――ポプラビーチで連載されていた『ビラのある生活』、現在、連載中の『9×9=81?』では写真も中村さんご自身がお撮りになったものですよね。写真はよく撮るのですか?

 むかしから写真を撮るのは好きでした。最初は『写るんです』みたいので撮っていましたが、いまはデジカメで撮っています。

――どういう写真を撮りますか?

 わたしは記念撮影みたいなものが嫌いで、たとえば旅先のナントカ寺の前で撮るのとかって嫌いです。その写真を後になって見たときに、どんな発見があるのかというと、まあ、「この頃は若かったなあ」くらいですね(笑)。だから、そういう写真は後々見るということがほとんどない。わたしが好んで撮るのは、やっぱり日常ですね。自分の部屋の中を撮るとか、家を撮るとか、身内を撮るとか。時間がたって、そういう写真をみると、「ああこのとき、こういう布団カバーだったんだなあ」(笑)とか思い出して、自分につながります。でも、観光地の写真って、その時一回きりのことだったりする。だからわたしはよく家の中を撮ります。『写るんです』の頃は、失敗もきかないし、24枚撮りだと、あたりまえですが24枚しか撮れないので、それほどたくさんは撮りませんでした。でも、デジカメにしてから、かなりたくさん撮るようになりましたね。片付けられていない部屋とか、机とか、台所とか、そのままを撮るという感じです。後で発見があって、面白いんです。

――どんな発見があるのか、もう少し聞かせてください。

 そうですねえ。たとえば、アメリカに行く前に、日本で住んでたアパートの台所を撮った写真があるのですが、それを日本に帰ってきてからもう一度見たんですね。そのワンルームのアパートは、自分ではわりときれいで、広いと思っていたんです。でも、その写真を見たときに、「なんて狭い部屋なんだ!」、「なんて暗いんだ!」って驚きました。なんかこう、「貧しさ」と「暗さ」と「しょぼさ」が満載(笑)という感じ。でも、以前住んでたときにはそんなこと微塵も思わなかったんです。自分でアパートを借りるいうことがうれしくて、しかもわりときれいにしていたつもりだったんですけど。感じ方がぜんぜん違うんですね。あとは、たとえば、干し椎茸を水でもどしているボウルが、たまたまうつっている写真とか。ああ、この日は夕飯で椎茸食べたんだな、とか。そのボウルとか、キッチン用品なんかも、いまはどこにいったかわかりませんが、当時は毎日つかっていたものですから、そういう写真をみるといろいろ思い出すこともありますね。

――中村さんの写真を撮る動機には、自分の過去とか、自分自身を対象化したいという欲求がありますか?

 まったくそうですね。自分を対象化する欲求は、たぶん、ふつうにあります。いつも無意識にあると思う。

――対象化ということでいうと、中村さんが被写体になったことがありますね?

 あります。アメリカで知り合った学生で明石さんという女性から、学校で出された課題写真のモデルを頼まれたことがありました。それは「セブン」という、「七つの大罪」というタイトルの課題で、「嫉妬」とか、「怒り」とか、「飢え」とか、そういうテーマで撮影をするわけです。室内と室外で2回にわけて撮影をしました。明石さんはカメラを構えて、たとえば、「テーブルのうえに横になって、包丁持ってください」と言うわけです。その時は何のテーマだか忘れましたが、「包丁を持ってください」といわれて、その包丁はどっちに向ければいいのか。外に向けるのか、自分に向けるのか。まず、わたしにはわからないんです。尋ねると、たとえば、「内側にむけてください」とかいわれます。でも、「なぜか」はわからない。そのときの明石さんの手法は、撮影した写真を後でコンピュータにとりこんで加工するというやり方です。写真には血がうつってなくても、あとで血をのっけようとか、写真をみてから決めるんですよね。バックを海にしようとか。ですから、撮影の時は、明石さんのその瞬間の瞬間のイメージでは「ここで包丁を自分に向けた絵が欲しい」と思う。わたしは「ジャンプしてください」って言われればジャンプする。そうすると、ファインダーを覗いている明石さんが、「ああ、そうではない」「もうちょっと右に」とか、「もうちょっと跳ねて」とか。わたしは、その「もうちょっと」が何なのか知りたいわけですが、それはわたしとは全然関係がない。
 そのときのモデルの経験はとても面白かったし、とてもきれいに撮ってもらって、家宝にしようと思うくらいきれいに撮ってもらったんですけど、でも自分は主体ではないわけです。それで詩を書こうと思ったわけです。久しぶりに詩を書こうと。その頃、詩をかいてなかったので。やっぱり詩を読むより、自分で詩を書いたほうが面白い。

――その頃、『虚構「へやの中の私」』と題された、実験的な試みをされていますよね。これは日常のなかで撮る側と撮られる側(被写体)の両方をひとりでやるという試みでしたね。

 自分を自分で撮ったら、何を考えるかなと思ったんですね。自分は撮る側であり、撮られる側であるということをしたら面白いんじゃないかと。

――どんな実験だったのか、すこし説明してもらえますか?

 時期で言うと、2001年の春くらいです。バッファローのアパートのなかで、その日、朝10時から夜10時までの12時間の間に1時間ずつ目覚ましをセットして、鳴ったときの自分をセルフタイマーで撮るということをやりました。写真を撮るからといっておしゃれとか不自然なことはしないように、普段通りのことをします。ミシンをかけたり、テレビをみたりしていて、目覚しが鳴った時の自分を撮る。もっと具体的に言うと、たとえば、トイレにいこうと思って歩いていったら、目覚ましが鳴る。そしたら、とりあえずトイレには入るんですけれども、目覚ましが鳴ったときに自分がいた場所、やっていたことを覚えておいて、もう一度その場所に戻って、歩いてくる自分を撮る。アングルを決めるのはわたしですし、歩いているのも自分です。一回に何十枚も撮って、その中からこれにしようと選んで、最終的には自分で編集するんです。ですから、ぜんぶ自分の演出です。やってみると、自分が自分をどう演出したいのかがわかるというか。
 アングル的には真正面からっていうのは一枚もなかったですね。歩いている姿のちょっとボケた感じの写真とかをつかって、「動き」のようなものを演出していたり。あとは、お昼くらいに撮ったもので、「紐を結んでいるわたし」という写真があります。クッションカバーの紐が解けていたので、それを結びなおそうとしているときに目覚し時計が鳴りました。それで、撮影のときには、もう一回紐を解いて、結びなおしながらセルフタイマーをまわしました。これは手だけが写っている写真です。テーブルの下から撮って、紐を結んでいるわたしの手が見えるという写真。ふつうそんなアングルから誰も見ないし、自分も見たことないアングルで、そういうことをやるわけです。
 出来上がった写真を見たときに、自分を被写体としてはけっして見られない自分がいた。他人を撮るように、また花を撮るようには見られなくて、「自分はどう見られたいのか」っていう自分がよく映っていました。

――どう見られたい自分でしたか?

 その写真はわりとのんびりした、ポーッとした感じの写真でしたね。自分がそうありたいからなのか、そう望まれているのからなのか。どう期待されているかということで自分はたぶん動くと思うんですよ。そう期待されてる自分と、そうありたいという自分はほぼ同じで、それを完全に演じているという感じでしょうか。

――自分を対象化し、さらに、「対象化している自分」を対象化するというようなことを、中村さんはおやりになっているわけですが、そういう「実験シリーズ」(笑)みたいなことは、ほかにもありますか?

 ええ(笑)。ありますけど。こんなの話していていいんですか?

――もちろんです! ぜひ聞かせてください。

「上野不忍池のイメージを訪ね歩く」というシリーズ企画(笑)をやったことがありました。

――それはどんな企画ですか?

 その頃、たまたま上野に行く機会が多かったからで、ただの思いつきです。まあ、さっきの話もそうなんですけど(笑)。みんなそうなんですけど(笑)。
 むかしから上野は怖いと思う街だったんです。上野が怖いというよりも、上野の方向にいく電車が怖いというか。なんかおっかないとか、暗いとか怨念めいているとか、そんな感じがあったので、ずっと上野には行っていませんでした。それなのに、その頃はたまたま上野で人に会うことが多かったんですね。わたしのイメージって、子どもの頃の上野。昭和の上野。いまの上野って、とてもきれいな改札になっていますが、子どもの頃はもうちょっと淀んでいて、少年の靴磨きがいるような感じ。上野動物園とか、アメ横とか、とても怖いイメージが焼きついている。その怖いイメージの一つは傷痍軍人さん。腕がなくて、包帯ぐるぐる巻きで、白い旗で何か、こう、訴えている。とても怖かった。いっしょにいる親に「あれなあに?」と聞くと「見てはいけない」と言われました。そうなると、よりこわい。想像だけだから。腕がない、包帯ぐるぐる巻きで、うなだれた感じでゴザに座っている人。それ以上は何もわからない。いまだったら、いろいろ調べて、意味を探ろうとするけど、なんにもわからない。どんな罪があるのかとか、そんなことも考えない。考える発想すらない。そういう怖さ、それはわからないという怖さで、あの怖さは子供の時に味わう怖さですね。
 上野動物園も怖かった。閉じ込められている動物の側の情念みたいなものがある。虎なんかはどうしてああいうカラダをしているかっていうと(笑)、すごく走るの速いわけですよ。だけど、あのスペースでは走れないし、そのフラストレーションみたいなものをずっと閉じ込めている。そう、檻です。
 それから、あの公園の歴史はわからないけれども、すごく古いですよね。この世ではない仏教的な彼岸みたいなイメージでつくられたものだと思うんですけど、どうでしょう? お寺の観音像のまわりの花とかあるじゃないですか、「あの世」的な怖さがある。そういう「あの世」的な怖さと、動物の無念さと、傷痍軍人さん。上野って、晴れているのに曇っている感じがするんですね。もう、松戸から電車に乗っただけで、そういう空気を感じました。それくらい、自分のなかで怖いというイメージがあったんですね。
 それで、そのわたしのイメージを確かめてみようと、そんな気持ちだったと思います。最初は、ただ訪ね歩いて、子どものころとどう違うかなあと。いっしょにいった友だちと、不忍池のまわりとかを歩きながら、「ここ何に見える?」と必ず聞いてみる。ちょっとだけ、聞く。3人に聞いたんですが、その人たちは、たまたま、子どもの頃に来たことがない人ばかりだったんですね。きょう始めてきたとか、通ったことあるけど、こんなにはっきりみたことはないとか。それでどんなイメージかっていうと、桜のイメージとか、都会だと思うとか、池の花なんか「きれい!」っていってましたからね。すごいんですよ、何を見てるんだ?(笑)わたしのなかでは上野って言ったら、どーんと空が低いんだけれども、他の人はまったくそうではないということに驚いた。
 わたしは上野を都会だと思ったこともないし、明るいと思ったこともないし。そこに感じていた暗さとか怖さとかみたいなものはその友だちにはなかったんです。要するにわたしのイメージは子どもの頃の昭和の上野のイメージで、いまの上野の一般的なイメージではなかった。言われてみれば確かに、いまの上野にわたしはそれを感じない。それで、いまはわたし、上野は大好きなんです(笑)。

――その後、「不忍池のイメージを人に聞く」というようなこともしてましたよね?

 はい。上野のイメージのことを考えていた時期に、あるお店に飲みにいったんです。会いたいなと訪ねていった人がお店にいなくて、暇だなあという状態になり(笑)。そうだ、上野のことを聞いてみよう、お店にいる人に上野のイメージをきいてみようと思ったんですね。わたしはノートをもっていたので、ノートに鉛筆で、「あなたの上野不忍池のイメージとは?」と大きく書いて、それを見せながら席をまわりました。聞きながら簡単にメモとって、そういう感じのインタヴューです。1人5分くらいかな、けっきょく9人に聞きました。わたしはイメージを聞いたのですが、実際にはイメージするというより、経験を語る人が多かった。高校の頃、あそこの池で魚を釣ったことがあるという人がいたり。それはイメージではなくて、自分の経験ですね。経験をもつ人は、イメージを抱えるみたいなことになりにくい。たとえばディズニーランドってどんなイメージって聞かれたときに、乗り物に乗ったことがある人は、「わたしはスペースマウンテン、すごい好き! きらきらして楽しいよね」とか、経験の楽しさみたいなことを語る。いったことない人は、どんどん自分のなかにある何かを当てはめる。上野にはわりと行ったことのある人が多くて、イメージを抱えるみたいなことがあんまりないわけですよ。あとは、「あんまり行かないから、イメージも何もない」とか。「水と緑」っていう静かなイメージの人がふたりくらい、男性でした。女性でひとり、「不忍池の池はどう思われますか」と聴いたら、「潜んでいそう」といった人がいました。「何が潜んでいそうですか」と聞いたら、「死体とか」っていってました。わたしもそういう感じがするけれども、あそこって水が透き通っていないので、奥のほうに何か底なしのものを感じるっていうことかなとか考えたり。それは女性的な発想なんだろうかと、こじつけみたいなことを考えたり。いろいろ思うわけです。ひとり、わたしととてもイメージが近い人がいて、その人は「ガンダーラ」って答えたんです。「ガンダーラってゴダイゴの歌にでてくるあのガンダーラですか?」ってきいたら、「それ以外のガンダーラって、何かあるんですか」と切り返されました。イメージ的には「ぽわんとした感じ」で、「桃源郷みたいな感じ」で、「混沌とした感じ」でってことでした。そう言った後、その人だけ、唯一、「なぜそんなことをあなたは聞くんですか」と返してきて、「あなた、不忍池のまわし者ですか」、「カエルなんですか」とか(笑)。どんどんくるんです。どんどんこちらがインタビューされてくるわけですよ、それをなるべく避けて、終りにしたんです。「ありがとうございました!」って言って逃げました。(笑)

――インタビューをやってみて、予想外のこととか、発見とかありました?

 ありますね。自分からメモもって、席をまわって、「イメージは?」とか聞いているくせに、インタヴューしているうちに、相手が丁寧に答えてくれることがとても不思議になってきたんです。わたしがメモをとりながら誰かに話を聞いていると、それが隣の席の人にもわかるし、聞こえているので、隣のひとは次は自分の番だって、聞かれたらこう答えようと待ってくれているのがわかる。そこには何の強制力がないにもかかわらず、一生懸命考えて、答えてくれる。それはなんだろうなって思いました。まあ、そこの飲み屋の雰囲気もあるから、あんまり一般的にはいえませんが。たいした質問ではないから答えるのは簡単だし、何か危害を加えられるわけでもないし、たぶん、そんなことで飲みながら答えてくれるんだろうけども。それにしても「なぜ答えるのか」っていうのがわたしのなかから消えなくて、それから、どうして、わたしに「なぜそんなことを聞くのか」と意図を問うひとがほとんどいないのか、とか。「あなたのイメージは?」ってきくと、自分のイメージを一生懸命答えてくれる。自分だったら、どう答えるだろう。たぶん、「なんでそんなこと聞くの?」ってまず聞くと思う。それから、その答えがどうであれ、わたしは質問に答えると思うんですけど。でも、「なんでなんで?」って相手に聞く。そこにやっぱり自分があるから。

――ひとつのテーマを掲げてやりとりをしたわけですが、会話の位相みたいなものがズレていくときに発見があったりしますよね?

 人としゃべるっていると常に発見がある。今回のことでいえば、こちらが聞いて相手がイメージを答えてくれて、それはそれで面白い。そして、「なんでそんなこと聞くんだ?」って逆に切り替えされたとき、わたしは、そこで考える。でも、そういう状態では、だいたい考えきれないし、しゃべれなくなっちゃう。うまく答えられなくて、結局、そこで逃げる。

――コミュニケーションすることに対して、中村さんは貪欲というか、ものすごく前向きですよね。「逃げる」ということもあるわけだけど、そもそも、そういう状況を自分でつくっているわけですから。

 こう聞かれたら嫌だとか、怖いとか、避けるということでふつうの会話はなりたっていると思います。それで日常は成り立っているし、人間関係が成り立っている。でも、そこに不満があって、それは私だけじゃなく、そういう思いはすべての人間が持っていると確信しています。それは経験的に確信している。だけどじゃあ、なぜ自分からそれを発信しないかというと、きっかけというか、回路がないだけです。誰しも、もっと深く相手の核のようなものを知りたいとか、それができないことの不満のようなものがあると思うんです。絶対あると思っています。それをじゃあ、どうしたらいいかっていったら、自分が回路になるしかないと思うわけです。そこでわたしは自分を二人にしてみるということをします。それを一人でやると、やっぱり怖いから。面倒だし、答えられなくて馬鹿にされるのは嫌だし、恥ずかしいし。いろいろあります。でも、自分を二人にして、一人の側からみて、「これは実験だ」と自分を遊ばせれば知らない人としゃべれるし、「あなた誰?」って言われたときに、もうひとり自分がいれば、「あなた誰っていわれているわたし」と、自分を突き放して前に進める。どんどん突き放せる。
 だけど、「あなた誰?」って言われて、それをそのまま自分で受け止めるとたぶん、答えられない。でも、どんな人も、そういう話をしたくないのではなくて、それはきっかけなり、雰囲気なり、身についた社会性なりで表に出していないだけで、問われて答えることはできると思います。不忍池の話からでも、それをうまく聞けば、その人の核の部分が聞けると思っていたのですが、自分にはそれを聞く力がないというか、話術がないし、経験もないということがわかりました。それはインタビューをしていたときに思いました。自分の力不足がわかりました。

――いまおっしゃった話は「ビラをまく」ということともつながりますか?

 最近、「なぜビラをまくのか」っていうことをポイントとして言われることが多いんですが、わたしは、「ビラをまく」ことがそんなに「動き」として大きいと思っていないんです。というか、ふつうだと思っていた。でも、よおーく考えたら(笑)、「ふつうビラ撒かないよ」って(笑)。それは自分が詩を書くという時点で、すでに「ふつうは詩を書かない」という「ふつう」もありえるし、「ふつう日記ばっかりつけていない」とか、そういうことですけど。
 だから、わかるんです。わかるんだけど、わからないのが、ビラをまかない人のことがわからない。もちろん、ビラでなくてもいいのですが、わたしにとってはビラをまくというようなこと、人に聞くというのかな、そういうことをなぜしないんだろう。なぜ詩をかいているのか? 訴えたいことがあるとか、やりたいことがあるとか。ふだん生活していて、それでは伝えきれていないということがあるとか。書くのが好きっていうのもあるだろうけど。で、詩を書いて、書きましたってなって、それをどうするかということですよね。伝えたいものがあるんじゃないのか、みんなあるんだろうけども、その感覚でいったら、この世界はとても不思議な感じがします。

(次回につづく)

無目的小冊子・日詩
『そのイメージをたずね歩くわたしとは?』(上野.不忍池篇)

「●第2章 不忍池その周辺を歩く」より抜粋

 そうして真横を通り過ぎ、不忍池へ到着。

 湿度100パーセント。空はどんよりとして、低い。雨で遠方の弁天堂が霞んでみえる。傘を差してもカバンがびしょ濡れだった。不忍池には前回みた蓮の花のピンク色はもうどこにもない。ただ一面大きな葉が雨に打たれている。友達が池の前で「写真撮ってあげるよ」と言うので、私はそのまま後方へ下がって石段に足をかけようとした。そのとき靴のヒールが(5センチくらい)小さな石の角にすっぽりとはまる。それに気付かないで、よろける。一瞬背中から池に落ちるかと思った。柵がないのだ。..................いつか......わたしは不忍池に落ちるんじゃないか......そして沈んだ池の底で、生きながら夜叉になるんじゃないか......そんな妄想が拡がる。

 人肉を好み、目が血走り、死んだ銀色の魚がもつ銀色の鱗。そんなもんを生身に貼り付け、生き永らえている鬼。死んだほうがマシ。

 永遠に老いることのない恐怖とは?

 そして何より自分自身が恐怖の対象だとしたら?