すてきな 地球の果て

最終回 人間の時間と地球の時間

 「白い谷にはね、青い石が眠ってるんだよ」

 わたしは秘密の地図を広げながら、白い谷の場所を指差してみせた。


 2010年1月30日、午前9時30分。きざはし浜小屋の撤収を5日後に控え、スカルブスネス露岩域からさらに30キロメートル南に離れたスカーレンという露岩域にわたしたちは来ていた。
 2泊3日の野外調査の予定だった。必要最小限の調査用具、テント、シュラフ、食糧。できる限り荷物を少なくして、オーストラリア人パイロットのピーターが操縦する小型ヘリコプターでやってきた。
 この年、しらせには、自衛隊の大型ヘリコプターCH101が2機の他に、観測隊がオーストラリアからチャーターした5人乗りの小型ヘリコプター、通称“Aussie−1”が搭載されていた。あまり物資を運ぶことができないAussie−1だが、その分とても小回りが効き、徒歩で行けないようなエリアへ調査に出かけるのには素晴らしく適していた。CH101では着陸できないような恐ろしく狭い地点にも着陸することができ、わたしはいつも驚かされた。

 ピーターに別れを告げ、すぐさま3人分のテントを設営した。

 「みんな、久しぶりの1人暮らしだね」

 「はは。うん、そうだね」

 笑いながら、テントの中にマットを敷き、自分の荷物を入れ、シュラフを広げた。いつもは小屋の中で3人暮らし。けれど、今日は贅沢に1人につきテント1張りだった。1人の空間で寝るのは45日ぶりくらいだろうか。と言っても、みなすぐそばにテントを張っているのだが。

 短い期間での調査だったので、すぐに出かける準備をした。ここスカーレンに来たことがあるのはわたし1人だけ。ポケットから1枚の秘密の地図を取り出し、ここのエリアの湖や植生について一通り説明し、おもむろにある一点を指差した。そこが、青い石の眠る白い谷がある場所だった。

 青い石———それはサファイアのことだ。

 南極ではいたるところに宝石がある。と言ってももちろん原石そのままの状態で、とりわけよく見つかるのがガーネットだ。この赤い石は本当にもうどこにでもあり、とある海岸はガーネットの砂で覆われて赤い色をしているほどである。そして、ここスカーレンの一角には白い大理石でできた谷があって、そこにはサファイアの原石がたくさん見つかるのだ。2年前に来たときにわたしは自分の地形図上に“白い谷”と書き込み、まるで宝の地図のように思わせぶりに、そのポイントに星印をしるした。


 だから、ポケットから出した秘密の地図は、秘密でもなんでもないのだ。普段から使っている国土地理院発行のスカーレンエリアの地形図を、使いやすいようにA4サイズに印刷し、必要な情報を自分で書き込んであるだけものである。しかも当たり前のことだが、わたしを含め、みな、青い石なんかよりも先に湖の調査をして、コケ群落がある岬に行こう、という意見で一致した。


 わたしたちはいつものように湖の調査を手際よく終え、正午過ぎにはコケ群落がある岬のほうへ向かった。その岬はベースキャンプから歩いて2時間ほどの距離にある。
 この1か月間歩き慣れたスカルブスネスとはまた違った風景がスカーレンには広がっていた。湖から平坦な砂地をずっと歩いていくと、向こう側に大きな氷河がいくつも見えてきた。いくつかの小高い丘を越えていくうちに、どんどん氷河が大きく迫ってくる。丘を越え、氷河に近づくたびにわたしの胸は大きく高鳴っていった。ついに海岸線が見える最後の丘を登り切った。視界を遮るものは何もなく、急激に海へと落ち込んでいる切り立ったいくつもの氷河が凄まじい迫力で目に飛び込んできた。一気に心が震え、頭の先まで閃光のようなものが突き抜けた気がした。

 「わぁ────!!!」

 抑えきれず、わたしたちは声に出して叫んでいた。
 青く澄んだ空が海に映り込み、太陽が氷河の亀裂に青く陰影を落としている。その光の差し方と色、360度のパノラマ。とてつもなく壮大な景観だった。

 海岸線と平行したまま丘の上を歩いていくと、海岸沿いに緑色のコケ群落が見えてきた。砂浜にコケのカーペット、そして背後には無数の氷塊が浮く海とダイナミックな氷河。
 なんとも不可思議だった。けれど、その不釣り合いな光景こそ、南極が持っている一面なのだろう。わたしにとって、生まれて暮らしてきた場所で出会ったことがわたしの世界であり、常識であるだけなのだ。南極で目にするものの多くを不可思議に感じるのも無理はない。わたしの常識をはるかに超えているのだから。そしてそれは、いつも何かを語りかけてくる。わたしの心を震わせ、好奇心を駆り立て、想像力を解き放ってくれる。



 コケの岬で試料の採集をし終えてから、わたしたちはベースキャンプに向けて戻り出した。往路とは違う、氷河沿いのルートを通ることにした。比較的平坦な砂地がメインだった往路とはまったく異なり、一枚岩でできたいくつもの小さな山を越えるルートだ。アップダウンはあるが、ベースキャンプまでは往路とほぼ同じ2時間ほどで到着する。

 いくつの山を越えただろう。ちょうど進行方向、南東の空から低くなった太陽が真っ直ぐに差し込んでくる。サングラスをしていても目が眩みそうだ。左手には大陸からつながる氷河の末端が迫り、背後を顧みると、さっきまでいた岬の向こうにそびえ立つダイナミックな氷河がまだ見えている。
 越えてきた山々はどこもかしこも、ヤスリをかけたように滑らかな一枚岩でできており、よく見ると、地面には “氷河擦痕”が無数にあった。何万年、何百万年と、氷河期と温暖期が訪れるたびに、氷河が前進と後退を繰り返してできた地球の傷跡。まだ風化が進んでいない滑らかな岩肌は、つい最近までここが氷河で覆われていたことを物語っている。こんなにも硬い岩を削るほどの氷河の凄まじい力、そして、この傷跡をつくり出した気の遠くなるような時間の流れをわたしは感じていた。


 徐々に高度が低くなる太陽光線が、すべてのものに深く陰影をつくり出した。同時に、丸みを帯びツルンとした岩々の表面が反射し輝きはじめた。世界が黄金色に煌めいていた。まるでツルツルの赤ん坊の肌のようだった。
 その瞬間、わたしの内側で音もなく静かに、何かが爆発したような気がした。涙がこみ上げてきた。

 “あぁ、そうか……”

 わたしが今見ているのは、わたしが今この足で立っているのは、生まれたての地球の姿だった。

 数千年後、数万年後、もっともっと先、ここはどうなっているのだろう。緑に覆われているのだろうか。
 つやつやと煌めく岩肌をしっかりと踏みしめながら、ベースキャンプへと戻っていった。


 その夜、ピンク色とオレンジ色に染め上げられた空と氷河を見ながら、みなで地面にすわって外で夕食をとった。
 眠りにつく直前、テントの入り口を開け、暗がりの中で目の前に迫る氷河をしばらく眺めた。ぼんやりとした空が幻想的な夜だった。


 翌日、きざはし浜に帰ることになった。当初2泊3日の予定だったが、“天候が急変しそうなので、撤収するように“という連絡が昭和基地から朝の時点で入ってきたのだ。空は時折青い部分が見えるが、ほとんどが雲で覆われ、雪がちらつき出しそうだった。なんとか天候は持ちこたえ、昼過ぎにやって来たAussie−1に乗り込み、わたしたちは無事にきざはし浜に帰った。
 雪が降り出したのはその翌朝からだった。


 スカーレンからきざはし浜に戻り3日経った、2010年2月4日。

 とうとう、きざはし浜最後の夜だった。
 その日、1か月前に持ってきた物資を全員でパッキングし直し、小屋の中を片づけ、なんとか撤収の準備を終えた。もういつでも帰ることができる状態になると、なんだか急にさびしい気持ちになってきた。この夏、やれることはすべてやったのだが、そうは言ってもやはり南極を離れるときはいつも名残惜しくなる。

 撤収のために食糧もほとんどパッキングしてしまったので、その夜はレトルトカレーやレトルトビーフシチューなど、それぞれ思い思いのレトルト食品を夕食にした。

 夕食後、小屋の中に置いてある宿帳に、

 ──次にここへ戻って来るのはいつだろう。
    数年後、戻って来ることを願って。

    それではまた。

と書き残した。

 ふと、窓から外をのぞくと、シェッゲが赤く染まっていた。
 慌ててダウンを羽織って外に出ると、ほのかに風が吹いていた。わたしは海岸に立って、どんどん赤くなるシェッゲをただ黙って見ていた。
 ふと、風がピタリと止まり、海が群青色の鏡になった。そこにはもう一つのシェッゲがくっきりと写し出された。最後の残照が一瞬、シェッゲを燃えるような赤に変えると、じわじわと夜の闇が押し寄せた。シェッゲの背後から丸い月がゆっくりと姿を現し、地平線の近くだけに青い地球影が浮かび上がった。同時に、急激に気温が低下し、海はまたたく間に凍りついていった。幻想的だった海の鏡は消えてしまった。

 閃光のような出来事だった。


 今年、もし日照が少なければ、海岸沿いの海氷が融けることはなかっただろう。ほんの数日前ならば、シェッゲはこんなにも赤く燃える色にはならなかっただろう。もし風が止まなければ、もしほんの数分くらい海が凍るのが早ければ、海は鏡にならなかっただろう。来年だって、50年後だって、わたしが生きているあいだには、もうあんな光景に出会えることはないのかもしれない。あの瞬間、すべての偶然が重なって、確かに、わたしはあの光景に出会った。

 生まれたての地球に出会ったときに感じた悠久の時間──それはめぐりめぐって、より一層、その“瞬間”を際立たせ、煌めくものにしていた。奇跡だったのかもしれない。地球に流れるはるかな時間、そして、人間が生きることができる時間と、その中で起きたほんの一瞬の出来事。そんな出来事に、この世で何度めぐり会えるのか。あの光景はずっとわたしの胸に焼きついたまま、いつまでも消えないだろう。


 深夜になると、暗い夜の闇が訪れた。もうすぐ長い夜が支配する季節がやって来る。

 冷え切った空気の中、シェッゲの肩にかかった夜の月が透明に輝いていた。




 翌朝、予定通りきざはし浜をあとにしたわたしたちは、昭和基地を経由したのちに、しらせへと戻った。
 2月14日、観測隊員を全員載せたしらせは、とうとう北上を開始した。

 1週間後には氷海の縁に達した。氷縁は、比較的たくさんの動物に出会うことができるエリアだ。氷縁の内側では、アデリーペンギンの群れの他に何組ものコウテイペンギンの群れ、外側ではザトウクジラの群れと遭遇した。
 アデリーペンギンやザトウクジラは、冬が来る前にそろそろ北へ向けて旅立つころだろうか。そして、コウテイペンギンはこれから過酷な繁殖期に向けて南へ旅をするのだろうか。


 氷海を脱出したしらせは針路を東にとった。まだ南緯60度ではあるが、海が氷に閉ざされていない風景は、急に南極から遠く離れてしまったような気分にさせられる。


 東進中のある夜、わたしの船室の電話が鳴った。

 「オーロラ・オーストラリスから無線で呼び出しが来ています。至急、艦橋(ブリッジ)へ」

  オーロラ・オーストラリス号──それはオーストラリアの南極観測船のことである。近くを航行中らしいという噂は聞いていた。
 帽子をかぶり、わたしは急いでブリッジへ向かった。ブリッジに入ると真っ暗闇だった。夜の航海中は船外部の監視の妨げにならないよう、灯りを消しているのだ。すぐには暗闇に目が慣れず、ブリッジで任務遂行中の人とぶつかりそうになる。

 「こちらです」

 手すりを伝いながら、声のするほうへ慎重に歩いた。少しずつ目が慣れ、無線担当者の姿がおぼろげに見えてきた。無線機を手にとり、呼びかけた。

 「オーロラ・オーストラリス、オーロラ・オーストラリス、こちらしらせ。感度いかが?」

 「しらせ、しらせ、こちらオーロラ・オーストラリス。感度良好、どうぞ」

 ブリッジに上がってくる前から、相手が誰かはもうわかっていた。無線機の向こうから聞こえてくる声の主は、大学院博士課程時代の研究室の同期だった。彼はペンギンの研究者で、オーストラリア南極局で研究していた。この夏、オーストラリアの南極基地へ調査に出かけ、ちょうどオーストラリア基地からタスマニアへ向けての帰途のようだった。
 目を凝らしても、外は深い闇。まるでオーロラ・オーストラリス号が見えるような気配はない。しかし、無線が届くのはほんの35マイル圏内だという。この地球の果ての広大な南極海で、同じ瞬間にばったり出くわす……なんて奇跡的なのだろう。

 わたしたちは束の間の交信を楽しんだ。お互いの野外調査の話、5か月ぶりに日本語を話すということ、今日の午後に双眼鏡でしらせが見えたこと、おかげで嬉しくて無線交信したい気持ちを抑えられず呼び出してしまったこと。
 月のない真っ暗闇の夜、懐かしい声なのに実体の見えない話し相手、穏やかで静かな南極海……まるで時空旅行でもしているような気分だった。世界はぼんやりとした輪郭でしかなかった。この2か月間、白夜の世界で暮らしてきたわたしにとって、闇夜は少し恐ろしく、けれどその反面、忙しく騒がしかった心に落ち着きが戻ってきたことも感じていた。

 不思議な、不思議な夜だった。


 闇夜の交信が終わり、ブリッジの外へ出ると、天上には無数の星が瞬いていた。ひときわ明るく輝く白い星“カノープス”……一万数千年もすれば南極星になるという。それは、気の遠くなるような、つかみどころのない時間ではないような気がした。南極で出会ったいくつもの風景がわたしの体の中に同化し、いつの間にか、はるかな時の流れが漠然としたものではなくなっていた。

 刻々と風が強さを増してきた。進行方向の空に、ぼんやりと青白い光が現れ、一本の狼煙のように上がっていった。やがて明るくなり、ゆっくりと生き物のように形を変え始め、放射状に広がった。

 わたしはその場に寝転び、深呼吸するように南極海に漂う冷たい空気と匂いを体の中に残そうとした。
 オーロラはしばらくゆらゆらと揺れながら、南極海の上空を悠然と舞っていた。

 


 オーロラの背後には、空高く、南十字星が凛然と光り輝いていた。

 

プロフィール

田邊 優貴子(たなべ・ゆきこ)
1978年、青森市に生まれる。2006年、京都大学大学院博士課程退学後、2008年、総合研究大学院大学博士課程修了。植物生理生態学者。博士(理学)。
小学生の頃、偶然テレビで目にした極北の映像に大きな衝撃を受ける。以来、まだ見ぬ土地への憧れが募り、大学に入るとバックパックを背負って世界中を旅するようになる。大学4年生のとき、極北の大地への想いが高じて大学を休学。真冬のアラスカを訪れ、ブルックス山脈麓のエスキモーの村で過ごす。それ以後もアラスカを訪れ、極北の大地に完全に心を奪われたのがきっかけとなり、極地をフィールドにした生物学者に。 2009~2011年にかけて国立極地研究所に勤務。現在は、東京大学大学院新領域創成科学研究科・日本学術振興会特別研究員。2007~2008年に第49次日本南極地域観測隊、2009~2010年に第51次隊に参加。2010年夏には北極・スヴァールバル諸島で野外調査を行う。2011年11月25日、第53次隊として3度目の南極へ出発した。
この南極滞在期間中に、Webナショジオで「南極なう!」連載中。
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/article/20111124/291528/
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