これまでほとんど知られることのなかったアメリカ女子刑務所の様子を赤裸々につづった『プリズン・ガール』が、今月、ポプラ社より刊行された。今回は、この『プリズン・ガール』の著者・有村朋美さんと、2004年に『獄窓記』で第三回新潮ドキュメント賞を受賞した山本譲司さんに、日米の刑務所について存分に語ってもらった。驚くべき真実が今、明らかに……!! 
(構成/編集部)

<前編>

編集部:では、まずお二人に、刑務所に入った経緯をお聞かせいただけますか。

山本:はい、振り返ると恥ずかしい話ですが、衆議院議員に初当選したあと、2年11か月間にわたって、国から支給される政策秘書の給与を私設秘書の給与に流用していたんです。それが詐欺罪ということで立件をされて、一審で懲役1年6か月の実刑判決を受けました。その一審判決に従って服役をしたということですね。

有村:私が逮捕されたのは、ニューヨークでした。語学留学生としてアメリカに渡って、3年目でしたね。自分としては、犯罪に関わることは一切していなかったのですけど、その時につきあってた恋人に問題があって……。その彼、ロシア人でマフィアだったんですよ。しかも、ニューヨークで一、二を争う麻薬密売人だったんです。その彼が、私の知らないうちに、私の部屋で勝手に麻薬の取引きをしたり、私のクレジットカードを使って、大量のエクスタシー(合成麻薬・MDMAの通称)を配送していたりしていて。そのことで、私も麻薬の組織犯罪を行っていたということにされちゃったんです。FBIが突然、「逮捕する!」ってやってきた時は、本当にびっくりしました。しかも、逮捕されてから、弁護士さんからも、「裁判をやっても負けるから、自分から罪を認めた方がいいよ」みたいに言われて……。それで、結局、懲役2年の刑を受けることになったんです。そうして入れられた刑務所の中は、ひとことで言えば、「自由はあるけど、そのぶん、ものすごくこわい!」って感じかな。それで、刑務所の中の労働としては、日本語教室やピアノ教室の先生をしていました。アメリカの刑務所には、囚人向けのカルチャースクールみたいなのがたくさんあって、その先生をするのも、囚人の仕事のひとつなんですよ。

山本:僕が服役中に与えられていた作業というのは、障害のある受刑者たちの世話係でした。日本の刑務所には、知的障害者、精神障害者、視覚障害者、聴覚障害者、認知症老人というように、社会的ハンディキャップを抱えた受刑者が数多くいますからね。なかには、自分がどこにいるのかさえ理解していない受刑者もいます。ところ構わず失禁してしまう受刑者もいて、彼らのオムツ交換や入浴介助などが僕のルーティンワークでした。入所してみて、彼らのような人たちが刑務所の中にいるという事実に、本当に驚かされました。コミュニケーションをとることすら困難な人たちもたくさんいましたし、はじめのうちは、彼らの突飛な行動に戸惑いを感じて、たじろぐ日々が続きました。でも、1年2か月やっていくなかで、彼らとの間に仲間意識を持つようになり、介助することによって生まれる精神的充実感、あるいはやりがいを感じるようになってきたんですね。そういう満足感を味わいはじめたかな、という時期に仮釈放が許可されて出所。結局、消化不良という感じだったんです。で、今は障害者福祉施設に支援スタッフとして通うかたわら、障害を抱えた受刑者や高齢受刑者たちの受け入れ施設づくり、あるいは彼らが社会復帰をするための制度づくり、そんな活動に取り組んでいます。それが出所後の私のライフワークですね。

有村:私は『獄窓記』を読んで、アメリカの刑務所と日本の刑務所、本当に何から何までちがうので驚くことばかりだったんですけど、山本さんは『プリズン・ガール』お読みいただいて、どうでしたか。

山本:たいへん面白く読ませてもらいました。面白いっていうのは、安部譲二さんの『塀の中の懲りない面々』を読んだ時と同じような感じですね。あの軽妙な筆致、僕にはとても書けない。また書いちゃいけなかったんですけどね、僕の場合、悔悟の書だったので(笑)。でもね、安部譲二さんのように刑務所経験が豊富な方は、服役体験を卑屈に思うことはないだろうと考えていたんですが、「そんなことはない」と安部さんはおっしゃる。ご本人にうかがったんですけど、「刑務所は恐ろしいところ。塀の中なんかには、もう絶対に戻りたくない」と。やっぱりみんなそうなんです。ですから有村さんの文章も、すごく行間は重いですよ。シリアスな状況、過酷な状況だからこそ、逆に、ちょっとしたことで大笑いしてしまう。でも笑った後は、非常に落ちこんでしまうんですよね。『プリズン・ガール』を読んで、他の方がどう思われるかはわかりませんが、僕は、笑っている場面を読みながら涙が浮かんでくる、そういう感覚になりました。本当に切ないなーって。

編集部:それは同じ体験をした方ならではの感覚かもしれませんね。

『獄窓記』著者 山本譲司さん
山本:たぶんそうだと思います。そりゃ悲しいですよ。刑務所の中で本心から笑えることなんて、絶対にありませんからね。まあそれも、すべては自業自得ということなんでしょうが……。最近、監獄法改正の動きのなかで、人権派といわれる学者や弁護士の方たちが刑務所改革についていろいろと発言されていますが、その多くは「受刑者の自由を拡大しろ」ということですね。彼らは、刑務所を視察してみて、日本の受刑者にはまったく表情がないことに気づくそうです。だから、もっと受刑者に自由を与えて、刑務所の中でも笑顔で暮らせるようにと。でも、自由がないから笑えない、そんな単純な問題ではないんですよ。それに本当に塀の中の自由を増やしたりしたら、現状では大変なことになる。アメリカの刑務所と違って、日本の刑務所は、ある意味、刑務官や規則によって受刑者が守られているんです。塀の中は、貧富の差はなし。もともとの地位も関係ありません。体力がものをいう世界でもない。もめごとがあれば、すぐに刑務官が治めてくれるんです。が、しかし、その弊害も非常に大きいんですね。塀の中で受刑者は、徐々にロボット人間と化していきます。受刑者に仮釈放を認めるかどうか、懲罰を与えるかどうか、そのすべての権限は現場の刑務官にあるんですよ。大げさな表現かもしれませんが、まさに生殺与奪の権を握られているんです。受刑者は、刑務官の言うことに唯々諾々としたがうことで模範囚とされる。模範囚になれば、仮釈放の時期が早くなる。模範囚になるためには、反省の言葉や態度を必要以上に刑務官に示すことになる。それが心にもないことであってもですね。日本の刑務所は、いわば偽善の所作を学ぶところになっているんですよ。

有村:去勢されるみたいになっちゃうんですね。

山本:そうですね。ただし、そうふるまっているだけで、実際は違う。が、それをもって「反省の態度」と刑務所当局は認識しているんですよ。すらすら反省文を書いている受刑者を見て、「彼は反省している」と単純に受けとってしまっています。本当は、反省文を書こうにも、なかなか筆が進まずに煩悶している人間のほうが、より自分を責めて、犯した罪を恥じているのに。まあ、日本の刑務所には、いろんな問題がありますね。でも、さらに問題なのはアメリカの刑務所だな、と『プリズン・ガール』を読んで思いました。

有村:私が刑務所に入る時、日本の刑務所とアメリカの刑務所、どっちに入るかという選択肢が一応あったんです。でも、領事館の方が来てくださって、日本の刑務所に移ることになった場合、あなたのケースが初めてだから、アメリカで適用されるような減刑を受けられるか保証できないと言われて。

山本:それは領事館職員の親切心なのか、司法に対する越権行為なのか、よくわかりませんね。少なくとも領事館の人が言うようなことはない。おそらく日本の刑務所でも、25パーセントは減刑されていたでしょう。それにしてもですね、僕は有村さんの本を読んで非常にドキッとしたのは、受刑者が刑務官の後を歩く場面がいくつか出てくるでしょう? 日本じゃそんなこと考えられないです。刑務官の後ろにまわっただけで、日本の刑務所では懲罰ものですよ。

有村:そうなんですか!?

山本:あと独房の中でカーテンを閉めるシーンがありますが、あれも日本じゃ絶対に考えられない。一般的に、ヨーロッパの刑務所運営は処遇行刑といわれていて、日本が保安行刑、アメリカは自由行刑とされている。自由行刑というのは、受刑者を社会から引き離して、塀の中に隔離さえしていればいいんです。それで目的達成ですね。一方、ヨーロッパでは、更生プログラムというものがきちんとあって、その受講を受刑者に義務づけている国が多いようです。で、日本の場合はというと、所内秩序の維持が第一。要は、受刑者に刑務所内で事故を起こさせない、そのことがすべてに優先するわけです。事故というのは、自殺や逃亡。ですから、カーテンのように長い紐状になるものは一切ないんです。でも人間って、死のうと思えば必ず死ねますからね。チリ紙を飲みこむとか、水道の蛇口にタオルをかけて首を吊るとか。ですから、本気で自殺をさせまいと思ったら、受刑者の人権なんて言ってられません。人権を無視した、相当厳しい管理をすることなりますね。

有村:本の中にも書いたんですが、私が刑務所にいるときにも一人女の子が自殺したんですよ。それは、かなり大問題になりました。結局、職員が病院に連れていかなかったんです。彼女は囚人仲間と陰で取引きをして抗鬱剤をいっぱいためこんで、それを飲んで、あとは売店で手に入るかみそりを飲みこんで、結局何で死んだのかわからないような状態だったんですけど、死のうと思えばいくらでも死ねますね。

山本:厳しい管理体制を敷いている日本の刑務所でも、しょっちゅう自殺はありますからね。

有村:でも、アメリカの刑務所ではそれほど多くはなかったかもしれない。宗教の問題もあるのかな。キリスト教では、殺人よりも自殺のほうが神に対する罪は重いというくらいですから。

山本:有村さんは本の中で、最初に入れられた独居房がかなりつらかったと書かれていますけど、日本では基本的に、最後までああいう状況の中で受刑生活を送るんです。僕も1年2か月間、独居房でずっと暮らしていましたがね。特にはじめの1か月くらいは、仕事もない、テレビもない、本もない、なんにもないというところで、ただひたすら反省の日々を送れといわれる。それで観察されるわけですね。自殺の可能性がなくなったと認められて、やっと懲役工場に配属となる。ただし、その仕事も全部刑務所当局が決めることで、受刑者に選択権などありません。自分の希望なんか言ったら、懲罰になりかねない。日本の刑務所では、受刑者が自分の願いや意見を述べることはご法度で、抗弁とみなされてしまうんです。

有村:アメリカの場合は、全部自分でやらないと何も進みません。刑務所のなかで就職活動をしなくちゃいけないんですよ。入所1か月以内に自分から仕事を申請しないと、キッチンか庭掃きにまわされます。キッチンは、食堂で次々に押しよせる1300人分の残飯を片付けなきゃいけない重労働で、庭掃きは、退屈な上に給料が安いのでみんな嫌がります。まあ、まじめに掃除をしている人もあまりいないんですけど(笑)。私は、となりの囚人房に刑期の長い刑務所の主のようなおばさんがいて、彼女の恋人(※1)がランドリーの部署のボス格だったので、そこを紹介してもらって入りました。洗いあがった洗濯物をひたすらたたむという職場なんですけど、ヒスパニック系の囚人が多くて、ラジオでサルサを大音量で流してダンスしながらたたんだりしてましたね。

山本:受刑者同士で仕事を紹介しあうなんて、考えられませんね。日本では、仕事も官が公平に分配してやらなければという考えがあるんでしょう。でも、受刑者側にその習慣が染みついてしまうと、社会に出たあとも、なかなか職に就けなくなります。命令や規則にしたがうだけの生活というのは、堅苦しいと思われるかもしれませんが、慣れればどうってことありません。いや、自分でなんにも考えなくていいわけですから、かえってぬるま湯に浸かっているようなものかもしれませんね。一挙手一投足を管理される中で、自主性が退化してしまうんです。まあ、日本の刑務所にはいろいろ細かい規則があるわけですけど、たとえば、作業中に脇見をする、これはもちろん違反行為です。でも普通、脇見っていうのは、こう首を動かしてきょろきょろすることだと思っていたんですけど、刑務所の中では、眼球を動かしただけで、脇見とされるんです。

有村:すごーい。アメリカの刑務所は、規則に関してはかなり自由ですから。囚人が自由なぶん、危険度が高いともいえますけど。アメリカの刑務官や囚人に、日本の刑務所の規則の細かさを話したら、きっとみんな驚くと思います。一度、私が、「日本の刑務所では、オフィサー(刑務官)のことを、先生って呼ばないとだめらしいよ」って話したら、囚人たちみんな、大爆笑してました。

山本:でも、受刑者が刑務官のことを「先生」って言うのは、政治家のことを「先生」と呼ぶのと同じように、馬鹿にして使っているという側面もあるんですよ。ところで、有村さんの本を読んで思ったんですが、アメリカの刑務官というのは、フレンドリーな感じもするんだけど、一方で、仕事が非常に雑ですね。これは役所全体にいえることでしょうが、アメリカっていう国は、役人の仕事ぶりがかなりいい加減なところがあります。過去に何度か合衆国政府や州政府、それにニューヨーク市役所などを訪ねたことがあるんですけど、時間も平気で遅れてくるし、自分のセクション以外のことは何も知らない、そんな役人が実に多かった。日本の公務員の場合、まずそんなことはないですね。特に行刑施設の職員は、他の役所の職員とくらべても、責任感と使命感をもって本当に一生懸命に働いていました。ただし、自分のところで何でもやってやろうという思いが旺盛で、それが裏を返せば隠蔽体質につながるんですね。最近、立て続けに発覚した刑務官による不祥事の原因も、そのあたりにあると思っています。人手の足りない行刑施設の中では、他者によるチェック機能がまったくはたらいていないんです。

有村:アメリカもぜんぜん人は足りなかったです。

山本:そうでしょうね。日本の刑務所が過剰収容状態といっても、アメリカほどではありませんからね。今アメリカの人口は、全世界の20分の1にも満たないんですが、世界中の被収容者の実に4人に1人はアメリカ国内にいるんですよ。日本の場合は受刑者総数が6万人ですから、全人口の2000分の1人くらいが受刑者で、アメリカの場合は200何人に1人が受刑者といわれています。ですから、これはアメリカから帰ってきた元受刑者に聞いたんですけど、アメリカには受刑者の市民権があるというんですよ。そんなに自分を卑下して生きなくても、わりと近くに受刑経験者がいる、と。今僕は『獄窓記』という本も出させていただいたんで、たくさんの元受刑者の方からお手紙をいただくんですけど、まあみんなひっそりと暮らしています。やくざ組織にでも入らないと、自分の居場所がないって嘆いている人が多いですね。そして結局、また塀の中に入ってしまうようなことをやってしまう。

有村:200人に1人というのは、黒人とかラテンとかの条件をつけると、さらに割合は増えると思います。貧民街にいた人だと、なんか刑務所の中にいる人がみんな知り合いみたいで「あ、お兄ちゃんのクラスメイト」「あの人、お母さんの友達」とか、そんな感じ。

編集部:食事はどうでしたか?

有村:一応は規則があるんですけど、みんなぜんぜん守ってなかったです。自分勝手に隠れて料理を作ったり。それが原因で大ゲンカの殴り合いがあったり。また、食事をとらなくても、刑務官は何も言わないですしね。ほったらかしです。

山本:日本は、拒食なんてしたら懲罰で、のどに管を通してでも食べさせられます。

編集部:具体的には、どんなメニューだったんでしょうか。

有村:食堂に行くとバイキングで好きなものをとって食べられるようになってるんです。サラダバーにはブロッコリーとかトマトとか季節の野菜がばーっと並んでいて、フルーツなんかも山積みになってる。私がすごく頭にきたのは、それだけよくしてもらってるのに、刑務所仲間たちが「マクドナルドのほうがおいしい」とか文句をいっていて、でも彼女たちが外で食べているものより刑務所のほうがずっと栄養バランスもいいし絶対おいしかったと思います。ただなんでもかんでも文句をつけたくて言ってただけだと思う。

山本:バイキング方式なんか、日本ではとてもありえないですね。僕は食事の分配係もやっていましたけど、僕の工場でいうと60名くらいの受刑者がいて、食事の前に1時間くらいかけてまず60名分を食器に取り分けるんです。当然、量が平等になるようにね。でも、それを刑務官がさらにチェックして、こっちが多い、これが少ないと、おかずを皿から皿へと移動する。食事の多い少ないが、いちばんの喧嘩の原因になっていましたからね、分配係も刑務官も非常に神経をつかっていました。献立は、栄養バランスはとれていたと思うんですけど、うーん……。たとえば鮭の塩焼きといっても、本当は鱒で、ほとんど味がしない。それに味噌汁。味噌汁のなかにはだいたいもやしが5本ぐらい入っていたかな。そして主食が麦飯です。昼食はいちばん豪勢で、おかずの他にミカンがついたり、バナナがついたりしていました。朝はとにかく日の丸弁当ですよ。ごはんに梅干、それにふりかけか納豆。

有村:えー、いいなあ(笑)。日本食が一切食べられなかった私からすると、逆にうらやましいです。あと、日本では甘いものに飢えるってよく聞きますけど、そうなんですか?

山本:僕は辛党で、以前はほとんど甘いものは食べなかったんですけど、刑務所に入って食べ物の嗜好が変わりましたね。めったに食べられないので、無性に甘いものが恋しくなるんです。アメリカでは、どうなんですか?

有村:まず毎食後にデザートがつくんですよ。それから、私は特に売店で仕事をしていたので、売れ残りのものが食べられたりするんですよ。

山本:売店があるんですか?

有村:はい。買いたい物を売店で選んで、クレジットカードで買い物ができるんです。1か月に300ドルまでですけど。もっと買いたい人は、他の受刑者に頼んでカードを使わせてもらったり。

山本:日本の場合、懲役作業をしてもらえるお金が月平均でだいたい4000円くらいなんです。物品購入に充てることができるお金は、その五分の一くらいと言われていました。だから買えるのは歯ブラシとか石鹸とか、身の周りのものくらいですね。菓子類なんかは、はじめから売ってもいません。もっとも、日本の刑務所では、支給された官物で生活するというのが原則ですから、私物を買うことは権利ではなくて、処遇上の「恩恵」だという考え方でした。受刑者になった人間というのは、もともと貧困な生活を送ってきた人たちが多いですから、中にあんまり貧富の差を持ちこませたくないという配慮もあったんじゃないでしょうか。実は、刑務所に入るとき、自分のことは棚にあげといて、どんな悪い奴がいるのかと思って戦々恐々としていたんですけど、本当に悪党というのは僕も含めて2、3割くらいでしたね。あとの7、8割は、社会的弱者といわれるような人たち。特に高齢者が占める割合は、世界的に見ても突出して高いんです。もちろん、彼らも罪人に違いないんですけど、やったことといえば、無銭飲食とか置き引きといった微罪ですよ。アメリカには凶悪な人が多そうですね(笑)。

有村:多いです。でもみんな自分が何やったかっていうのはあまり言わないし、外には出さないですね。普通のいかにも善良そうで、いつもチャーチで「皆さん、今日はいっしょに神様にお祈りを捧げましょう」なんてやってる人が5人殺してたりとかする。

山本:日本の場合は、本来なら社会内で処遇すべき人がかなり入ってきちゃっているんですね。これはどこの国でもそうなんですけど、福祉予算と相関関係があって、福祉予算が相対的に少ないところほど刑務所人口が多い。はっきりとそんなデータも出ています。

有村:私はランドリーの仕事の後、日本語クラスとピアノクラスを受け持って教えていたんですけど、ピアノクラスには高齢者がけっこう多かったんです。でも私が一生懸命教えてもあまり続かなくて。最初はみんな、自分がどれだけピアノに興味があるか熱心に聞かせてくれたりするんですけど、根気が続かない。そのうち、ピアノを教えるのではなくて悩みを相談されたりして、カウンセリングルームみたいになっていきました(笑)。自分が更年期障害で汗が止まらないのに、扇風機をつけるととなりのベッドの意地悪女が寒いと言ってすぐ切ってしまってケンカになる、そういう話を一時間かけて聞いてあげたりとか。

山本:その場面では、受刑者同士、完全に二人だけになるんですか?

有村:そうですね。

山本:日本の刑務所では、そういうシチュエーションには絶対になりません。刑務官が見ていないところで受刑者同士が会話することは、固く禁じられていますから。まあ雑居房では、ひそひそと話をしていたようですけど。

有村:夕方6時以降、夕食が終わった後っていうのは、まず見渡しても刑務官がいないんです。そうすると、施設はすごい広いので、密室になる部屋はけっこうありますね。

山本:日本は、受刑者どうしが触れ合うこともできないんですよ。

有村:あ、アメリカも触っちゃ駄目です。

山本:でも、本の中では、他の受刑者の髪を結ったりとかしていますよね。

有村:それは厳しい刑務官だと注意されます。ペディキュアをしてあげるために足を触ったりとかも、基本的に駄目です。でも注意をされたら「すみませんでした」っていうだけの話で。アメリカの刑務所はそのへん、かなりいい加減です。

<後編>へつづく

※1恋人: アメリカの刑務所はある意味レズビアン社会で、刑期の長い囚人ほど、真性のレズではなくとも男役と女役に分かれて、所内でカップルになることが多い。
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有村朋美 ありむら・ともみ
1977年、東京生まれ。高校卒業後、OL生活をへて、21歳の時にアメリカ・ニューヨークに渡る。ロシアン・マフィアの男性と恋人関係になったために麻薬密売組織への関与を疑われ、FBIに逮捕。24歳の時より約2年間、コネティカット州の連邦女子刑務所に収容された。服役を終え、日本へ強制送還となった後、獄中記となるこの本を書き始めた。

山本譲司 やまもと・じょうじ
1962年、北海道生まれ、佐賀県育ち。早稲田大学教育学部卒。菅直人代議士の公設秘書を務め、都議会議員を経て、国政の場へ。 衆議院議員2期目を迎えた2000年9月、政策秘書給与流用事件を起こし、実刑判決を受けた。433日の獄中生活と事件を語る本書が初の著作となる。本著で第三回新潮ドキュメント賞受賞。