独創的な世界観をエンターテインメント性あふれる物語の中に投影し、幅広い世代から熱狂的な支持を集める作家・伊坂幸太郎さん。映画『蛇イチゴ』『ゆれる』で濃密な人間関係を題材に、記憶の曖昧さや絆の不確かさを繊細かつ大胆な描写で鮮やかに切り取り、内外から高い評価を受ける映画監督・西川美和さん。ともに70年代生まれの若手実力派二人が、ジャンルを超えて語り合う、豪華な対談が実現しました。小社より刊行のPR誌「アスタ」2月号に掲載した対談のロングバージョンです。どうぞお楽しみください。



伊坂幸太郎(以下、伊坂) 今日はお会いできてとても光栄です。

西川美和(以下、西川) 私のほうこそ、本当にうれしいです。もう純粋に一読者として、ご本を読ませていただいているものですから。まさか自分の作品を見ていただいているとは思っていませんでしたので。

伊坂 『ゆれる』は本当に良かったです。僕はひねくれた性格なもので、みんなが褒めだすと「そんなに?」って思っちゃうんですけど、『ゆれる』は違ってましたね。泣ける映画っていうのもあまり好きではないんですけど(笑)、最後のシーンは涙が止まりませんでした。


(C)2006「ゆれる」製作委員会

西川 いやあ、お恥ずかしい。でもそう言っていただけると本当にうれしいです。

伊坂 『ゆれる』を観た後で、『蛇イチゴ』もDVDで拝見して、これもすごく良かったのですが、やはり西川さんはオリジナルの作品を作ることへの欲求がとても強いのかなって思ったんです。

西川 原作のあるものを演出する自信がないんです。原作者の方の作品への理解力を、越える必要はないのかもしれないですけど、どうしてもそれに劣ってしまうだろうなっていう気持ちが、自信のなさに繋がってしまって。それに、やはり文字で表現されたものと映像で表現するものって、ずいぶん特徴に差があると思いますし。たとえば、伊坂さんの小説を読ませていただいていて、すごく面白いと思った瞬間「ああ、これは映像で表現できないな」って感じてしまうんですよ。「これを映像で表現すると、作品のよさがうまく伝わらないんじゃないかな」と。伊坂さんはきっと言葉の世界でしかできないことを探られてるんじゃないかな、と勝手に想像したりしながら。

伊坂 それは僕が本当に意識していることというか、やはり表現として映画や他の媒体ではできないことに意味があると思うんですよ。でも僕の本って読みやすいし、そういうふうにはあまりとらえてもらえないので、映像化のお話って多いんですけど。

西川 伊坂さんの作品はストーリーの展開が非常に面白いので、みなさんエンターテインメント系の映画として作ってみたいって思うのかもしれないですね。

伊坂 実は『アヒルと鴨のコインロッカー』が来年、公開されるんですよ。

西川 へえ、それは楽しみですね!


『アヒルと鴨のコインロッカー』(東京創元社刊)
定価1575円(本体1500円)
“映像化は不可能”と言われていた、伊坂氏の代表作のひとつに挙げられる傑作ミステリ。
※昨年12月22日には文庫版が刊行。定価680円(本体648円)


伊坂 これは本当に素晴らしい映画ですよ。ビデオもいただいたんですけど、毎日、観ていたくらいです(笑)。「ちょっと人が死にすぎだろう」って思うところがあるんですけど、それは原作者の僕の責任で映画の責任じゃないなって思いつつ(笑)。西川さんはこれまで二本の映画を大事に撮られて、『ゆれる』がこれほど評判になって、次回作へのプレッシャーってありませんか?

西川 やはりプレッシャーはありますね。
『ゆれる』を書いているときも、「これは『蛇イチゴ』よりも面白いのだろうか?」という不安がずっとあったんですよ。ですから、次回作は『ゆれる』よりも面白くなければいけないという恐怖感はあります。とはいえ、その作品が面白いかどうかは、正直、観客の方に観ていただくまではわからないというのが本音です。オリジナルの脚本を書くというスタンスも変わりませんし。




――お二人の作品の中では、「兄弟」という関係性が重要なモチーフになっていると思うのですが。

西川 私には兄がいるのですが、『蛇イチゴ』では「家族」をモチーフの中心にもっていったので、自分と兄の関係を投影させた部分はありますね。『ゆれる』に関しては、夫婦や友人も含めて、非常に近い間柄の人間関係ということで考えていたんですけど、男女の友人関係という設定で描いた場合、もちろん固定された友人関係としてみてもらえる場合もある一方で、恋愛関係に転がることを期待される方もいるだろうし、観客によってとらえ方が違ってきてしまうと思ったんですね。共通認識にはならないと。そこで、同姓でお互いの人生に責任をとらないと逃れられないような関係性、というところで兄弟にしようと思ったんです。

伊坂 僕も兄弟という設定が好きなんですよ。実際にも年子の弟がいるんですけど。もし関係がうまくいかなくなった場合、夫婦や恋人だったら別れるという選択肢があったり、親なら不謹慎だけど自分より早く亡くなる可能性が高いから終わりが見える。でも、兄弟の関係というのはずっと切れることなく、嫌でも繋がっていかなきゃならない。よく考えると不思議なんだけど、だからこそ惹かれるんだと思います。『ゆれる』にハマったのも、そういう理由があったからかもしれないですね。

――お二人は作品を作るうえで、どこまでエンターテインメントに徹するのか、という点で迷ったりすることはありますか?

伊坂 昔は無邪気だったので、自分が好きなように書けばいいやって思ってたんですけど(笑)、最近は相当悩んでます。おそらく読者の方は娯楽小説だと思って読んでくださってると思うんですけど、僕自身はどこかで違うという気持ちもあって。どこまで譲るのかっていう点では、すごく悩みますね。登場人物がこういう会話を交わしたら絶対面白いし、読者も喜ぶっていうことはわかったうえで、それで二行割くのはどうなんだっていう気持ちが、僕の中にあることは事実です。僕が今まで散々、書いてきたようなセリフでも、読者は喜んでくださるかもしれないじゃないですか。でも、僕はそのセリフを書くことを躊躇してしまう。なんか、最近はとくに、こんなふうにネガティブな方向に考えてしまうんですけど(笑)。

西川 映画の場合は、関係するスタッフの方が多いんですね。船頭が多いので、その数だけ文句が出るっていう(笑)。でも、それを全部聞いてしまうと、自分の作品ではなくなってしまうので、どこまで自分の考えを押し通すのか、逆に他人の意見を盗んで自分のものにしてしまうのかっていうズルい計算もあったり。

伊坂 僕が怖いと思うのは、娯楽性をなくすと独りよがりになってしまうんじゃないかと。「わかるやつだけわかればいいんだ」という考え方は、卑怯だと思うんです。もちろん、徹底的にこだわった上で「これでいいんだ」って言い切れる人は、それはそれで強いと思うんですけど。

西川 私は娯楽性のない退屈な映画も存在するべきだと思うんですけど、「映画って楽しいなあ」と思って映画を観てきた人間なので、やはり観客の方に楽しんで観てもらいたいという気持ちが強いんです。私の場合は、扱うテーマが陰性か陽性かというと、必ずしも陽性ではないから、逆にどうやってストーリーの部分で楽しんで観てもらうかが勝負所かなとも思うんですよね。

伊坂 そうですよね。ニンジンが嫌いな人にいかにニンジンを食べてもらうかじゃないですけど、カレーに混ぜたり、みじん切りにしたり工夫をしないと、絶対食べてもらえないだろうなって思っちゃいますね。

西川 伊坂さんの作品を読ませていただくと、ストーリーとか展開はもちろん面白いんですけど、登場人物が語る言葉とか、思想がとても新鮮で面白いんですよ。一種の楽しめる哲学書を読んでいるような感覚があったりするんですよね。たとえばですけど、『ラッシュライフ』で、河原崎が聞く幻の父の囁き「神は蚊だよ。復活という意味では蚊は毎年復活するじゃないか。いや、それを言うなら動物はみな、死んでは生き返り、ぐるぐると復活を繰り返しているようなものじゃないか。要するに大きな視点から見れば、地球の生命の生き死にその現象自体が神じゃないか」というくだりとか、とても興味深くて線を引いて読んでました。

伊坂 それは、誤植の箇所に線を引いた、とかじゃなくて?

西川 違いますよ(笑)。固まりそうになっていた価値観が、一回ほぐされてバラされるような感覚があって。それが非常に心地いいんですよね。勝手な想像ですが、成長過程にある子供に読ませるといいんじゃないかなと。説教臭かったり、糾弾されているという印象が全然ないから、とてもリラックスして読めますし。いろんなものの考え方があるんだということを教えるという意味でも。伊坂さんは、ご自分の作品を時間が経った後で読み返されたりしますか?

伊坂 文庫化という作業があるので、単行本が出てから三年目にはだいたい読み返しますね。すると、変な話なんですけど僕は好きなんですよ、自分の作品が。「ああ、面白いな」って思うんです。「昔の俺は輝いてた」みたいな(笑)。僕の中では今の自分との連続性がないんです。だから「ああ、こういう作家がいたんだ」というくらい、自作を客観的に見ていますね。

西川 なるほど。わたしはできるだけ振り返りたくないんです。でも映画祭に招待していただいたりして、お客さんと一緒に観ざるを得ないような場合は仕方なく観てしまうのですが、『蛇イチゴ』をひさしぶりに観ると「ああ、セリフが多いな」と感じてしまうんです。現実には人っていろいろな場面ですごく喋るんだけれど、映画でそれをやってしまうと「説明的」な印象が強く残ってしまうんだなと。




伊坂 最近、人に会うと必ず伺っていることがあるんですけど、西川さんがいちばん達成感を感じるときはいつですか?もっと具体的にいうと「誰にほめられるといちばん嬉しいか?」ということなんですが。作品ができあがったときに、自分では満足しているつもりでも、どこかに不安があるじゃないですか。そのときに誰か、たとえばそれは「賞を受賞する」であってもいいと思うんですけど。

西川 わたしの場合は、身近な人間が多いですね。母親であったり、兄であったり。兄がとても映画が好きだったので、それに習うような感じで自分も観始たのがこの世界に入るきっかけになったようなものなんです。アヒルの刷り込みではありませんが、自分より兄のほうが映画のことを知っているという先入観がありますので、兄から褒められると「ああ、ひと安心」という感覚はあります。あとはやはり、是枝(裕和)さんですね。わたしにとっては先生といいますか、師匠ですから。映画のテーマになるものとか、今何が面白いかということに関しては、私としては意識が近く感じられる部分も多いですし。ホン(脚本)を読んでもらって、是枝さんが首をひねると「ああ、やっぱりダメなのかな」と思ってしまうところはあります。

伊坂 僕の場合、いちばん身近にいて感想を言ってくれる人というと編集者になるのですが、立場上どうしても「同志」のようになってしまうので、作品に対しては「これ、いいですね」という感想が多いんですよ。もちろん編集者のことは信頼しているので、褒められればうれしいのですが……。ただ、どうすれば自分は達成感を得られるんだろう、と最近は悩むことが多くて。もちろん、賞というのは全然関係ないことですし、うちの奥さんになるともう、ほとんど僕と感覚が一緒になってしまっているし。しかも最近は、僕の本を読んでくれないんですよ(笑)。それで不安がさらに増して、自信もなくなる一方なんですよ。





――西川さんは、今回初めて小説を執筆されたわけですが、シナリオと小説で書く際に違いのようなものは感じましたか?

西川 違いましたね。たとえば映像の場合、山と湖が映っている画面だと、山を見るか湖を見るかは観客任せです。物言わぬ画から何を感じとるかが自由なところが映像の素晴らしさでもあると思うのですが、小説の場合だと描き手がそんなにあやふやではいられない。情景の説明をする際、選択する語句の順番によって意味が全然変わってくるじゃないですか。こちらがものの見方をより明確に提示しなければならないんだなと、実際に書いてみて気づきました。あとは、とにかくなんと自分の語彙は乏しいのかと…もう愕然としました(笑)。

伊坂 そうですか? そんな風には思わなかったですけど。僕の担当編集者の間でも相当評判いいですよ。悔しいことに(笑)。

西川 いやあ、お恥ずかしい。本当にもう、小説の書き方を教えていただきたいくらいですよ。

伊坂 僕も正直わからないんですよ。会話文と地の文とがあると、とりあえず小説の形にはなるじゃないですか。でも僕は会話文があまり好きではないんです。書いてる分には会話文だけのほうが楽しいんですよ。読みやすいし、ページはどんどん増えていくし。でもそれは小説家としては怠慢だと思ってしまって。ページの下半分が空白だらけの小説って嫌じゃないですか。だから『砂漠』では会話文の終わりで改行をしないで、「空白を文字で埋めていこう」と考えて実践したんですけど、本当に評判が悪くて(笑)。

西川 なるほど。そういう視点からも小説というものを捉えていらっしゃるんですね。

伊坂 最近は一周回ってきたというか、それほど会話文を毛嫌いすることはなくなってきましたけど。うまくバランスをとって、ポイントポイントで切り替えて行けばいいんじゃないかと。

西川 伊坂さんの場合は、会話文が上手だから、余計に空白が目立ってしまうような気がします。

伊坂 どうでしょうね(笑)。僕は映画が好きなので、そこから来ているところが多いと思うんですけど、映画ってセリフにキレがあると、いいシーンだなって思える。でもそのセリフを文字にした場合、気取っているように見えてしまうんですね。やはり生身の人間が喋るというのは、説得力があります。

――伊坂さんのお書きになる会話文には、きっとそういう「キレ」があるのだと思います。そして、おそらくそういうセンスを持っている人は日本の作家の方ではあまりいらっしゃらないので、ファンは伊坂さんの会話文をもっと読みたいと思われているのではないでしょうか。




伊坂 この間、映画監督の山下敦弘さんとお会いする機会があったんですよ。それでいろいろとお話をさせていただいたんですけど、『リンダリンダリンダ』の話になったときに、主人公の急造りの女子高生バンドが、学園祭のステージに間に合って「リンダリンダ」を演奏するっていう展開について、どこか照れもあった、というようなことをおっしゃってたんですね。たぶん、直球が恥ずかしいということなんでしょうが、その感覚、僕もすごくよくわかるんですよ。でも、逃げちゃダメだ、と思われたそうで(笑)

西川 そう!「逃げるな」ってよく言われるんですよ、一世代上の人たちから。
たとえば音楽のつけ方に関してもよくそれでもめるんですけども、ここは泣けるだろうっていうシーンに、それをあおるような音楽を私はつけたくないんですよ。「泣かされてる」不快感って結構あるじゃないですか。

伊坂 ありますよね。でも僕はついうっかり泣いてしまったりするんですけど。

西川 いやもう私もすぐ泣いてしまうんですよ、何を見ても。この間も『水戸黄門』で泣きました(笑)。でも観客を泣かせることと、感動させることはまったく別モノだと思うし。




伊坂 僕は、喜怒哀楽に分類できない感動を与えたいってすごく思うんですね。悲しいんだか、ハッピーなんだかわからないっていう。映画ってそういう作品が多いと思うんですよ。そういう感情を作り出せるのは、ひとつは「ここまで」っていうふうに自由に結末をつけることができるフィクションのメリットだと思うんですよね。

西川 まったく仰るとおりです。けれど観客の中には、「あのあとどうなったの?」とか、「あのラストをどう受け止めればいいの?」と聞いてくる方がわりと多い。それは結構辛いことなんですよね。正直なことを言えば、私自身はまったくその後のことは考えていないので。

伊坂 ああ、西川さんもそうなんですか。僕もそうなんですよ。でも、それは逃げたいんじゃなくて、そういう「そこまでの物語」なんですよね。手品を見たときに「おお、すごい!」って思ってそれで終わればいいのに、「で、どうやったの?」って聞いてしまうと、興醒めになってしまうのと一緒のような気がするんです。

西川 そうなんですよ。そこがフィクションの楽しみどころだと思うし、本の場合だと、物理的にページがなくなっていくわけだから、いつ終わるのかが読み手にわかるわけじゃないですか。「まだこんなに問題を残してるのに、あと一ページで終わっちゃうんだ」っていう緊張感と、作家がどういうふうにいろんな問題を最後に解放して、散らして終わらせるのかっていうラスト一行の鮮やかさが、問題解決うんぬんよりも爽快だったりすると思うんですよ。

伊坂 確かに、そこで物語は解放されたんだっていう感覚はありますね。どんな結末になろうがどうでもいいと思えるくらい。僕は音楽が好きだということもあるんですけど、音楽には意味なんて関係ないじゃないですか。僕は英語が本当にわからないので、ストーンズとか聞いても歌詞の意味は全然わからないんだけど、でもいいと思えるじゃないですか。『Jumping Jack Flash』が何のメタファーになっているのか、とか全然関係なくて、純粋にいい音楽だと実感できる。小説も音楽と同じように、それなりに物語性をもちつつ、余分な意味が消えている――そんな作品が書けたらというのが理想ですね。




――お二人の作品では、「恋愛」がテーマになっているものが少ないように思うのですが、今後恋愛をテーマに据えたものをお書きになりたいという希望はありますか?

伊坂 僕は正直ないんです。本当に興味がないんですよ。もちろん恋愛そのものはとても大事なものだと思うんですけど。これは僕の偏見なんですけど、恋愛ものって、大筋は恋愛がうまくいくかいかないかで、あとはバリエーションで作られてしまうような気がしていて。そこに想像力がどう加わっているのかというのが、僕にはあまり感じられないんですよね。だから恋愛映画にも本当に興味がなくて、全然観ないんです。

西川 わたしも観ないんですよ、恋愛映画。観た映画の中に恋愛のエッセンスが入っている映画はたくさんありますけどね。敢えて観ようとは思わない。

伊坂 観ないで言うのも何ですけど、もうわかってしまうじゃないですか。

西川 「どうせ惹かれあってるんだろ?」みたいな(笑)。

伊坂 そうなんですよ。恋愛的要素は必要だと思ったことはあるんですけど、それを主軸にすることにはあまり魅力を感じない。それに、男と女が出てくると読者が何かを期待するし(笑)。

西川 その発展がどうもね…(笑)。私も恋愛のプロセスには何故か物語としての魅力を感じられなくて。ただ夫婦はいいと思うんですよ、関係がより華やかに進化しないところが。進化の成れの果て、というのがいい。その後の更なるさまざまな変化には興味があるし、そういう物語は面白いと思う。





伊坂 僕も夫婦ものはすごく好きですね。
僕は人の関係性にバカバカしさを求めちゃうんですよ。夫婦ってキレイごとだけじゃすまないし、嫌なこともたくさんあるけど「やっぱりそれでも一緒に生きていかなきゃいけないじゃん」という気持ちになるのが夫婦だと思うんですよ。車でいえば、たとえポンコツ車になっても走っていかなきゃいけない。でもそれが恋愛関係だと「じゃあ、エンジンを替えましょう」とか「別の車に替えましょう」という選択肢がでてきてしまう。そうすると、バカバカしさが消えてしまいそうな気がするんです。今、書き下ろしで書いているものがあるんですけど、彼氏とその元彼女が主人公で、向こう(元彼女)は結婚しているので、明らかに最初から復縁するという線は読者に期待させないんです。

西川 最初に禁じちゃったんですね(笑)。

伊坂 元彼女という設定は面白いんですよね。一時期は一緒にいていろんなことを共有していたのに、別れてしまえばもう一生会わなくなるかもしれない。そういう関係ってすごくバカバカしく思えて惹かれるんです。

――それでは、楽しいお時間をありがとうございました。

西川さんが初めて執筆に取り組んだもうひとつの「ゆれる」。その精緻な描写力に驚かされた読者も多い。

【伊坂幸太郎】
一九七一年千葉県生まれ。東北大学法学部卒業。二〇〇〇年『オーデュボンの祈り』(新潮社)で第五回新潮ミステリー倶楽部賞、二〇〇四年『アヒルと鴨のコインロッカー』(東京創元社)で第二五回吉川英治文学新人賞、『死神の精度』(文藝春秋)で第五七回日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞。主な著書に『ラッシュライフ』(新潮社)『陽気なギャングが地球を回す』(祥伝社)『重力ピエロ』(新潮社)『チルドレン』(講談社)『魔王』(講談社)『砂漠』(実業之日本社)など。最新作は『陽気なギャングの日常と襲撃』(祥伝社)。また、映画『アヒルと鴨のコインロッカー』(監督/中村義洋 出演/瑛太、大塚寧々、関めぐみほか)が二〇〇七年公開予定。
【西川美和】
一九七四年、広島県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。在学中より 日本映画の現場に助監督として参加し、是枝裕和監督等の作品に携わる。二〇〇二年、日本の典型的な家庭の崩壊劇をシニカルに描いた映画『蛇イチゴ』でオリジナル脚本・監督デビューを果たし、第五八回回毎日映画コンクール・脚本賞をはじめ映画賞各賞を受賞。『ゆれる』は四年ぶりの完全オリジナル長編。初の書き下ろし小説『ゆれる』がポプラ社から好評発売中。