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| 2000年4月、ポプラ社は新たな一歩を踏みだした。一般書の刊行を目的とした部署「第三編集部」の創設である。あれから5年、この新しい編集部から『生きてます、15歳。』『種まく子供たち』『わたしはあなたのこんなところが好き。』『あの空をおぼえてる』『獄窓記』などのヒット作・話題作が生まれ、昨年発売された『Good
Luck』は150万部を超すベストセラーとなった。今回、第三編集部創設5周年を記念して、「第三の原点」と題し、第三編集部の礎を築いた代表的作品を、その著者へのインタビューを通し、あらためて振り返る。第1回は、井上路望さん。彼女の著作『十七歳』がなければ、第三編集部は誕生していなかったかもしれない。第三編集部誕生のきっかけとなった、文字通り「第三の原点」である『十七歳』。井上路望さんと、担当編集者であり、現在部長として第三編集部を率いる野村浩介との対談形式でお楽しみください。 |
| (聞き手・構成/編集部) |
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ポプラ社との出会い
――99年3月に『十七歳』が発売されて、今年で丸6年が経ちました。路望さん、野村さんにとって、この6年という時間は、どのようなものでしたか?
路望 うーん、いま思えば早かったですけど、(本を)出した後の1、2年はすっごく長く感じましたね。本が売れたこととか、取材とかインタビューをされる環境に、なかなかなじめなくて。嫌で嫌でしょうがなくってパニクってました。だから最初の2年くらいは本当に長かったですね。
野村 人生のそれぞれの時期というのは、それぞれに特別な意味があると思うのですが、「『十七歳』以前・以後」というのは、僕にとって決定的に違っているんです。その点で、とても意味のある時間だったと思います。
――少し時計のネジを巻き戻して、『十七歳』がどのようなプロセスを辿って出版されたのかをお聞きしたいのですが。
路望 なつかしい!(笑)。
野村 よく聞かれたなあ。さあ路望ちゃん、思い出して(笑)。
路望 そうですねぇ……書き始めたのは、部活を辞めたことがきっかけです。中学のころからバスケットに時間もエネルギーも費やしてきたんですね、勉強はおいといて(笑)。それがイジメなんかがあって自分で部活を辞めて……でもバイトをしているわけでもなく友だちとの遊び方も知らない、放課後の過ごし方も知らないから、学校が終わると家に直帰するしかないわけですよ。すごくやりたいはずのバスケットを失って、同時に仲間も失った気がして、もう本当に空白になってしまったんですね。そんな時に母が「本でも書いてみたら?」って、さりげなく言ってきたんですよ(笑)。
――書くこと自体は好きだったんですか?
路望 好きっていう意識はまったくなかったんですけど、気がつけば何か書いてましたね。ただ、自分が文章を書ける人間だとは全然思ってなくて、母の言葉に対しても「なに言ってんのこの人、もう本当ウザイ」って思ってました。ただその言葉がずっと頭にひっかかってて。学校のシステムやら大人やらなんやらって、自分を取り囲んでいる環境の中だと、結局誰と話しても反論や意見が返ってくるわけじゃないですか。バスケットをやめたとたんに、そういうものを遮断してしまう自分がいたんですね。母に言ってもああだこうだ言われる、友だちに一から説明するのも面倒くさい、人の意見を聞き入れる余裕もない。それで気がついたら、ノートとかプリントにいろんなことを書いてました。そうした紙キレがいっぱい集まったので、「一冊にまとめようかな」って思ったんですよ。でも、そのことと本を出すということは私の中では違っていて、どうして本を出そうと思ったのかは、正直自分でも理由はわからないですね。だから、書き上げてから出版社へ持っていくまでに、すごく時間を空けてたんですよ。書いたのはいいけど、「で?」みたいな。本にするルートも全然知らないし、そこまで「出そう」っていう意欲もなかったから。でも、学校がホント嫌になって、いろいろうまくいかなくなって……それで動きはじめたっていう感じですね。
――それですぐにポプラ社に原稿を持ち込まれたんですか?
路望 ポプラ社さんは3社目でした。1社目は母の知り合いのツテで、小さい出版社に持ち込みました。そこで自費出版云々という話になって、内容も全部変えられそうになったんですよ。「私のものじゃなくなるんだったら、別の人が書けばいいじゃん」「じゃあいいや」と思って、断ったんです。で、次にある大手の版元へ行って。そうしたら年末だったので「(結論は)年明けになる」って言われたんですね。でもエンジンかかっちゃったらもうダメなんですよ、私(笑)。待てなくて、それで次の日に新聞を見ていたときに、ポプラ社の広告を見つけたんです。本をまったく読まない人間だったから、家にある本って絵本だけなんですよ。そのずっと読んでた絵本が、ほとんどポプラ社のものだったんです。その印象が強くて、私のなかでは「ポプラ社ってすっごいメジャーなんだ」って思ってたんですね(笑)。
野村 メジャー狙いだったのか(笑)。
路望 そう、大きいところ大きいところを。それで広告を見てすぐに電話番号を調べて電話したんです。でも実際に会社に行ってみると「え!?」っていう感じで(笑)。
――旧社屋を見て?
路望 「階段!? エレベーターは?」って思ったりして(笑)。そこで野村さんに会ったんですよね。
野村 その日は会社にほとんど誰もいなかったんですよ。一階の受付から「持ち込みの人がいきなりいらっしゃってるんですけど」って電話がかかってきたんです。ちょうど年末で忙しくてみんな出払ってて、僕だけたまった原稿を一生懸命読んでいて。すごく集中して読んでいたから、正直「迷惑だなあ、こんなときに」って思ったんですよ(笑)。それで応接室で待っていたら、路望ちゃんが来たんです。
――どんな印象でした?
野村 ちょっと出版社には場違いな感じがしましたね(笑)。
路望 当時の恰好がね。
野村 茶髪に白メッシュが入っていて、テカテカ光るロングコートを着て、厚底ブーツを履いて、ポケットに手をつっこんで部屋に入ってきたんです。驚きましたね、「ええっ、この子が!?」という感じで。強烈なインパクトでした。でもその時点で「忙しいのに」という感情はなくなりましたね。「なんだろう?」という興味が湧いてきたんです。あのときはどんな話をしたのかな?
路望 「大人たちに伝えたいことがあるので、読んでください」みたいなことですね。
野村 「ドン」って、原稿用紙二百何十枚くらいかな、目の前に束があるわけですよ。「この子が、本当にこんなに原稿を書いたのか」と思ってしまったくらい、見た目とのギャップがありました。一方で見た目はそういう感じなんだけど、「大人に言いたいことがあるので」という目つきが、すごく怖かったんです(笑)。
路望 すっごく真剣だったんですよ。大人がきらいっていうことがベースにある原稿だったし、それなのに大人と話さなきゃいけない。ここで邪険にされたらどうしようとか、それまでの私の過去を考えるとありえる話なので、結構ビクビクしてました。でも、ここまで来たんだったらちゃんと伝えるしかないと思ったんですよ。だからそういう目になったんだと思います。
野村 あの原稿の厚さを見たときに「なにか言いたいことがあるんだろうな」とは思いました。それでも一応彼女に「これ自分で書いたの?」って聞きましたけどね(笑)。
路望 失礼ですよね(笑)。
野村 「どれくらいかかったの?」「半年くらいかかりました」と。そうか、この子には本当に言いたいことがあるんだなあと思って。「では、ちゃんと読ませてもらいます」と。
原稿を読んだときに「伝えなくちゃ」と思った
――路望さんにとって、野村さんの印象はどんな感じだったんですか?
路望 なんか賢そうな……カタブツに見えましたね(笑)。でも、ちゃんと話を聞いてくれる姿勢をとってくれたので、深い話はしていなくても、結果は出なくても、この人には私の言いたいことを伝えられた、受け取ってもらえたっていうのは、すごく感じたんです。とにかく大人に、一対一でちゃんと話を聞いてもらえたっていう経験が、私にとってはすごく大きかったんですよ。自分が少し変われたというか。だから帰りはもう「やりきった」っていう感じで(笑)。
野村 すぐに原稿を読みはじめたんですけど、読みすすめていくうちにどんどん興奮してきて、読み終わったら「ハーッ」とため息が出て。「よし、これはいける」と。翌日社長のところに原稿を持っていって説明したら、社長もすぐに読んで「おもしろいじゃないか」と言ってもらえたんです。それで「彼女はほかのところをまわっているのか」と聞かれて「はい、まわっています」「すぐにとめろ!」と(笑)。社長のこの大胆な決断がなかったら、『十七歳』はうちから出ていなかったかもしれませんから、本当に感謝しています。
路望 原稿を渡して、帰りの電車に乗っているときにもう野村さんから電話がかかってきて「出す出さないとかじゃなくて、すごくよかったよ」って言ってもらったんです。
野村 そうだったかな。意外とエラいんだな、僕も(笑)。
路望 それで翌日にもう一度電話をもらって「出版しますから」っていう話になりました。
――野村さんは、原稿のどんな部分に魅力を感じたのですか?
野村 とにかく素直に感動したこと。それに尽きますね。それと本を出すというのは、ひとつの時代の中に一石を投じるという側面があると思うんですが、当時は教育評論家とか文化人とか、いろんな人たちが「17歳は……」とか「ルーズソックスが……」とか女子高生についてコメントをしていたんです。でも僕は、当事者である女子高生の声が一向に聞こえてこないと思っていたんです。「そういう風に知ったようなことをしゃべっているけど、本当に彼女たちのことを理解しているんですか?」という疑問を彼らにぶつけたかった。そんな時に出会った路望ちゃんの原稿は、まさに女子高生が自分の言葉で書き綴っていたものだったんです。世の中に17歳はたくさんいるけれど、こんな風に言葉にすることのできる子はそうはいないだろうと。
――『十七歳』というタイトルは、どのように決まったのですか?
野村 最初、路望ちゃんがつけてきたタイトルが「いまどきの女子高生」だったんですが、それは少し違うなと思って、次回までにお互いに考えてきましょうということになって。タイトルを考えながら原稿をあらためて読み返してみたときに、半年という時間をかけて書いたこともあって、原稿の途中で路望ちゃんの考え方が変わってきていることに気づいたんです。でも、これが17歳なんだと思った瞬間に、「タイトルは十七歳だな」と思いました。それで次の打ち合わせのとき、路望ちゃんに「タイトル考えた?」って聞いたら、やっぱり「十七歳」だったんですよ。それで「おおっ」となって。
路望 笑っちゃいましたね。
野村 運命的なタイトルだと思いましたね。それで、もうその後は一気に発売まで進んでいきました。発売前に知りあいの新聞記者に電話をして、いかにこの本が世の中に待たれているかっていう話を滔々としたんです。その人はまったく関係のない記者クラブの担当だったんですけどね(笑)。でもその後連絡がないからダメかなって思ってたんですけど、本が発売になった直後くらいに、社会面のトップ記事に大きく掲載されたんです。彼はゲラをきちんと読んでくれて、結果的に彼自身の判断で書いてくれた。うれしかったですね。その記事が出た直後から、いろんな新聞社、テレビ局からの問い合わせの電話がいっせいに鳴ったんですよ。マスコミ関係だけじゃなくて、会社に本を買いに来たおばあさんもいました。とにかくその日は電話が鳴りっぱなしでしたね。
――発売してすぐに反応があったんですね。
野村 最初は配本した地域にバラつきがあったりして、局所的にフィーバーしたという感じだったのが、徐々に広がっていったんです。いろんなテレビ、新聞、雑誌に取り上げられたことはもちろん大きかったんですが、やはり本そのものに力があったんだと思います。
路望 でも小さく火を灯したのを、大火事にしてくれたのは坂井社長や野村さんですから(笑)。
――『十七歳』は、“母と娘の同時出版”ということでも話題になりましたよね。
野村 『十七歳』の出版が決まって、路望ちゃんのお母さんから「娘の原稿を本にしていただけるそうで、ありがとうございます」というお礼のお手紙が社長宛にきたんです。それがとても素晴らしい内容だったので、社長が「お母さんも何か書けるんじゃないのか」という話をして。
路望 そう、実は書いてたんですよ(笑)。私の兄が成人するか結婚するときに渡したいと思って書いていたらしくて。坂井社長からそういう話をいただいて、一気にまとめて出版っていうことになったんです。
――それが『母業失格』(井上朝子)になったわけですね。『十七歳』がヒットしたという事実は、編集者としての野村さんにどのような変化を与えましたか?
野村 実は、それまで僕は「本を売りたい」とはあまり思っていなかったんですよ。自分が読んで素晴らしい本は「素晴らしい! 以上、終わり」という感じでした(笑)。とにかく自分にとって素晴らしいものだから本にしようという傲慢な考え方だったんです。でも路望ちゃんの原稿を読んだときに、「これはいろんな人に読んでもらいたい」「伝えなくちゃ」と強く思った。何より僕にとって大きかったのは、毎日送られてくる何千枚という数の読者ハガキで、はじめて読者が見えたというか、ハガキを読んでいると、この『十七歳』という本がいろんな読者に受けとめられて、その人たちの人生のある瞬間に読まれているという実感を、ありありと感じることができたんです。はじめて読者とキャッチボールができた、そのことが本当にうれしかったんです。
路望 私も送っていただいた読者カードを見て、はじめて自分のやっていることの意味を感じることができましたね。本当にうれしくって、体中が喜びのパワーで満たされていくような気持ちでした。
野村 読者という存在の大きさと、その読者を通して「彼らと同じ時代を生きてるんだ」という実感を持つことができた。だから毎日毎日読者カードを読むのが楽しみで、その読者カードに不断に励まされたことを覚えていますよ。
「『十七歳』から始まって、今ここにいる」と路望ちゃんに伝えられる自分でいたい
――この『十七歳』の出版、大ヒットを経て、いよいよ第三編集部が創設される訳ですよね。
野村 『十七歳』が出た1年後に、社長に呼ばれたんです。「野村、『十七歳』には読者カードがたくさん来ただろう。待ってくれている人たちがいるんじゃないか? あの路線で、一般書をやってみないか」と。『十七歳』の読まれ方が面白かったのは、もちろん17歳の子たちも読むし、「娘が何を考えているのか知りたい」と母親の世代も読むし、40代50代の人たちにも読んでいただいてたんです。この本を通して家族が会話を始めたり、人と人を繋ぐ役割を果たした本じゃないかと思うんですよ。そこで生まれたのが「世代を越えていく本」というイメージ。つまり大人の本、子供の本という風に区分けするよりも「ノンジェネレーション」というひとつのイメージをもって、その目標に向けて本を出していきましょうと。その確かなイメージが社長にも僕の中にもあって、これはおもしろそうだと。それで、2000年の3月に第三編集部が生まれたんです。
――では最後に。お二人にとって『十七歳』とは?
路望 とにかく、この本を出す出さないでは、それからの生き方がまったく違っていたと思います。この本を出させてもらえたおかげで、社会に一歩足を踏み入れることができたわけですから。大人を受け容れられるきっかけにもなったし。いい意味で、自分が変われたと思います。でも、そう思えるようになったのはつい最近のことなんです。それまでは恥ずかしくて恥ずかしくて……。時間が経つにつれて、この本の存在が大きくなってきたっていうか。大切なアルバムですね。本当に今はそう思う。
――現在の生活は、充実してますか?
路望 してると思いますけど、もっともっと充実させたいですね。今がベストだと思ってても、上に行けばそれがベストじゃないし、チャレンジはしつづけていたいと思います。
――はっきりと「これがしたい」と考えていることはありますか?
路望 作品をつくりたいですね。起点になるような。具体的なイメージはまだないんですけどね。
――野村さんから見て、『十七歳』のころから6年経った路望さんは、どのように映っていますか?
路望 いやあ、言わないでください(笑)。
野村 書き手としてはわからないけど(笑)、ちゃんと「つづきの一日」を生きてると思います。その人にとっての人生のテーマを途中で放り投げたりしないで、ちゃんと生きつづけるということは案外難しいことだし、それを忘れてしまった方が楽なときもあります。でも路望ちゃんは、「これはひとまず置いておいて次に行こう」と思ったり、ごまかしたりしないで、確かに一日一日を、つづきの一日を生きてるって思うし、そのことは僕にとっても、本当にうれしいことですね。
――では、野村さんにとって『十七歳』とは?
野村 やはり原点ですね。原点というのは、そこから始まっているということもあるし、スタートとゴールはつながってなくちゃダメだと思うから、わからなくなったら立ち戻るべき場所だと思います。そしてそこには、立ち戻って考えるに値することがたくさんあると思うし、路望ちゃんが6年経ってこの本の存在が大きくなってきたって言ってましたけど、そういうものだと思うし。路望ちゃんと出逢えて、この本を出せて、いろんな人とつながることができたことの意味というのは、これからもどんどん変わっていくと思いますが、望むらくは「そういえば、昔あんなことをやったね」という単なる思い出話としてではなく、「あそこから始まって、今僕はここにいるよ」ということを、10年経っても20年経っても、路望ちゃんに伝えられる自分でいたいな、と思います。
――どうも、ありがとうございました。
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『十七歳』
ポプラ社にメッシュの女子高生が原稿を持ってやってきた。
“女子高生の本当の姿を知って下さい”と。衝撃と感動の真実!!
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著:井上路望
初版発行: 1999年03月
ISBN: 4-591-06044-6
定価: 998円 (本体: 950円) |
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