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第十回 2008年正月
パリ風雑煮
「あの白くてのびるもの、もっと欲しい」
「あれは、おもちっていうのよ」
「おもち、おいしい」
お正月にお雑煮を作って食べさせてやったら、子どもたちにもパパにも好評だった。
「ママがお雑煮を食べさせてくれてよかった」
と娘は言った。
「日本に行って、お雑煮知らないの、ってみんなに言われないからね」
日本の伝統に触れたと思って喜んでいる家族を前にして、これが私の出身地、東京風でもなく、父の田舎の埼玉風でもなく、手に 入る材料で作ったありあわせの「パリ風」雑煮だとは言わないことにした。
考えてみれば、我が家の食卓はいつもこんなふうだ。
材料にこだわったりできない、いいかげんな和食なのに、オリジナルを「知らぬが仏」か、子どもも亭主もよろこんで食べてくれる。なにしろ、日本の料理本を開いて、おいしそうだなと思っても、せりはない、みょうがはない、サトイモはない、かつおはない、ワカサギはない、たらこはない、ないないないでなんにもないのである。
ごぼうがあると思って買えば、皮をむくそばからねとねとした白い液が粘りつくし、サトイモに似てると思って買ったものには、舌でとろけるようなもっちりした感触がなく、ナスはおおぶりで皮がえぐい。八百屋でみかける黒い大根は切ってみるとすが立っていて二度と食べたくないような代物だ。
煮物をするときには、じゃがいもをサトイモの代わりに使い、青菜のおひたしには、ブルターニュ地方でとれるマーシュというサラダ菜を使う。お味噌汁の具にマッシュルームを使うのは、パリの安い日本食レストラン(「日本料理屋」というイメージではない)の定番だが、私は抵抗があってずっとやらなかった。しかし、シイタケはマッシュルームの8倍くらい高価なので、いつでもシイタケを使うわけにはいかない。
塩鮭は買えないから、子どもにおにぎりをねだられれば、前日の晩に生鮭の切り身をあら塩に漬けておく。和の甘味が欲しくなったら小豆を煮て丸2日がかりでぜんざいを作る。
フランスで覚えた料理も食卓に出さないわけではないのだが、やはり子どものころから親しんだ味に比べると味付けのレベルが落ちるのか、子どもたちは
「ママの日本のお料理がいちばん好き」
と、言ってくれる。いんげんにしても、バターとにんにくとハーブで味をつけるより、ごまあえにしたほうが評判がいい。
うちの亭主はなぜかフランス料理がちっとも好きでなく、和食や中華が大好きなので私のメニューに文句は出ない。それでも足りずに、パリ中の日本レストランでランチをとっているくらいだ。私を食事に連れて行ってくれるときも、特に注文をつけない限り、和食か中華なので、こんなことでは何十年フランスで暮らしても、グルメな日本人旅行者よりもフランス料理を知らないで一生を終わりそうだ。
彼がフランス料理に執着がないのは、先祖が移民で、おふくろの味(もっと厳密には、おばあちゃんの味)がロシア料理やギリシャ料理だったからかもしれない。小ぶりのハンバーグを作って食卓に出したら、地中海料理のなんだかと間違えてくれて「おばあちゃんの作ってくれた肉団子だ」と大喜びだった。「でも、おばあちゃんのにはハーブが入っていてね」と注文がついたので、その後はそういうバージョンも作ることになった。有名なギリシャ料理、ムサカを作ったときは、「ほんとうのムサカはじゃがいもは入れない」と言われ、その後はじゃがいものないムサカを作っている。ギリシャ料理屋で食べたムサカにはたしかじゃがいもが入っていたのだが……。そのギリシャ料理屋はベルリンにあったのだから、しつこく言い張るのはやめておいた。
そんなわけで、旦那のためにわざわざ覚えた料理はフランス料理ではなく、ロシア料理だったりする。ロシア料理のレシピをフランス語で読みながら、ボルシチとピロシキをレパートリーに加えた。私のボルシチはキャベツが大量に入っていて、東京のレストランで食べた味とはちょっと違っている。が、「おばあちゃんの味」にはかなり近づいたようで、彼には評判がいい。ロシア人の来客があったりすると、おおらかに「うちの妻はボルシチを作りましてね」などと自慢するのには閉口するけれども……
なにはともあれ、ボルシチを作るたび、パパは子どもたちに「これは、パパが小さかったとき、パパのお母さんやおばあちゃんが作ってくれた料理なんだよ」と言い聞かせており、子どもたちはそんなものかと思っている。
さて今年のお正月、お雑煮は作ったけれど、おせち料理は作らなかった。まず材料からして手に入りにくいし、手間隙かけて作っても、あまり受けないことが分っていたからだ。第一、フランスでは新年のお祝いは元旦だけで、2日からは働き始めるので、3日間も作りおきのご馳走で過ごすという必然性がない。街では店も閉まらないし、家にはお客が来ないのだ。子どものころに、きんとんを作り、黒豆を煮るのを手伝って、お正月を準備した楽しさは、子どもたちに伝えたい気がするけれども、残念ながらこの子たちは、年末の大掃除も大晦日の忙しさも知らずに育っていくのだろう。そう思うと、日本のお正月の伝統を子どもたちに伝えるものとして、お雑煮の責任はなかなか重い。
日本語朗読発表会
年が明けて5日、子どもたちの日本語も、私の和食のようなものかもしれない、と思う事件があった。昨年から子どもたちを通わせている日本語の補習校で、「朗読会」が開催されたのだ。日ごろ、補習校で学んだ、日本の国語の教科書を、人前で読み上げるのだが、聞いていて私は、これはすごいことであるのか、フランス育ちの子どもたちの日本語力はやはりたいしたことがないのか、どう考えるべきかとまどった。
朗読というのは、ある程度上手にリズムやイントネーションがついていないと、聞いている人間には意味がほとんど通じない。棒読みを聞いているのはかなり忍耐力がいる。子どもたちのほとんどは、その棒読みレベルだし、中には明らかにフランス語訛りがある子どももいる。フランス育ちはやっぱりこんなものかと、初め私は思った。
しかし、記憶をたどって自分の小学校時代を思い出すなら、朗読らしい朗読ができる子が、クラスにいったい何人いただろう。棒読みでも、つっかえずに読めればそんなに悪いほうではなかったのではないか。そう思うと、週に1回しか国語の授業がないという悪条件で、全ての子どもが、曲がりなりにも間違えず、つっかえず教科書を読み通すことができるようになるとは、驚くべきことなのではないだろうか。
子どもを通わせるようになってから知ったのだが、補習校に来る子どもは、全員が全員、家で日本語を話している子どもというわけではない。家で日本語をやって来なかったので、せめて補習校に送って日本語を学ばせよう、という親御さんもたくさんある。あの、フランス語訛りのある子などは、おそらくそういう家の子なのだろう。そう考えると、このレベルまで読めるようになるとはあっぱれなものだ (週1回の外国語授業といったら、大学の教養の授業より少ないということを思い出してほしい)。ほとんど外国語状態で始めた子どもも含めて、全員、あそこまで読めるように育てた先生は、たいへんな技術と情熱の持ち主なのではないだろうか。
そして中には、一握りだけれども、発音もイントネーションも完璧な、聞く側が努力しなくても意味を音に乗せて届けてくれる、ほんとうの朗読に近いレベルで読む子どもがいる。この子たちなら、日本の子のなかに混ぜてみても、ひけはとらないだろう……
ところが自己紹介をさせると、フランス育ちはたちまち馬脚をあらわし、小学校2、3年生にもなって、
「トモカちゃんです」
などと言うのがいっぱいいる。私は反射的に、20数年前に東京の家にホームステイさせた、荻野アンナ似の美人のフランス人学生が、誰に向かっても嫣然と微笑みながら「ゴッソさんです」と自己紹介していたことを思い出した。
うちの息子は「ちゃん」づけだけはやめてくれたけれども、頭も下げずに「なかじまあきら」と宣言して、えらそうにしていた。それでも苗字をつけただけましで、「ラファエル」、「フロランタン」といった感じに、ぶっきらぼうに名前だけ言う子が多かった。
食の伝統にしても言葉にしても、外国にいるという条件では、なかなか十全に伝わっていくというわけにはいかない。何かが伝えられていくと同時に、多くのことが切り捨てられていく。おとそもおせちもないのでは、日本のお正月ではないという考え方に立てば、ささやかにお雑煮を食べさせてもお正月とはいえないだろう。でも、「日本ではお正月にこれを食べるんだよ」と言って、毎年お雑煮を食べて育ったら、子どもたちは日本の文化のなにがしかを自分のものにするのではないか。私はそれでいいと思っている。
次世代の「伝統」
ところで、日本でも、おせち料理を手作りする人は年々減っていると思う。老齢のせいか、家族が少なくなったせいか、実家の母も、もうおせちを用意しなくなった。
ひとから聞いた話だが、若い日本人は、きちんとした和食の概念を持っていないそうだ。親である40代にはまだ、和食とは、ご飯と汁物があり、主菜と副菜があり、香の物がある、というイメージがある。それは自分が子どものころに食べていたものはそうだったからだ。ところが、同じ献立を実践しているかというと話はまったく違ってくる。汁物を省いていたり、副菜を省いていたりする。さらにカレーライス一皿、ピザ一枚といった手抜きメニューで済ましてばかりいれば、子どもの世代には、和食のきちんとした形は、イメージとしてさえも伝わらなくなるというのである。
その話を聞いたとき、私は震え上がった。まさに自分のことだと思ったからだ。がんばって和食を作っているつもりでも、手抜きで食卓に並ぶ皿数は少ない。「ママの日本のお料理がいちばん」と言ってくれる子どもたちが、どれほど日本の食の伝統に連なっているか、まったくこころもとない。粉末のだしを使ってでも、具が「ふえるわかめちゃん」一辺倒になろうとも、味噌汁を作らなければ、とそのとき私は思った。
しかし、見方を変えれば、日本の国内で生活していても、現代人の生活を反映して、食生活はそこまで「伝統的」でなくなっているのだ。としたら、日本の子どもたちと外国育ちの子どもたちと、同世代で較べたら、「日本食」の伝統の継承度に、それほど大きな差はないかもしれないということにもなる。おせち作りを経験しないで大人になる子どもは、下手をすると日本でもマジョリティだったりしないか???
結局のところ、外国へ出なくても、子どもに伝統の何を継承させ、何を継承させないかは、実は現代の親の誰もが共有している問題なのだ。
「日本語」までもが、同じ道をたどっていると言う気はないけれども、ひょっとしたら日本の国の中にいるという安心感に甘えて国語を大事にしないと、外国育ちと大差なくなってしまわないとはかぎらない。
そんなふうにして、我が子たちが、日本育ちの子どもたちとあまりギャップがなくなるのは、私のような者にはありがたい面もあるが、でもやっぱり、そういう、「低いところでいっしょになろう」というような発想は、やめておくのが見識というものであろう。
日本の子どもはやはり豊かな日本語を誇り、外国育ちの子どもはなるべくそれに近づくようにして、「高いところ」でいっしょになるのを目指すほうが品がよろしい。ついでに日本の子どもの目が多くの外国に向かって開かれ、外国から来た子どもや帰った子どもも伸び伸びと自分の個性や能力が生かせるような、そんな日本の社会を夢想する。
中年になった我が子たちが日本人と食卓を囲みながら、「東京風のお雑煮は焼餅ですか」「京都は味噌を入れます」などという会話に混じって、「パリ風のお雑煮はね」と話す姿など想像してみると、おもしろい。
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中島さおり(なかじま・さおり)
翻訳家。学習院大学フランス文学科修士課程修了。87年に留学。パリ第三大学比較文学科博士準備課程修了。日仏を往復しながら、98年に再渡仏。フランスに20年近く滞在。通訳、翻訳、日本の雑誌に寄稿を続ける。著書『パリの女は産んでいる』(ポプラ社)は2006年、第54回日本エッセイストクラブ賞を受賞。現在はパリ近郊で、フランス人の夫と二人の子供と暮らしている。「ふらんす」(白水社)では、フランスの社会問題を紹介する記事を連載中。 |
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