『ビラのある生活』で初エッセイに挑戦している詩人・中村葉子さん。4月から新連載『9×9=81?』がはじまります。今回は、中村さんの爆発的な想像力の源泉がどこにあるのか、日々の生活に探ってみようという試みです

――中村さんは、朝起きると最初になにをしますか?

 まず、煙草を吸います。必ず吸います。1本か、2本くらい。

 吸わないと2時間以上はもたないんです。思考が回らない、ふだんから回らないですが(笑)。吸わないでいると、煙草を吸いたいということが気持ちのすべてになってしまいます。中毒ですね。煙草とコーヒー。これはわたしにはなくてはならないものです。

 人は食べるために働く、わたしはニコチンとカフェインを切らさないために働く。まあ、それは実家にいるのでお米はある、食べられるということですけど。で、次はなにかというと、煙草。煙草が切れるとアルバイトニュースを買う。昔はそうでしたね。カートンで買って、何日くらいもつか考えて、計算してバイトをする。そんな生活でした。

――いつ頃から吸っているんですか?

 15の時から吸っているのですが、兄の部屋で吸ったのが最初です。兄のセブンスターをこっそり吸った。そのあとは、3年ぐらいずついろんな銘柄を吸っているんですけど、いまはハイライトです。

――煙草をやめようと思ったことは?

 いちどあります。エッセイにも書きましたが、父親が癌になって、あまり長くないと母がいったことがあるんですね、もう、退院はできないのではないかと。親が死ぬって不思議な感じです。癌だっていわれても治る人っているでしょう?わたしも、父は癌だけど「余裕で生還!」と思っていたんです。で、そのために自分は何をするか。おまじないのようなことですが、お茶断ちとか、酒断ちとか、する人いますよね? あれをやろうと。わたしは「煙草断ち」にしました。自分がいちばん好きなものっていうと煙草だから。でも、そう決めた翌日に、吸いました。「あっ? 吸ってしまった」というのではなくて、考えて、「やっぱりニコチン中毒には勝てない」と思って吸いました。煙草吸っちゃって、それから父親は死ぬわけですが、できないことを自分に課したことによって、非常に弱い自分をみました。だから、たぶん、わたしは一生煙草をやめられない。やめるきっかけをそこで失った気がします。「吸ったら死にますよ」といわれても吸うと思います。

――片時も手放せないほど好きなものがあるって、それは逆に強い拘束ですね?

 そうです。でも、それが面白い。煙草吸えない場所に行かなければいけないというときに、自分がしようとしていることを考えるから。煙草を吸えないのであれば、「そうまでしていきたいか」とか、「それだったらいかない」とか。こうやって、わたしは自分の世界を狭くするわけですけれども(笑)、でも、それでいいと思っています。

 何年かアメリカのバッファローというところに住んでいたんですが、その頃は煙草を吸う人と友達になりました。たった一人でしたけど。

 あっちこっち、禁煙です。レストランもダメ、喫茶店もだめ。どこもかしこもダメ。煙草を吸う人は、アメリカでは「貧乏で低脳」みたいなイメージがあるんでしょうか、インテリでお金もちは煙草を吸わない。トラックを降りるときに煙草をくわえてドアを「バン!」みたいな、そんなイメージ? わたしが住んでいた場所では、煙草を吸う人は、とても嫌な目でみられました。だから、誰かの家に遊びに行って、灰皿があったりすると、「あ、この人煙草吸うんだ!」って、うれしかった。

――朝起きて、まず煙草ですね。煙草重要。

重要です、はずせません。(きっぱり!)

――では、その次はなにをしますか?

 私の部屋は2階にあるのですが、下に降りてコーヒーを湧かし、ポットに入れて部屋にもってきます。夏はアイスコーヒーですが。それからパソコンを開けてメールチェック!

――メールはたくさん来ますか?

 来ない!友だちいない(笑)。
 朝起きて、パソコン開いて、いちばんたくさん来てたのは今年のお正月。ふだんは来ていても1、2件なのに、この日はパソコンを開くと、なんと「12件です!」すんごいうれしくて。「なに? なに? なにが来てるんだろう」ってみたんです。そしたら、年末にグリーティングで出したやつの配達証明。12件中11件がただの配達証明でした。返事とかではなくて。ほんとうにがっかりしました(笑)。まあ、そんな感じです。

――昔から手紙をよく書いたとか?

 中学生くらいとき、先生に隠れて教室で手紙をまわすってありますよね。あれは毎日やっていました。メモくらいの手紙を、いちにちに5、6回まわす。たとえば、「ねえ、きょうの先生の服、変だよねえ」とか他愛のないこと。そこに何が書かれているかということよりも、授業中に手紙を書いているっていう気分と、秘密めいたメールをまわす的な感じが好きだったのかなあ。それで、手紙を書いたら星型とか、ハート型とかに折るんです。

――かなり折るのが難しそうですが?

 そうですね。あれ、どうやって覚えたんだろう。誰かがやっているのをみて自分もやってみようということなんでしょうけど。わたし、授業中は「手紙を書いている」か、「手紙を折っているか」。(笑)

――詩やエッセイなど「作品」という意識を最初にもったのはいつですか?

 昔バイトをしていたときに、19歳くらいだと思いますが、仲の良かった友だちが本社に異動してしまい、出張所にいたわたしは、つまらないので手紙をまわそうと。その会社では、毎日必ず10時くらいにバイク便が書類を引き取りにきて、本社にまわすんですね。わたしは会社の封筒にその人の宛名を書いて、手紙を荷物に突っ込む。するとまた、やっぱりバイク便で返事が来るというようなことをしていました。

 ある日、朝の出来事をその人宛ての手紙に書きました。

 わたしはいつも駅まで自転車でいくんですが、その日は自転車が使えなかった。前日にサドルだけ盗まれたんです。それでその日は、歩いて駅までいった。朝、通りを歩いていたら、鶏の足音がした。最初は鶏ってわからないんです。ただ、コツコツコツコツって。後ろをみたら、鶏がわたしの後ろにきて、襲いかからんばかりの勢いで走ってくる。もう、羽が広がっちゃって、すごい勢いで! 必死で逃げました。

 この鶏に追われる朝の話を書いてバイク便で送ったんですね。

 そしたら、友だちがその手紙を「すごく面白い!」って、会社中に回覧したんです。彼女からの手紙にそう書いてあった。嬉しかったな。

――鶏に追われて何かが目覚めたんですね(笑)。
  詩を書き始めたのはいつ頃?


 20歳過ぎです。日記をつけていて、書いていると途中からいつのまにか改行ばかりになっている。文体がおかしい。たとえば、いつもは「きょうはひとりで寂しい」と書いていたのが、「きょう/さびしい/ひとり」みたいになっている。まあ、例ですけど。たぶん、いろんな詩を読み始めていたので、感化されたんでしょう。表紙にちゃんと「日記」って書いてある大学ノートなんですが、気がつくと言葉を変えて、改行して、ノートに隙間をたくさんつくっちゃう。日記帳が詩の落書き帳みたいになっていくんですね。

 当時、わたしはずっと家にいて何もしていなかったので、何が楽しいって、朝から自分の日記を読むことがすごく楽しかった。それがあまりにも改行ばっかりしてあって、紙がもったいないし、こっちは日記帳にしよう、詩はこっちの新しいノートに書こうということにしました。

――ノートがふたつに分かれた?

 分けました。で、日記帳には日記を書く。だらだらだらだらと書く。でも気がつくとやっぱりいつのまにか改行ばかりの詩みたいなものになっていている。なので、日記帳には、「これは日記帳だから、詩は書かないで」って自分で書いていました(笑)。だけれども書き始めると、また改行だらけで隙間ができていく。途中で詩のノートを持ってくることもできなくて、「ああ、まただ!」もったいないから線をひいて、使いましたけど(笑)。

 そんなわけで、もう日記なんだか詩なんだかわからなくなって。これは「詩!」って思ったら詩なので、けっきょくぜんぶ詩ですね。

―― さきほど朝から日記を読み、書くとおっっしゃっていましたが、面白いですよね。
日記って「何か」をして、それを書くのが多いんでしょうから。

 ほかの人の日記ってわからないけど、きょう何をしてって一日の終りに書くんでしょうね。わたしは昼間っから書く。別に外に出ないから、書くことって自分の心情しかないわけです。きょうは天気がいいとか、そういのは多少あるにしても、基本的には心情ですよね。書いているときに、ずっと家にいて、昨日とおんなじ服をきて、あんまりお風呂にも入んなくて、それでも自分がどんどん変わっていく。何もしなくっても変わるんです。3年くらい、そういうことをしていました。

――中村さんは、日記にせよ、詩にせよ、なぜ常に書きつづけるのでしょうか。

 それは発見だからですね。何か読んで、わたしもこういうこと考えているなあというのがありますよね。でも、それを自分のなかで言葉にしたかっていうと、まだそれ以前の感覚だけをもっていて、普段はなんとなく過ごしている。でも、それを言葉にして認識すると、すっきりする。すると「次」を考えられる。

 これはいまだにやるんですけど、暮らしながら何か考えたり悩んだりしている、その悩みの焦点がわからないときがある。「悩んでいる気分」ってないですか? 鬱的な感じ。調子がよくないとか。そんなときに問題を書く。それも具体的に、箇条書きで。気分で悩んでいると、いつまででも悩めます。だから、悩みを書きだして、どんどん具体的にしていく。具体的な悩みとは、課題ですね。悩みを課題にすると、あとは「やるのか」「やらないのか」という、自分の選択の問題になります。するとすっきりする。そこで紙を破って捨ててしまいます。あとは決めればいいだけですから。書かなくてもちゃんと認識できる人はいいと思うんですけど、わたしは書かないとわかんない。書かなくてもわかりそうなものだけど、書くととてもわかります。

――中村さんの生活には、いっぱい「決め事」がありそうですね?

 はい。たくさんあると思います。たとえば、最近は、『月下の棋士』というマンガがとても面白くて、それは将棋会館にいく電車の中以外は読むまいと決めています。最近、行ってなかったので、いま20何巻で止まっています。将棋会館にいって将棋を指したい!でも、ほんとうは『月下の棋士』が読みたいから、将棋会館に行きたいんじゃないかと、自分でもわからなくなってきています。どっちでもいいんですけど(笑)。とにかく電車の中でマンガを読んで、将棋会館にいって子供相手に将棋を指して、それは夢のような一日ですね。

―― 昨年の秋に出た中村さんの詩集『泣くと本当に涙がでる』、だいぶ前の作品が含まれていますが、読んでみてどうですか。

 とても昔の詩があって、あのうちの、ひとつ、ふたつくらいの詩は他人が書いたように読めました。自分のものを読んで、そういう感じがしたのは初めてです。

 人のエッセイを読んでいて、ときどきですけど、「ああ、こういうの、自分もあるな」とか、「すごいわかる」っていうことがありますよね。何かのコラムで「歯磨きしながら本を読む」とかそんなのがあった。活字中毒の話で、その人はトイレに入っても本を読んでいるんだけど、本がないときはタオルにかかれた「何々銀行」っていう文字だけでも読みたい。字があると読んじゃうというエッセイです。とても面白かった。「ああ、この気持ちわかるなあ」と。書いている人と気持ちがつながる感じが楽しい。

 それと養老孟司が書いた文章で、読んでいるのがとても分厚い本で持ち歩けない、そういうときには必要なページを破ってポケットに入れる――というのがありました。「かっこいいなあ」と。わたしも一応、本が好きなんで、破るってなんだか失礼だなと思っていたのかも。でも、本当に必要で、持ち歩きたくて破るって、ぜんぜん失礼じゃない。そうまでして持ち歩きたいとポケットに突っ込んだ姿が目に見えて、「かっこいい」と思ったんです。

 人の文章を読んで、たとえばトイレに入っていて文字を読んじゃうとか、ページをやぶってポケットに突っ込むとか、そういう姿が見えていて、「ああ、わたしもあるなあ」と感じている。でも、自分の文章を読んでそういうふうにはなれない。客観的に読もうと思っても、できませんでした。でも、今回は10年くらい時間がたっているので、自分の詩を読んでいるときに、「ああ、この気持ちわかるなあ」(笑)。はじめて、人が書いたものにように読めました。それは嬉しかったですね。

――最後に、新連載『9×9=81?』について教えてください。
これ、どういう意味ですか? どんな内容ですか?


 将棋の話を書きたいんです。将棋盤は9×9で81のマス目があって、「?」は、将棋をしているといつも思うことなんですが、「次の一手」の可能性です。ひとつのマスにひとつの駒を打つ可能性が、いくつあるか計算できないんですけど、持ち駒もあるので、「次の一手」の可能性は無限と思えるほど大きい。そこにひとつ打つことで、扉が開く。選択肢がだっと広がる。そして次を打つことで、また扉が開いていく。そうやって、どんどん開けていくと81×81×81×――みたいな、無限に可能性が広がるような気がする。でも、「無限」って言うとちょっと狭い。その言葉の響きが狭いんです。「次の3手」のほうが無限よりすごく広いというか、そんな気がします。無限というのは想像できないからわからないんですけど。こうきたら、こうきて、こうきて、ああきて――。81マスという有限性、でもそこにあるものは無限よりも広いのではないか、そんな感じですね。(――こんなふうにしゃべってると将棋が強そうに思われそうですが、わたし、将棋はとても弱いんです。それだけは入れといてください!)

 将棋って本当に人生に似ていて、将棋の指し方にはその人の勝負の賭け方がわりと出るんじゃないかなあと思います。将棋会館ではこどもと指しているんですが、こどもってすごいテンションです。攻めてばかりで、守らない。ここにきている子って、たぶんスクールにいっていると思うので、定跡もある程度知っているはずです。でも、「穴熊」(定跡の名前)とかはたぶん、こどもはやらない(笑)。とにかく、攻める方が楽しいから、ガンガン攻める。それはその子の性格とかではなくて、こどもってそうなんだと思います。

それが徐々に年齢を重ねていくと、いろいろ覚え始める?

 そうそう。人生を知るごとに、守ることを覚え始め、「穴熊」のようなものを覚え始める。そのへんはすごく人生とつながっているなあと思います。

 わたしは将棋を通して自分を書いてみたいんです。自分を通して自分を書くのは難しいから、将棋を通して自分を書く。将棋をしているときに自分を発見することが多いんですね。ああ、そうだったのか、そんなこと考えてたのか、ふんふん、みたいな。

 まあ、ただ将棋が好きってことかもしれませんけど。

 インタヴューって、こんなんでいいですか?(笑)

―――インタヴュー:2月23日 将棋会館にて