17世紀のヴェトナムを舞台にした、画期的な王朝ミステリーが誕生した。作者はフランス系ヴェトナム人の姉妹作家。刊行を記念して来日した、姉のタンヴァン・トラン・ニュットさんが語る、創作の裏側とは?

トラン・ニュット(Tran-Nhut)
パリ在住のヴェトナム系フランス人、キム・トラン・ニュットとタン・ヴァン・トラン・ニュット姉妹のペンネーム。1962年にタン・ヴァンが、63年にキムがヴェトナムのフエに生まれる。父親は数学、母親は自然科学の教授で、71年にフランスへ移住。99年、キムの発案により、姉妹の共同執筆による『緋色の鶴の寺』(Le temple de la Grue ecarlate)を発表。17世紀のヴェトナムを舞台に、若くしてマンダリンとなった母方の曽祖父を主人公(マンダリン・タン)のモデルにしたミステリーだった。この作品が話題となり、シリーズとして4作品が書かれている。『王子の亡霊』はそのなかの2作目にあたり、今回が初めての邦訳となる。

【ストーリー】
17世紀ヴェトナム王朝の都タンロン。悪政と異常気象は農民たちの反乱を招き、かつての栄華には翳りが射しはじめている。そんな都に招き寄せられるように、上洛したマンダリン(帝国官僚)・タンと側近の文士ディン。二人の身辺には、陰陽五行の法則にのっとった奇怪な殺人事件が次々と起こる。連続殺人事件の犯人は誰か? かつて謎の死を遂げた王子の亡霊は、何を訴えているのか? 宦官、権力者を取り巻く美女たち、象使い――華やかな宮廷にうごめく陰謀と謎の迷宮から、タンは脱出できるのだろうか? パリ在住のベトナム系フランス人姉妹がおくる、王朝ミステリー。

◇激動の時代を舞台に

物語の舞台に選んだ17世紀のヴェトナムには、ずっと以前から興味を持っていました。なぜなら17世紀はヴェトナムにとって、危機の時代でしたから。皇帝を頂点とした中央権力が衰えはじめ、二つの氏族――北のチン家と南のグエン家が対立し、農民の叛乱がおこってきます。秩序をたもつ権力があるはずの帝国官僚(マンダリン)にも、もはやその力がなくなっていたのです。
一方、外に目を向けると、17世紀はヴェトナムが世界に向かって開かれようとする時代でもありました。イエズス会士たちやポルトガル人、日本人の商人たちが、それぞれ支配の拠点を求めてやって来るという、国の内外に混乱の要因がある状況が生まれていました。さまざまな社会システムが変化を余儀なくされているこうした時代には、おのずとドラマが生まれると思いませんか。

◇ヴェトナムの男性と女性

――小説のなかで、男性は権力をめぐるシステムの一部として、自分達がどのように行動すべきなのかを議論するのが印象的でした。その一方、「芍薬夫人」や「リム夫人」など、女性たちには自分の本能に従って、自由に行動させています。こうした描きわけは、意識的なものですか?

17世紀のヴェトナムでは、儒教の教えを守る男性が「権力」を握っていました。家系の存続と祖先を祀ることが至上価値の儒教の教義によれば、何より大事なのは一族の先祖崇拝で、それを任されたのは男だけだったのです。さらにいえば、科挙試験を受験できるのも男だけでした。だから女の子よりも男の子が望まれましたし、「ある沼の水を飲むと男の子が授かる」という伝説もあったたくらいです。

とはいえ、当時のヴェトナムの女たちは、同時代の中国にくらべると、むしろ解放されていたと言えます。なぜなら、中国では女は家の中にいるべきでしたが、ヴェトナムでは女たちも村の生活に参加し、農作業に従事していましたから。

私にとっては主人公のタンや男性の登場人物は自然に書けたのに、女性を書くのは難しかったですね。自分でもよくわかりませんが、私自身は科学を専門にして、教育を受けたので、論理的に考え、行動する主人公を書くほうが合っているのでしょう。私を知らないフランスの読者は、著者は男だと思い込んでいるようですよ(笑)。

◇物語を動かす陰陽五行

――小説のなかでは、陰陽五行説に則った、連続殺人事件が起こります。日本人には馴染みが深いこうした世界観や中国やヴェトナムの文化は、フランスの読者にどのように受け取られたのでしょう?

ヴェトナムの文化や世界観は、フランスではまったく知られていませんでした。でも物語を読むことで、アジアの魅惑的な世界観を学び、興味を持つようになったフランス人は多かったですね。陰陽五行の原理や、宇宙の仕組みについての理論体系を説明すると、フランス人もそのシステムの論理と整合性に感心してくれるんです(笑)。

昔のヴェトナム社会や文化については、パリの図書館で勉強しました。そこで当時のイエズス会士や旅行者、医師が書いた文献を読みました。それから両親は昔のヴェトナムの伝説を語ってくれました。中国との戦争で活躍した、実在する英雄の神話的伝説と亡霊が出てくる幻想的な伝説――この二種類の伝説を両親から受け継ぎました。このことは、作家としての想像力の源になっていると思います。

◇フランス語で書く理由

――タン・ヴァンさんは英語も堪能ですよね。小説を書くと決めたとき、フランス語を選んだのはなぜですか?

よい質問ですね(笑)。私と妹は両親と一緒にヴェトナムを離れ、6歳のときにアメリカに渡り、その後フランスに移って、フランスの小学校で学びました。ちょうどその頃、やや抽象的で洗練された物語を読み始め、学校では創作的な作文を書かせられたので、創作とフランス語は分かちがたく結びついています。一方、私にとって英語は大学で学んだサイエンス(情報工学)の言葉だといえます。私は物語のなかにポエジーを加えたかったので、自然にフランス語を選びました。

◇祖国を離れて

――祖国を離れ、フランスで育ったクリエイターというと、映画『青いパパイヤの香り』の監督を思い出します。世代的にも近い彼らについて、どう思われますか?

西欧のなかで暮らしながら、あらためて祖国の歴史や文化を学び作品にしている人たちと、自分も同じ流れに属していると感じます。自分について言うと、6歳の時にヴェトナムを出てからは、西洋的なものを吸収することに懸命でした。私のなかにヴェトナム的なものが残っていたとすれば、両親から受けたものだけだったのです。

大人になってから、自分にヴェトナムの根がない事実に気がつきました。『マンダリン・タン』を書くことで、私はヴェトナムの歴史や文化について学び、多くのものがその由来を過去に遡って持っていることを知ったのです。この物語では17世紀のヴェトナムが陥っていた、南北の分裂状態が、今日の歴史を作る遠因になっていることを示しています。ヴェトナム戦争を経て今に至る歴史は、この頃の枠組みのなかに収まるのです。

◇物語を流れる、水の音

――この物語の隠れた主人公は「洪水」ではないか、と思いました。物語の始めから最後まで、雨や濁流、流れる水の音が通奏低音のように響いていて、ヴェトナムにとって洪水がそれほど大きな問題だったのだと気づきました。

おっしゃる通りです。物語を流れる水の音に関しては、印象に残ることを望んで書きました。第一に、物語の季節を現すために。第二に、治世の現状を告発する天変地異としての洪水です。増水で堤防が決壊すれば、街への脅威になります。皇帝が正しい治世を行なっていれば、洪水などおこらないはずですから、洪水は悪しき政治に対する告発を意味し、革命を正当化するものになるからです。

◇名前の由来

――作品の中には、「不死鳥ダム」とか「豚博士」といった実在とは思えない、印象的な面白い名前が出てきますね。このような名前はどこから名づけたのですか?

これらの名前は、もちろん実在するものではありません。私が創り出した名前です。それぞれの登場人物の名前は、それぞれの人物の役割を反映するものでもあります。性格とも結びついています。「豚博士」、「芍薬夫人」、「雲霞」や「シバ(刺刃)」などですね。ヴェトナムの名前にもそれぞれ意味があるのですが、それらを用いると、フランス人の読者が理解するには、複雑すぎるでしょう? おそらく、日本人の読者にとってもね(笑)。
主人公の名前、「タン」とはヴェトナム語で「光」を意味します。実際には、私の父の名前を借用しました。父は名前の意味を知っていて、とても誇りに思っています。

◇日本人が登場する小説を

日本の人々や習慣などにはずっと以前から関心があり、とても好きだったので、今回、来日できたことをとても嬉しく思っています。
17世紀の頃から、ヴェトナムと日本のあいだに関係があったことはさっきお話しましたよね。日本人商人の居留地がホイアン、今日のフォイアンにありました。現在もその一部が保存されています。日本人のなかには、鎖国後も居住し続け、ヴェトナム人と結婚した人もいます。その人たちのお墓も残されています。これらの歴史的な遺産が、日本人のヴェトナムでの足跡を証明しているのですが、今後の物語の中に、こうした歴史的事実であるヴェトナムと日本との関係を組み入れようと考えています。日本人も物語の中に登場させたいと願っているんです。

ところで、ヴェトナムに行ったことがありますか? もし旅行されたら、是非ファイフォー、つまりフォイアンの街を訪ねてください。ヴェトナムの中央部にある街です。とても美しい、素敵なところなんですよ。


(構成・編集部)