「あの本、北極点の旅へ連れて行くことになったよ」
友人からのEメールが届いた。
6年前のある日、自宅に海外からの小包が届いた。
送り主は大学時代からの友人T。彼は当時、タイの大学で博士課程に通っていた。
箱を開けると、手紙と、カバーもなく少しボロボロになった一冊の文庫本。手紙には、
“バンコクの古本屋で見つけました。この本をアラスカの旅に連れて行ってあげてね”
と書かれてあった。
本のタイトルは『旅をする木』。極北の自然を撮り続けて、1997年にカムチャッカでクマに襲われて亡くなった写真家・星野道夫さんの著書である。
私は彼の写真が好きで、なかでも、逆光の中でカリブーの群れが川を渡る写真がとりわけ好きだった。
初めて見たのは、中学生の頃だったろうか。勢いよく川を渡っていくカリブーのシルエットが逆光で浮かび上がり、彼らの息づかい、足音や水の音が聞こえてきそうだった。
大学時代、当時住んでいた京都で、なんと写真展が開催されていると知った。大学に入るまで、私は彼の写真を写真集でしか見たことがなかった。私はなぜもっと早く写真展の情報を入手できなかったのかと少し悔やみ、はやる気持ちで、すぐに会場へ足を運んだ。なにせ、高校まで青森に暮らしていた私にとって、そんな写真展がすぐ近所で開かれることなど到底考えられなかったのだ。
訪れてみて驚いた。
私の一番好きな写真が展示されているではないか。それは写真集で見るものとはまるで違う。大きく引き延ばされた写真にとにかく釘付けになったのを今でもよく覚えている。
写真集で見ていた小さな写真とは比べものにならない迫力に、私はその場から動けなくなった。暗い背景にカリブーの角や体が光で縁どられ、彼らが全身で作りだしたキラキラと輝く水のしぶきは、まるで一面にちりばめられた無数の星のようだった。自分は今、宇宙にいるのではないかというような錯覚に陥った。しかもそれは無機質な宇宙ではない、とてつもなく強い生命力がその空間全体にほとばしっていたのだ。
心がザワザワして、気づくと涙がにじんでいた。理由や意味なんていうものは、もはやなくなっていた。
それにしても、どうして友人Tは古本なんて送ってきたのか、それに、旅に連れて行ってくれとはどういうことだろう。バンコクの古本屋にこれが置いてあったこと自体はたしかに驚きだろうが、私の頭の中は疑問だらけだった。
いっこうに謎が解けないまま、私はその本を手にとり、何気なく表紙をめくろうとした。その瞬間、違和感があった。
表紙に書かれてあるタイトルが何かおかしい。
タイトル文字にボールペンで一本だけ短い線が加えられており、『旅をする木』ではなく『旅をする本』になっていたのだ。ふっと、笑いがこみ上げてきた。
誰かのいたずら書きだろうか。
裏表紙側からなんとなくページをめくってみると、そこには4人の見知らぬ名前、その横にはそれぞれ異なる国と日付が書かれてあった。
一番下には、
“⑤友人Tの名前(タイ:バンコク)06.2月
バンコクの古本屋→インド→カンボジア→ベトナム→日本”
同じページの右端には縦書きで、
“牛田圭亮(愛知県出身)スペインCadizにて”
とだけ記されてあるが、日付はなかった。この人物がどうやらこの本の最初の持ち主のようだった。
そのままパラパラと逆向きにページをめくると、表紙の裏の左端にメッセージが書き込まれているのが目に入ってきた。
“この本に旅をさせてやって下さい”
最初にこれを買った牛田圭亮という人物は、日本からスペインへの旅に、この「旅をする本」を連れて行ったのだろう。その後、様々な国と人の手を通じて、タイの古本屋に売られたのか、もしくは4人目の人物が勝手に古本屋の片隅に置いたのか。それをたまたま古本屋で見つけた友人Tが近隣諸国への旅に連れて行き、当時、京都にいた私に送ってきたのだった。
なんて粋なことをする人がいるのだろうか。
自分がまったく見知らぬ、そしてこれからも決して出会うことがないであろう人たちのもとをわたり歩き、たくさんの偶然が重なって、今まさに、私のもとにこの本がたどり着いた。私はその本を両手でしっかりと握り、額にくっつけてみた。少しボロボロの裂け目、折れ跡、汚れから、この本がこれまで旅し、見てきたいくつもの物語、遠い異国の気配を感じた。そして何よりも、偶然というものへの限りない不思議さを感じていた。
本を受け取ったころ、私はちょうど引っ越しの準備をしていた。数週間後には京都の家を引き払い、東京へ引っ越さなければならなかったのだ。9年間暮らした京都を離れて東京へ向かうのは、18年間過ごした青森を離れて京都へ行くときよりも、自分の人生の中で大きな転機だった。これから何かが動きだす、そんな気がしていた。
私は部屋の中で山積みになっていた引っ越しの段ボールの中にこの本を入れずに、いつも持ち歩くかばんの中にそっとしまいこんだ。
東京で暮らし始めて一年後、ついにあの本を本当の旅に連れだすときがやってきた。南極へ行けることになったのである。
私はその本をいつも本棚の目の届くところに置いていたが、旅をさせることはしなかった。友人にはアラスカにでも連れて行ってと言われていたので、この『旅をする本』にふさわしい旅をさせたかった。
私のもとへやって来て2年目。アラスカではなかったが、南極はこの本にとって絶対にすてきな旅になる、私はそう確信して、初めての南極へ連れて行くことにした。
南極を旅させたら、そのまま昭和基地の本棚にそっと置いてこよう。この本にはしばらく南極で暮らしてもらおう。そして何年後かに誰かの手で南極から持ちだされ、またどこか一緒に旅をさせてもらえれば、なんて素晴らしいだろう……すっかり南極へ行ったような気分でそんなことを想像し、胸が熱くなった。こうやって、私は心の中で密かな計画を立てたのだった。
が、その後、予想もしないことが起きた。
私は南極行きへ向けて約一年をかけて準備をし、とにかくバタバタと慌ただしい日常を東京で過ごしていた。はじめのころ、私は南極というあまりに未知すぎる世界への憧れ、想像もできない、見たことも感じたこともない世界へ行ってみたいという想いに心を占領されていた。そしてただまっすぐに、脇目も振らず、調査に向けた訓練、研究計画の具体化など、あまりにも多すぎる準備に取り組んでいた。
出発まであと3か月を切った、9月に入ったばかりの暑い日。私は大学の研究室の教員に呼びだされた。
「……あなたは、南極へ行くことができなくなった」
私には、その言葉の意味がすぐには理解できなかった。まるで、時が止まってしまったようだった。私の頭の中は真っ白で、何も浮かんでこない。ただただ、その言葉を理解しようとしたが、無音で微動だにしない世界に私は引きずりこまれそうだった。
「え、どういう意味ですか……」
必死に口を動かし、出てきた言葉だった。やっと世界の音が聞こえ始め、夏の眩しい太陽の中、窓の外ではセミの声がうるさく鳴り響いていた。
説明によれば、私は血液検査で引っかかったということだった。
でも、そんなこと納得できない。自分でも身体検査結果の控えは見ていたが、はっきり言って、血液検査の項目にたいした異常などないことを知っていたのだ。もしあるとすれば、花粉やハウスダストなどへのアレルギー、もしくは、既往歴で小児ぜんそくがあったことくらいだろうが、そんなことは大した問題ではないに違いなかった。しかも、この話を聞くより前に何の説明もなければ、再検査といったものもなかったのだ。あまりにも突然過ぎた。どう考えても腑に落ちないことだらけだった。
ただ南極へ行くことだけを考えていた私は、諦められるはずもなく、しばらくの間、なんとかならないものかと先生に取りすがり、その場であがいた。しかし、私をずっと応援してくれ、南極への準備作業にともに取り組んできた信頼すべき目の前の人物は、辛く神妙な面持ちで、ひどく落胆していた。その表情から、もうこれは覆ることのない決定事項であることを私は知ってしまった。
一年ものあいだ、ひたすらに南極へ向けて準備に取り組んできた。もう目の前、というところだった。部屋を出てから、私はどうしたらいいのかわからない気持ちでそれまでのことを思い起こし、現実というものを理解するにつれて涙がこみ上げてきた。とにかくやりきれない思いで胸が張り裂けそうだったことは覚えているが、その日、その後の記憶がまったくない。
翌日は台風だった。一晩中まったく眠れず、心に穴が開いたまま研究室を休んだ。嵐の音を聞きながら、家の中でどうしたらいいのかを考えていた。けれど、何も答えは見つからない。
今年行けない、ということは大きな問題ではなかった。そこに隠されている意味はそんな一回限りのことではなかった。ここでこの結果を受け入れてしまえば、私は一生、日本の観測隊として南極へは行けないのだ。
外国の基地へ行って研究すればいいよ、などという人もいたが、なんの気休めにもならないどころか、厳然とある矛盾に大きな疑問とやるせなさを感じた。なぜ外国の南極基地には行けるのに、日本の基地には行けないという事態が起きるのか、と。
台風が過ぎ去ると、澄んだ空と空気、夏の終わりの日差しが眩しかった。ツクツクボウシが鳴いている。やりきれない、悔しい、先が見えない、そんな気持ちが続いていた。
けれど、今は歯を食いしばるしかない。とにかくできることはすべてしよう、そうするしかない。あきらめてはいけない。
それからというもの、希望の糸口を探して私は動き、もがきまわった。しかし、結果はいっこうに覆る気配はなかった。もはやほぼ正式に近い決定事項のようだった。私は自分に見えないところに存在する何かに不信感を抱き、大げさかもしれないが絶望を感じていた。
ところがその後、事態は急展開を見せる。
2週間が過ぎたころだった。私はまた呼び出され、すぐに再検査を受けるように言われた。
突然、南極行きの光が差し始めたのである。
詳しいことは何も聞かされないまま、私は緊張しながら病院へ行き、検査を受けた。「何の問題もないですよ」と医者から告げられ、その日の検査はあっさり終わった。どうも腑に落ちない。どう考えても形ばかりの再検査であることはあきらかだった。
せっかく南極行きの希望が見え始めたというのに、それからしばらく、なぜか虚ろな気持ちだった。些細なことでも大きく心が動き、浮き沈みを繰り返す、そんなことが続いた。私は疑心暗鬼になって、さまざまなことへの不信感がずっと消えなかった。そして、自分のそんな状態がとにかく嫌だった。
その後、少しして正式に南極行きが決まった。
嬉しさの反面、拭いきれないモヤモヤ感が残った。が、そんなことを気にしている場合ではなかった。とにかく、南極へ行く、それだけだと自分に言い聞かせた。
しかし、ふと思う。果たして私は何をしたかったのだろう。
あらめてじっくり思い出してみることにした、南極に行くことしか考えていなかったころ、私は何を思っていたのか。
南極にはどんな世界が存在しているのだろう。
どんな音、どんな色、どんな光、どんな風、どんな匂い。
人間が決して根づくことができなかった世界はどんなものなのか。
生命の気配は本当にないのか。
どんな音が聞こえるか、ひとつひとつ音を数えてみよう。
どんな匂いがするか、ゆっくり空気を吸い込んでみよう。
私は何を思うのだろう、何を感じ、見つけるのだろう。
なぜ自分がこの世界で生まれて生きているのか、もしかしたらほんの少しはわかるのかもしれない。
目をつぶると、どんどん思いが溢れ出て、次々と鮮明に浮かんで止まらなくなった。このとき、一番大切なことを、私はやっと取り戻したような気がした。見えない大きな力、見えない誰かへの不信など、どうでもよかった。心の中がスーッとし、静まり返っていった。こんな静かな心はなんだか久しぶりで、自分の中心にある大事なものが、またこれでぐんと強くなったように感じていた。
そして、私は南極へ旅立ち、いくつもの心震える瞬間に遭遇した。いくつもの驚きがあった。刺すような風を感じながら、荒々しい剥きだしの岩肌の大地を毎日のように歩いた。水晶のように透き通ったいくつもの湖にボートを漕ぎだし、そのたびに心奪われた。白夜の美しい薄紫色の空、そこにできる地球の影。頭上に輝く南十字星と青白い炎のように揺れるオーロラ。いくつもの信じられない光景を見上げた。3か月という時間があっという間に経ち、南極大陸をあとにし、ついに帰るときがやってきた。
しかし、密かにあたため続けていた『旅をする本』を昭和基地に置いてくるという計画…………ちょうど帰るころ、私はすっかり忘れてしまっていたのである。あの本は、確かに南極大陸の旅をしたのだが、そのまま船に乗り、南極海を航海して、私と一緒に再び東京へ舞い戻ってきてしまったのだ。
仕方がない、もう一回一緒に南極へ旅に出よう。そして、その時は絶対に置いてこよう。そう誓った。
“⑥田邊優貴子 2007年12月南極・昭和基地→2008年3月東京→”
ついに、最後のページに書き加えた。最後には矢印。もう1回南極へ行くためのしるしだった。
そして2年後。私は2度目の南極へ行くことになった。
またいつもの本棚から、前よりももっとボロボロになったその本を取りだした。
「ついにもう一回行けるよ。今度は一体どんな心震えることに出会えるかな」
話しかけ、やぶれて取れそうになっていた表紙をセロハンテープで補強した。
2010年2月、南極大陸上での野外調査が終わり、昭和基地に本を置くときがやって来た。まるで親友のような存在になっていたその本と別れを済ませ、忘れずに無事、置いてくるはずだった。
しかし、その本はやはりその後も昭和基地で暮らすことはなかった。
なぜなら、そのとき一緒に南極へ行った友人に、この『旅をする本』の話をしたところ、是非譲ってくれないかと頼まれたからだ。
そういうわけで、『旅をする本』は二度も南極を旅したのちに、友人の手に渡っていったのだった。帰国後、友人からサハリンに連れて行ったという話を聞いてはいたが、その後の消息を知ることもなく、あの本のことは私の記憶の片隅に置かれ、ほとんど思い出すこともなくなっていった。きっと、またこの世界のどこかを旅しているに違いない、そう思っていた。
「単独無補給徒歩で北極点を目指す若者と土曜日に会うから、あの本を彼に渡そうと思う」
つまりそれは、私がその友人にあげた『旅をする本』のことだった。
もし、一回目の南極で、あのとき忘れずに昭和基地に置いてきたとしたら、あの本は北極点へ行くことなどなかったのかもしれない。もし、友人Tがバンコクの古本屋に立ち寄らなければ、あの本は南極に行くことなどなかったのかもしれない。すべては無数の偶然がただ連なっているだけのことに過ぎない。けれど、確実にあの本はあのとき私のもとへやって来た。そして一緒に南極大陸を旅し、さらには北極点を目指し始めたのである。
友人からのEメールを見ながら、私はあの本が私のもとへ来てからのことを思い出していた。
北極点への冒険…………想像すると胸が高鳴った。あの本はどんな旅をするのだろうか。きっと、想像をはるかに超えた壮大な旅になる。そしてまた、いくつもの物語がそこから生まれるのだろう。
もしも北極点まで行けたなら、『旅をする本』は本当にすごい本になる。
ふっと風が走り抜けていった。気の遠くなるような真っ白な広がりのなか、若い冒険家の足音、息づかいが聞こえるような気がした。