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「どうしてこの本が生まれたの?」「この絵はどうやって描いたの?」
素敵な本に出会って感動すると、創作の現場を見てみたくなるもの。そんな気持ちに応えてきた雑誌『みづゑ』の“パリのアーティスト訪問”が本になりました。フランスのイラストレーターとのつながりも深く、数々のアトリエを訪ねてきた著者・貴田奈津子さんと『みづゑ』の編集長である本多路子さんにお話をお聞きしました。 |
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編集部 貴田さんの連載では、「バーバパパ」のように大人気の絵本が生まれる現場から、まだ日本ではあまり馴染みのないアーティストの作品まで、その創作の現場がていねいに紹介されていてとても興味深かったです。読んでいるうちに、著名なアーティストも身近に感じられてきて、自分も作ってみたくなるというか。そもそも『みづゑ』での連載をはじめるきっかけはどのようなものだった
のでしょうか。
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貴田奈津子
(きだ・なつこ)
1964年大阪生まれ。洋書輸入卸会社、ギャラリー勤務を経て1992年からパリ在住。翻訳者、ライター。バンド・デシネ(フランス語圏のコミック)やイラストレーション関係の仕事も多い。 |
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貴田 当時(2001年『みづゑ』新装刊の頃)、本多さんが企画を募集していて、そのことを知人に紹介してもらったのがきっかけでした。「企画のある人はプレゼンしにきてください」という主旨のメールが転送されてきたんです。
本多 そうそう。新装刊にあたって、ラインナップを決めるために、知り合いのライターの方や編集者に声をかけていたんです。こういう雑誌を始めるんだけど、なにか企画のある人はこの日までにご連絡を、と企画を募りました。貴田さんは、私の送ったメールを見てくれたんですよね。
貴田 あのころは、スタッフが何人いらっしゃったのでしょうか? 何度も会議されていましたよね。いま考えると雑誌の企画を募ることって、あまりないですよね。
本多 そうですね。当時のスタッフは5人、社内のスタッフは3人でした。スタッフはもちろん、ほかの方にも声をかけていて。そんなあるとき、貴田さんが企画書を出してくれたんです。そこには、「パリのアーティストがどうやって絵を描いているのか、その現場を紹介したい」と書かれていました。その言葉がとても印象に残っています。これは面白いと思いました。
貴田 私はパリでイラストレーターのエージェントをやっているので、身近にアーティストもいますし、創作の現場や作り手の気持ちも、ある程度はわかっているということもあります。でも何よりも、私は本当に絵が好きなので、素敵な作品を前にすると、「いったいこれはどのようにしてできたのだろう」「どうやって描いたのだろう」と気になってしょうがないんです。きっと絵が好きな人なら、この気持ちはみんな同じなんじゃないかと。
編集部 『みづゑ』は、絵本や雑貨制作、イラストや絵画まで、さまざまなジャンルのもの作りを扱っていて、「何かを作りたい」という思いがかき立てられる雑誌ですよね。
本多 はい。『みづゑ』は、もともと1905年にできた水彩画の技法を紹介する雑誌でした。今でこそ水彩画はポピュラーなのですが、当時は欧米から伝わってきたばかりで一般的でなかったので、どんなふうに描いたらいいのかを解説する雑誌として多くの人に読まれていました。
2001年に、『みづゑ』をもういちど新装刊しようということになって、今度は“ものづくり”をトータルで扱う雑誌にしたいと思いました。何かものを作りたい、形にしたいという思いがあっても、それが手芸なのか、絵本なのか、水彩画なのか、はっきりしていないことが多いと思うんです。だけど、技法について解説している雑誌は、ひとつの分野に特化したものが多いですよね。もやもやした「作ることが好き」という思いに応えて、この中から何が好きなのかを見つけてもらえるような雑誌にしたいと。あとは、パソコンだけを使って描かれたグラフィカルな絵ではなく、できるだけ手で描いている人を載せています。
編集部 貴田さんの連載は、『みづゑ』のコンセプトにぴったりだったわけですね。貴田さんは、実際にアトリエを取材してみてどうでしたか? 苦労されたこともおありだったのではないでしょうか。
貴田 本当に楽しかったので、苦労ということはなかったですけれど。ふだんは自宅やアトリエでひとりで作業をしている方がほとんどですからね。創作のじゃまにならないようにと気をつかいました。カメラマンさんとライターとで、いきなり訪ねていって、「どうやって作っているのですか?」「これは何ですか?」なんて聞かれたりするのは誰だってイヤでしょうから。アーティストの仕事を知っているだけに、その辺にはとくに気を遣いました。
編集部 貴田さんのご主人もイラストレーターでしたね。どの方も素敵だとは思いますが、とくにこの人に会えて良かったというエピソードはありますか?
貴田 うーん。そうですねえ、年齢を重ねつつも現役で働いている人たちかな。『バーバパパ』のチゾンさんたち(※1)やトミ・ウンゲラーなど。本質的で無駄がないというか。残された時間が限られていることを意識しているから、少しの時間も無駄にしないように真剣。人生であと何冊の本を作れるのかってね。それでいて創作に対してどん欲で、けっしてあきらめない。だから、こちらに対しても、「どういう雑誌の取材なの?」「それで何が聞きたいの?」とストレートで、すぐ核心に入っていける。それでいて絵本にいただいたサインを見たら「あなたの努力に感謝します」と誠意のこもった言葉が書かれている。こちらが、どれくらい準備してここへきているかなんてお見通しなんですね。読者の方々には申し訳ないのですが、取材ではこの本に書けたことの何倍も素晴らしい体験ができました。
編集部 連載時にはなかったけれど、今回のために取材された書き下ろしのページもありますね。「忘れられない素敵な昔の絵本たち」という章です。 |
貴田 そうなんです。はじめの25ページくらいは、貴田さんの好きなようにやっていいって本多さんにおっしゃっていただいて。
本多 はい。最初はなかなか決まらないので、「どうなっていくんだろう、このページは」と不安になったりはしましたけど(笑)。でも、貴田さんが絵本の写真を送ってくれたときに、これは素晴らしいページになると確信しました。ここで紹介した絵本は、世間の人気に左右されるものではなく、貴田さんが自分の目を信じて選んだものなんだと思ったんです。どれも洗練されていて、そして温かみのあるタッチが感じられるものばかりでしたから。 |
貴田 あえて古い時代の作家、しかもそれほど一般的ではない作家を紹介するのはどうかなと思ったんですが……。ロジャンコフスキー(※2)なんかは、本多さんも子どものころからお好きだったみたいですけれど、そんなに知られてるわけではないんですよ。版画で刷ってあるパラン(※3)の大型絵本などは、当時もふつうの家庭ではなかなか買えないものだったでしょう。でも、いま活躍しているアーティストが影響をうけた作家も紹介したいなと思ったし、何よりも自分がいいと思ったので。図版使用許可のための、それぞれの版権保持者とのやりとりにはけっこう苦労しましたけれど(笑)。
編集部 貴田さんはパリにいながら仕事をしていらっしゃるということで、原稿のやりとりなどはどうされていたのですか?
貴田 メールとファックス。電話はほとんど使ってないですよね。取材して原稿を書いたら、画像素材と一緒に送る。そうすると本多さんが器用にラフを描いてくださって。本多さんはラフを描くのがすごくうまいんですよ。もともと絵を描かれていた方だからでしょうね。
本多 半分くらい想像でラフにおこしてましたけど。貴田さんは、これはこの辺に使うつもりなのかな……と。
貴田 で、ちょっと違う、と思って伝えるとさらさらっとまた書き直してくれるんですよ。3回も4回も書き直してくれるの。だからメールとファックスだけでも、意志疎通ができてないなと思ったことは一度もないです。単行本にすることに決まってから、さすがに一回くらいはお会いして打ち合わせしたいなと思って、本多さんに「フランスに遊びに来ませんか?」って誘ったんですが、仕事の都合で実現できなくて。結局、連載がはじまってこの本が出来るまで本多さんには2、3回くらいしかお会いしていない(笑)。
貴田 わたしは、パリという離れたところで原稿を書いているから不安もあります。だから本多さんが原稿をみて感想を戻してくださるのは、とてもうれしかったですね。でも本多さんはすごく目ざとくて、ちょっとずるして、ひょいひょいっと書いたりするとすぐばれちゃう。「ここ、意味がわからないです」ときっちり指摘されて、「てへ、今晩仕上げようと思ってました」みたいなこともありました。
本多 そうだったんですか。ぜんぜん気が付かなかった。
貴田 本多さんは、すごいんですよ。5回も6回もライターに書き直しをさせるんでしょ。ふつうならもういいやって思っちゃうのに。
貴田 本多さんは、良い物を作ることに妥協がなくて、すごくしつこいですよね(笑)。セキさん(※4)も手書きの文字をつくる提案をしてくださったり。ページのレイアウトも、そのまま見開きの絵本を見せるんじゃなくて、絵本の中の絵をトリミングして、レイアウトし直して新しい絵にしてくださったことも。これなんかもともとはこういう一枚の絵じゃないんですよ(ピエールのページの絵を指して)(※5)。原画をこんなふうに手を加えて使っても、許可をとるためにアーティストに見せると、とっても喜ばれました。ちょっとさみしいかな、というページには、背景に絵を配してくださったり。ここのポール・コックスのページ(※6)では、彼の作ったアルファベットの記号があしらわれていて、「ポール・コックス」って読めるようになっている。
本多 そうそう。セキさんもこだわりがすごい。セキさんの事務所のデザイナーの辻さん、渡辺さんも本当にいろいろと考えてくださって、「ここ、もっと強い絵をください」って逆にダメ出しされたこともあったくらい。単行本は手間をかければかけるほどいい物になるから面白いんですけどね。
貴田 本多さんって、そういうのを信じていますよね。
本多 え? なにを?
貴田 ものづくりの力っていうか。手間をかければ、必ずいいものができる、と信じているように感じます。
本多 だって、全力でやってるものって、必ず読者にも伝わると思うんですよ。変にねらってやるのじゃなくて、いいと思ったものを丁寧に作れば伝わるはずです。
貴田 本多さんは、あんまり読者のことを考えてどうこうっていう感じではないのかな?
本多 考えてますよ(笑)。
貴田 いや、いい意味です。読者というより市場、ですね。あまりフックを考えないっていうか。企画のときに、いまこういうのが読者にうけるらしいから入れておけばいい、みたいなことを考えることもあるかと思うんです。先にフックがあって、何をやるかをその次に考えるというか。でも本多さんの場合は、先にやりたいことがあって、それをどうするかを考えていると思うんです。常にやりたいことが先行しているような。 |
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本多路子
(ほんだ・みちこ)
1972年生まれ。1994年より美術出版社に勤務。書籍編集部で画集制作、美術の歴史書などを手がけた後、2001年より『みづゑ』のリニューアル復刊を企画。現在、同誌の編集長をつとめるとともに、「みづゑのレシピ」シリーズの単行本や『みづゑ』オリジナルグッズの制作にも関わる。 |
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本多 うーん。そうですねえ。そうかもしれないです。こういうのをやればうけるだろうって狙いすぎると、そういうあざとい気持ちは読者にも伝わってしまうと思いますから。変に角度をつけたりするのではなく、全力で作ったものが心を動かすと思うし。売れるようにとねらってもはずすことはあるんですから、どうせなら全力で良いと思うことをやったほうがいい(笑)。単行本はとくに雑誌と違って、見た目のインパクトだけでなく、中を開いて買うかどうかって決めると思うから、内容をより充実させたくなるし、手間をかけたくなります。だから、貴田さんと今回、一緒に本づくりができて、本当にうれしかったんです。だって、貴田さんもじっくり考えて、何度も何度も直して、良い物を作ろうと思ってくれる方だったから。「お互いしつこいですね」なんていいながら、最後まであきらめずに作りましたよね。
貴田 本多さんがねちっこい方で本当に良かったです(笑)。ところで、『みづゑ』から出た単行本は何冊になりますか?
本多 8冊です。
貴田 『みづゑ』は季刊だから、3年間で8冊はかなり多いのでは?
本多 そうですね。がんばりました。書き下ろしで取材して書いてもらったものもありますが。やっぱり単行本を作るのは楽しいから好きなんですよ。
編集部 貴田さんの今後のご予定は? これから連載は続けられるのですか?
貴田 いいえ。まだ何も考えていません。コミックなんかどうでしょうか? コミックに描き方を紹介する企画(笑)。あんまり『みづゑ』っぽくないですね。
本多 コミックですか。面白いかもしれませんね。
編集部 今後の『みづゑ』はどうなってゆくと思いますか。
本多 いままでの『みづゑ』って、どちらかというと明るいイメージですよね。だけど、これからは、もっと影の部分にも焦点を当ててゆきたいと思っています。この前発売した雑誌が11号目で、トミ・ウンゲラー(※7)とセンダック(※8)を取り上げた号なんですけど。絵本の怖い・暗い面も取り上げていて。『みづゑ』としては「賭け」の号だったので、(部数の伸びは)どうだろうと思ってたんです。おかげさまで読者に受け入れられました。これまで10号、丸三年かかって、やっと『みづゑ』という雑誌が読者に認知されるようになったので、これからは新しいこともやっていきたいなと思っています。そしてかつての『みづゑ』が一時代を築いたように、わたしたちも、もの作りを扱う雑誌としてみんなに役立つものでありたいと。
貴田 そうですね。何かを作りたいという気持ちを後押しできるようなものが作れたらいいですよね。
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