将棋雑誌の編集に携わった後、2000年にノンフィクションとしてのデビュー作『聖の青春』で第13回新潮学芸賞、翌年『将棋の子』で第23回講談社ノンフィクション賞を受賞。また今年の3月に文庫化された小説家としてのデビュー作『パイロットフィッシュ』は2002年に第23回吉川英治文学新人賞を受賞している。単行本も異例のロングセラーであったが、文庫も若い女性を中心として、驚異的な売上を見せている。今回トピックスでは孤独の先にあるものを指し示す最新作の短編集『孤独か、それに等しいもの』について、伺いながら、大崎氏の小説家としての存在理由(レーゾン・デートル)に迫る。

大崎善生(おおさき・よしお)
1957年、札幌市生まれ。2000年、デビューノンフィクション『聖の青春』で新潮学芸賞を、翌年には第2作『将棋の子』で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。また、02年には初の小説作品『パイロットフィッシュ』で吉川英治文学賞新人賞を受賞。エッセイ、ノンフィクション、フィクションとジャンルを跨いで、人が生きることの孤独さ、困難さを優しさで包み込む物語世界に多くの読者が共感し、支持する。他の著書に『アジアンタムブルー』『九月の四分の一』『ドナウよ、静かに流れよ』『ロックンロール』『編集者T君の謎』などがある。
 

「実存するものであればいいな、と思って書いている」

――最新短編集『孤独か、それに等しいもの』は初めての試みとなる女性を主人公にした作品が5作品のうち、3作品をしめる。これまでは男性の視点で描かれてきた大崎氏の小説。しかし本作では女性の一人称が本来の文体ではなかったか、と錯覚するほどに、女性の視点が自然に精緻に貫かれている。女性ならではの危うさ、儚さ、弱さ、そしてしなやかさ。孤独を抱えている人間ほど、優しくて、強い。新しい大崎氏の世界感が生まれてきたようだ。

私の小説はもともと女々しいんですよ。昔からそれは感じていたんですけど、ものの感じ方と捉え方が本質的に女性的なんだと思います。だから男性一人称で書くとき、10あるうちの6か、7ぐらいに感情を抑制しながら書いているという意識があったんです。けれど今回、女性視点で書くことでテンションを10のままに保って書くことができた。男性視点だと書けないセンテンスや言葉、プロットがいたるところで使えました。なんだか自由でしたね。書いてて楽しかったです。

――女性の視点での新しいリアリティを獲得した大崎氏。この短編集の最後を締めた「ソウルケージ」では、心が崩壊してしまった主人公の女性が、瓦礫の下から若芽が芽吹くがごとく再生する様を描ききった。人間の心の奥深くに自ら分け入って、闇の向こうに微かに見える光を小説で表現する。その小説作法の秘密はどこにあるのだろうか?

いつも小説を書くのはほんとうに難しいなぁ、と思いながら書いているんだけど、僕の小説に対する考え方っていうのは、最初の短編集『九月の四分の一』(新潮社刊)に収録されている表題作によく現れていると思うんです。あの作品に出てくるエピソードで、アールヌーヴォー様式のとある建築についての話があるんだけど、「ビルは設計図に則って造られていく。でも、できあがるのはその通りの造形と機能だけなんだろうか」と主人公は疑念を抱くわけです。デザインや機能美を超えて、たとえビルが消え去ろうとも残る観念のようなものがあるのではなかろうか、と。機能も設計図も前もって考えられていないそういう存在があるだろう、と。つまり僕にとっても小説がそんな風に実存するものであればいいな、と思って書いている。
よく書き出しのことを褒められたり、ストーリーの構成について聞かれたりするんだけれど、僕は書き出しで悩んだことはないんです。パソコンの前に座って、キーボードを叩いて、その叩き始めたものが書き出しになってるだけなんだよね。10行書いて、またその10行を無駄にしないように10行書いて、というふうに積み重ねていくだけ。一文一文実感みたいなものを重ねていく先に小説はあると信じてね……。だから書き終わるまでその作品がどうなるのか自分でもわからないんですよ(笑)。

「全ての武器を搭載した作品」

――男性視点、女性視点、ふたつの視点を手に入れた大崎氏。小説家として、大きな何かを越えたように感じる。現在、書店では文庫化された処女作『パイロットフィッシュ』と最新作『孤独か、それに等しいもの』が並べて陳列されている。小説家・大崎善生の出発点である、限りない優しさに満たされた至高のロングセラー小説『パイロットフィッシュ』と最新作の間にはいかなる思考の棋譜を残してきたのか? 

大学時代に小説家を目指してた頃、3枚ぐらいしか書けなかったことを考えると、デビューしてからずいぶんと書いてきたこともあって、コツみたいなものを掴んできた感覚はある。締め切りや枚数、責任の中へと自分を厳しい状況に追い込んで、いや自分で追い込んでるんだけど(笑)、感覚がどんどん研ぎ澄まされてきている気はしているんです。でも誰でもデビュー作はそうだと思うんだけど、2作目があると思って書かないでしょ? だから自分の持ってる武器、言葉だとかプロットだとかもうありとあらゆるものを搭載してる作品が『パイロットフィッシュ』なんです。時々、読み返しても、ある意味贅沢な本だなぁ、と思います。

「小説を完成させるのは読者だと思っているんです」

――大崎氏によって磨かれた言葉の数々に読者は魅了される。美しく流麗なセンテンスがゆっくりと心の深海域まで辿り着き、やがて涙となって発露する。人間の心の襞に染み込む小説を紡ぐ著者にとって、読者とはどのような存在なのだろうか?

僕は『野性時代』の人気調査や、読者カード、インターネットの書評などかなり気にして見るほうですね。時には紀伊國屋書店のPOSデータを見ることもあります。それは自分がどれぐらいの読者を獲得しているのか、どんな人がどういう風に読んでいるのかが、僕にとって凄く大事なことだから。編集経験が長かったっていうのも大きいかもしれない。生まれつきの物書きはそんなことしないでしょうから。僕は小説を完成させるのは読者だと思っているんです。読者の感性の中で初めて小説は完成する。私はそのお手伝いというか、橋渡しをしている感覚ですね。だからどういう風に僕の小説が読まれているのかは、僕にとって、とても重要なんです。

――サルトルやボーヴォワール、ウィトゲンシュタインなどを読み漁り、理論武装した若き日々。将棋の世界に身を深く沈め、思考の闘いの極致をその肌感覚に刻み込み、作家としての道のりを歩み出した。
「パイロットフィッシュ」「アジアンタムブルー」「九月の四分の一」「ロックンロール」。
大崎氏はここまでが自分の作品群の中でひとくくりだと言う。そして次の一歩を「孤独か、それに等しいもの」で軽やかにではあるが確かな感触を持って踏み出した。大崎氏はその深い思索を今度はどんなふうに形にしていくのだろうか?


次は女性の一人称での長編が書いてみたいと思っています。短編が書ければ、長いのも書けるはずなんですよ。10のテンションのまま、長編を描きたい。まぁ、ちょっと今は長編を書く時間があまりないですけど……。(氏は月に約20本の締め切りに追われる生活)
あとはねー、なんていうかなぁ、もっとファジーで、理路整然としていなくて、でも言葉が凄く際立っているような小説が書きたいですね。ひとつのところに収束していくものではなく、逆に放射状にバラバラと分解していくような大長編をいつか書いてみたいね。

  ダ・カーポの連載“西荻日記”で有名な大崎氏の愛する街、JR中央線西荻窪駅近くの喫茶Rにてお話を伺いました。

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『孤独か、それに等しいもの』収録作品解説

「八月の傾斜」
【概要】
現代の喧騒の中で、退屈と孤独を放し飼いにしているような女性。その内面には、高校時
代に付き合っていた彼の言葉がいつまでも残っていた。「大切なものを失くしてしまうよ」。傾き始めた彼女の八月とピアス穴には、儚くて切ない物語が隠されている。

【本人のひと言コメント】
これは酔っ払っていたときになんとなく思いついたフレーズがあって、その場にいた編集者にメモをとってもらって、後から教えてもらって、そのフレーズを成立させるために状況をつくっていきました。そのフレーズは女性一人称の小説じゃなければ、使えませんでしたね。

「だらだらとこの坂道を下っていこう」
【概要】
“恋愛にも飽和点があるものなのだろうか。たとえば山でいえば頂上のような場所だ。恋をして結婚をして子供を作り、人間がそうやって何かに向かって登攀していく生き物なのだとしたら、いったいどこがその頂点となるのだろう。”30代半ばを過ぎ、仕事にも家庭にも向かうべき何かを見出せなくなっていた主人公。彼が乗った混雑したモナコ行きTGVが南仏のど真ん中で停止してしまう。広がる田園風景、呑気に流れるボブ・マレーのレゲエ、風に揺れるタンポポの中で辿りついた答えに誰もが暖かい気持ちに包まれる。

【本人のひと言コメント】
短いながら、女性に人気が高いみたいです。一人でヨーロッパを旅していたときに、こういう状況に遭遇したんですね。なんだか突然、非日常な世界に放り出されたなぁっていう感覚があったんですね。そのときにいつか小説でつかえるかなぁと思っていたのです。

「孤独か、それに等しいもの」
【概要】
“孤独を感じたことがない、という孤独をどれぐらいの人が理解してくれるだろうか”
双子の姉妹の奇妙な一致が引き起こす孤独とそれを乗り越える柔らかな再生の物語。「ロックンロール」で見せた自然体で柔らかな文体と深く心に突き刺さる女性一人称の切なさの融合に大崎節の真骨頂が見え隠れする。

【本人のひと言コメント】
これはねー、ぶっちゃけて言ってしまえば、締め切りが近づいてて、何も書くこともなくて(笑)、こまったなぁと思っていたら、ファンの方とたまたまお会いする機会があって、サインしてあげてちょっとお茶飲んで話をしていたら、実は私双子なんですよ、って話になって、双子の姉妹の子どもの頃の生活をつぶさに聞いていて、面白いなぁと。書くつもりはなかったんですけど、家に帰ってなんとなく書いてたら、色々と繋がってきて書けちゃったんです。作品の中のオヤジギャグは、私が西荻で主催する「オヤジギャグの会」での日々の研鑚の成果かもしれません(笑)。

「シンパシー」
【概要】
“たとえば一冊の本を読めば、一冊分の知恵がつく。ビール一本飲めば、ビール一本分の幅ができる。そんなふうに考えていた時期があった。”40を少し過ぎた主人公が約20年前の出来事を振り返る。足し算的には捉えきれない、人生からこぼれてしまった弱く儚いものたちへの共鳴が胸に切なく響く。

【本人のひと言コメント】
この作品を僕は読み返せなかったんです。気分悪いの書いちゃったなぁ、読者に申し訳ないなぁって書き終えた後、1週間ぐらい落ち込みました。単行本になるときに、やっと読み直して、直そうって気で読むんだけれど、直すところがない。やっと僕の中でも消化し始めた、僕の作品の中では異質な作品かもしれない。

「ソウルケージ」
【概要】
“魂の籠に捕らえられている”
編集プロダクションに務める29歳の美緒。あらゆる観念、悲しみや苦しみ、嘆き、慟哭、孤独感、虚無感を自らの意志で抑え込んできた。自分の中に住むという獰猛な“傷だらけの熊”を飼いならすために……。やがてあることをきっかけにして彼女の精神は一気に瓦解する。灰色に凍えた世界に、柔らかな暖かい光が差し込んでくる奇跡の物語。

【本人のひと言コメント】
単行本のタイトルにという話もありましたが、「パイロットフィッシュ」「アジアンタムブルー」の連作だと、読者を混乱させるおそれがあるので、つまり山崎のお話じゃないですよ、ということでカタカナのタイトルを避けたんです。実際に中に出てくるエピソードの取材に栃木と山口へ、足を運びました。私自身こういう鬱の経験はありませんが、実感としてはなんだかわかる。私の本質的なところと分かち難く結びついているのだと思います。


構成/文 編集部

『孤独か、それに等しいもの』
大崎善生 著
定価:1470円(税込)
版型:四六判上製
ページ数:222頁
角川書店刊


『パイロットフィッシュ』
大崎善生 著
定価:500円
版型:A6(文庫)
ページ数:247頁
角川書店刊


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