身について見つめ直すきっかけにもなったんですね。そのことが結果として、この本(『グラウンド・ゼロがくれた希望』)を書くことにもつながっていきました。國弘先生は長年、日本とアメリカの架け橋的な役割をなさってこられ、私自身、先生のアメリカへの関わり方に以前からとても感銘を受けている者のひとりなのですが、今回は9・11が残したものについて、さらに9・11以後を生きる私たちは何を考え、何をすべきなのかといったことを含めて、先生といろんなお話をさせていただければと思います。

國弘 ちゃんとしたお答えができるかどうかわかりませんが、どうぞ(笑)。

  ではまず、『グラウンド・ゼロがくれた希望』をお読みくださった先生の率直な感想をお聞かせいただけますか?

國弘 まず非常に感心したのは、あなたに文才があるなということ。ただしそれは、学者としてのいわゆる「extrinsic(非本質的)」な、そういった種類のものではないんだね。「intrinsic(直覚的)」と言うのかな、日本語にうまくならないんだけれど。情念と言ってもいいかもしれない。もしくは感性とか志と言ってもいいかもしれない。それにあなた自身の対象やテーマに対する、人間としてのトータルなコミットメントが非常に豊かである、そういったことを文面から感じました。

 どうもありがとうございます(笑)。

國弘
 本の中で「黒い塊がビルから落下してゆく」という箇所があるでしょ。こういう言い方をしてはいけないんだろうけれど、すごい描写だと思うんだよね。つまり、人が飛び降りて空から降ってくる、それをあなたは見たというわけだ。僕はそういう体験をしたことがないから想像がつかないんだけれども、ひとつとっかかりがあるかもしれないと思うのは、戦時中の空襲体験だよね。僕は神戸で三回空襲に遭っていて、空襲で真っ黒焦げになって亡くなった人たちもたくさん見た。僕にとって非常に近しい、お兄さんのような人が、焼夷弾の直撃を大腿部に受けて、みるみる息絶えていった、そんな光景も目の当たりにした。だから僕にとっての戦争体験というのは、かなり生々しい体験であるわけだよね。だからこそ僕は「非戦」であるわけなんだけど。その体験があるから、あなたが経験された非常に劇的な、「人がビルから落下してゆく」ような状況も、ある程度までは想像できるかなとも思うの。そしてもうひとつ、あなたの本の中で印象的だったのは「アメリカ人は善人づらをしている」という表現。僕が使ったんじゃないよ(笑)。

 ええ。実際に私が言った言葉ですね。

國弘
 あなたは、アメリカというものに対してものすごく強い憧れを持っておられた。アメリカという文明や国家そのものを愛しておられた。「愛する」という言葉をあえて使えばね。そうしたあなたの中の「アメリカ至上主義」的な考え方が、9・11以降の、たとえば『ゴッド・ブレス・アメリカ』をあらゆる人が口ずさむという、「国粋主義的愛国主義」にぐるっと囲まれたわけだよね。あの時点から、あなたはアメリカに対してある種の違和感を感じはじめたんだよね。

 はい。

國弘
 アメリカが本当に好きで、反米主義とか非米主義とか、あるいは嫌米主義になんかなりっこないようなあなたが、あの世界貿易センタービルの物理的な崩壊とともに、気持ちの中でも何かが崩れていったんだろうね。でも、あなたがアメリカに対して抱いた違和感というのは、実は僕自身がずっと持ち続けている違和感でもあるんだけれど。

 そうなんですか?

國弘
 その違和感はどこから来ているのだろうと考えたときに、やはりひとつは太平洋戦争中、B29による大空襲や、広島と長崎に落とされた原爆に象徴される、圧倒的な軍事力によってアメリカに叩きのめされた、という思いがあるわけだよね。そういう敗戦体験が、アメリカへの「負のイメージ」「許し難いもの」として自分の気持ちの中に徹底的に刻み込まれてしまったのだと思う。もちろん日本のアジアへの侵略が契機となったあの戦争を正当化する気持ちなんて毛頭ないんだけれど、アメリカに対してはずっと違和感を持ち続けてきた。そうした思いがあるものだから、あなたの中にあった何と言うのかな、一種の「夢が音を立てて崩れた」という気持ちは実によくわかるんだよ。

  私は戦争を体験していない世代ですので、逆に「善きアメリカ」のイメージだけで、アメリカに憧れを持ち続けた世代なのだと思います。

國弘
 そうかもしれないね。

  ですから、本当によいイメージだけを抱いてアメリカへ留学し、アメリカのライフ・スタイルに身を置くことが自分の幸せにつながるのだと信じ、ひたすらそれを追い求めようとしていました。だからこそ、あのテロに遭遇して、それまでまったく見えなかったアメリカの「影の部分」を知ることになり、本当にショックを受けました。

超大国・アメリカの功と罪

  先生からご覧になって9・11以後のアメリカというのは、どういったところが明らかに変化したと思われますか?

國弘
 逆説的な言い方をすれば、あの9・11がなかったとするならば、今のブッシュ政権のあの傲岸不遜な世界戦略はなかったと思うね。

堤未果(つつみ みか)
東京生まれ。高校卒業後に渡米。ニューヨーク州立大学国際関係論学科学士号、ニューヨーク市立大学大学院国際関係論学科修士号取得。国連婦人開発基金、アムネスティ・インターナショナル・ニューヨーク支局勤務を経て、野村證券ニューヨーク支社に勤務していた際、同時多発テロに遭遇した。現在は帰国して、執筆、講演活動をおこなっている。
  先生のおっしゃる通りで、少なくとも9・11の後、アメリカ人を含めて、ただおめでたく「アメリカはすばらしい」というプラスイメージは持たなくなったと思います。「何かがおかしい」とアメリカ国内でも多くの人たちが思い始めたんですね。この本の中にも出てくるのですが、たとえば科学者のロレーンさんだとか、『戦争中毒』というマンガをプロデュースしたフランク・ドリルさんだとか、9・11でお兄さまを亡くされた後、平和活動に従事しているポトーティさんだとか、アメリカが同じ過ちを犯さないように立ち上がった人たちはたくさんいらっしゃいます。ポトーティさんのお兄さまが亡くなったというニュースを知らされたとき、彼のお母さまは「この苦しみを世界中のどの母親にも味わわせたくない」とおっしゃったんですね。誰にも怒りや恨みをぶつけることをしなかった。その言葉を聞いてポトーティさんは人生観が変わり、「ピース・トゥモロー(平和な明日)」という平和活動のためのグループを作ったんです。ポトーティさんやフランク・ドリルさんを見ていると、アメリカの中にも「善きアメリカ」を体現している人たちが確実に存在しているのだと思いますね。

國弘
 そうだね。

  ポトーティさんは私に「僕はずっとアメリカ国内にいて戦争経験がなかったからいままでわからなかったけれど、9・11のような悲惨な出来事に自分が遭ってはじめてわかるということが、アメリカ人にはたくさんあるんじゃないか」と言っていたんですね。フランク・ドリルさんも「僕は愛国者で、ずっと軍人としてアメリカのために戦ってきた。アメリカはテロに対して報復という政策をとったけれど、日本は原爆に対して報復という選択をとらなかった。そのことは、軍人として愛するアメリカのためにずっと戦ってきた僕には全く考えもつかなかったけれど、9・11という未曾有の経験をしてはじめて、そのことの素晴らしさ、日本人の寛容性に気づかされた」と言っていました。私は、日本人の本質的な素晴らしさというものを、彼らに教えられたんです。

國弘
 それはものすごくよい体験をなさったと思うね。僕も根生いのアジア主義者だからね、どう考えても(笑)。それに、自分のことを反米主義者だとは思わないけれど、嫌米主義者ではあるからね。「國弘みたいに長くアメリカにいて、アメリカを最もよく知る日本人の1人でありながら、彼は嫌米主義者だ」などと、自身アメリカに詳しい筑紫哲也が書いているけれど、それは実際そうなんだよ。けれど、アメリカという国家はやはりすごいと思う面はたくさんあるわけだよね。たとえば、僕がアメリカ人の中で最も尊敬し敬愛しているのは、フレンド派(キリスト教の一派)の人々なの。なかでも、ペンシルヴァニア州のフレンド派の人々というのが、アメリカでは最も正統的なフレンド派なんだよね。そして彼らは、絶対平和主義で実際的に非戦を貫いているんだ。

 戦争になった場合は、どうするんですか?

國弘
 戦争には行くんだよ。ただそれは、衛生兵として、あるいは軍医として、敵味方の区別なしに負傷者を助けるために行く。「身に寸鉄を帯びず」という古い日本語があるけれども、身にピストル1丁、ナイフ1本すら持たずに戦場へ行く。だから殺されることはあっても、絶対に殺すことはしない。そこは徹底したヒューマニズムと言うのかな、「汝、殺すなかれ」というモーゼの十戒を頑なに守っている。これは大変なことだよ。「國弘、お前にそれができるか」と言われたら、「理想だと思いますが、くやしいながら私にはできるとは思えません」と正直に言うね(笑)。だからこそ、僕は彼らを心底尊敬しているんだよ。

日本人であることの「希望」

  9・11以降、アメリカ国内でいろんな人たちにインタビューをした際、反戦派の人たちが日本の平和憲法を「すばらしい」と話してくれました。「日本の平和憲法を自分たちも見習うべきだ」という声が、確実に増えてきているんですよね。

國弘
 それはとても嬉しい反応だね。

 ええ。私はそのとき、あらためて日本という自分の生まれた国に誇りを持ちました。と同時に、9・11以降の国際社会において、日本人がこれからできることというのは、思ったよりもたくさんあるんじゃないかと考えはじめたんです。

國弘
 その点で僕がひとつ危惧を抱くのは、果たして日本に「パブリック」という概念があるのかどうか、ということなんだよね。

  と、言いますと?

國弘正雄(くにひろ まさお)
1930年、東京生まれ。“同時通訳の神様”として知られる。NHK教育テレビ講師、日本テレビニュースキャスター、参議院議員、東京国際大学教授等を歴任。現在、英国エジンバラ大学特任客員教授。主な著書に、『英語の話しかた』(サイマル出版会)、『英会話・ぜったい・音読』(講談社インターナショナル)、訳書にE.ライシャワー『ザ・ジャパニーズ』(文芸春秋)、『地球憲法第9条』(講談社インターナショナル)などがある。
國弘 私的な感情は当然あると思うんだよ。たとえば「私憤」とかね。日本人というのはけっこう恨みがましい人種だからね(笑)。私(わたくし)の恨みつらみや、その他の個人に依拠した感情というのは十二分にあると思うけれども、公(おおやけ)の問題に対する感情が果たして日本人にあるのかどうかということを、僕は疑問に思うんだよね。

 私もアメリカへ行く前に、やはり先生と同じように思っていたことがあるんです。けれど昨年、13年ぶりに帰国してみると、若い人たちがNGOだとか、その他のボランティア活動に積極的に参加していたりするんですね。彼らに理由を尋ねてみると「達成感の得られることや、熱くなれるものがほしい」と。みんな思うところがあるんですよね。そういう意味では、ずいぶん日本も日本人も変わってきているんだと思います。

國弘
 あ、そう。あなたの印象というのはとても貴重な観測、感じ方だと思う。それが事実だとしたら本当に嬉しいね。

  日本人はすごくピュアで寛容だと思いますし、とても優しい民族なんだって、帰国してからあらためて感じたんです。

國弘
 アメリカへ行く前はそう思わなかった?

  思わなかったですね。日本に対してうんざりしていたし、日本人ぽくなりたくないな、と肩肘を張っていたところがあったんです。けれど帰国してからは、白黒をつけない、どんなことでもまず受けいれる日本人の寛容性というものを、誇りに思うようになりました。

國弘
 そうだね。寛容性というものが、古来より日本国民に根ざし、受け継がれてきたものであるならば、僕もできるだけ若い人たちと付きあって、僕たちの世代が体験したことを、そして日本人として生きてきた僕自身の思いを伝えようと思っているからね。

  先生や私の父の世代から私たちの世代がバトンを引き継ぎ、さらに下の世代へ私たちがバトン・タッチしていく……愛すべき日本の国民性をそうして受け渡していくことが、9・11以降の世界の中で、日本人として誇りをもって生きていくための希望になっていくのだと私は思います。

國弘
 まぁそうだと思いますよ。だから僕は、倦むことなく、飽きたりなんかしないで、子どもたちの世代に語り続けなくちゃいけないだろうと。それが後世に対する責任だろうとは思うけれどね。でも正直これが大変なんだよ、僕や僕の世代は圧倒的なマイノリティだから(笑)。

 先生、そんなことをおっしゃらずに(笑)。これからもどんどん私たち若い世代に向けてメッセージをお送りください。今日は本当にありがとうございました。


(6月9日・国際文化会館にて収録)





『グラウンド・ゼロがくれた希望』
著者:堤 未果
定価:1575円(本体:1500円)
判型:四六判上製
ページ数:207頁
2001年9月11日-アメリカと世界を変えたその日、自分の人生も大きく変わってしまった。一人の日本女性がテロのPTSDを乗り越え、世界のために立ち上がった人々と出会うまでの、2年間の記録。
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