(第十八章つづき)
それ以来、桜庭は自分でアイロンを当てている。たまに木曜日の夕方、りりかがキッチンにいると、
「テーブル使っていいですか」
と尋ねてくることもある。彼が生真面目に派手なハンカチを広げているのを見ると、りりかの胸がわずかに疼く。いいじゃん、面白くて。彼は本当に、そう思っているのだろうか。赤いハンカチをスーツのポケットから出すたびに、気恥ずかしい思いをしているのではないだろうか。それともただ手が拭ければいいと、もしかしたらりりかのハンカチをこっそり交ぜても気づかないのだろうか。
同時にまた、武藤もハンカチを使うたびに、先輩に申し訳ないと心の中で謝っているのだろうか。
でも私に、何が出来るというのだろう。りりかは男たちの不自由さに、そしてそれがお互いを思いやってこそのものだということに、羨ましさと痛ましさを同時に抱く。桜庭がじゃあお願いしますとハンカチを渡してこないのもまた、りりかを思ってのことなのだ。アイロンくらい、苦にはならないのに。それともいっそ、
「私やるわよ。一回百円ね」
などと言えばいいのだろうか。いいじゃん、面白くて。桜庭の、武藤の言葉が蘇る。
せめてアイロンくらい、かけてやりたい。りりかは何度か桜庭に申し出て、最後には、
「本当にお願いしていいんですか。ぼくとしては、ありがたいことですが」
と言わせることが出来た。
「何だかりりかさんの用事ばかり増えますね」
「でも重い物は買ってきていただいてるので、助かってます」
「重い物?」
「ワインとか」
桜庭は下を向いて笑った。
「それは重い物じゃなくて、好きな物でしょう」
「私だって飲むし」
「当たり前です。いい大人が、酒くらい飲まなくて、どうしますか」
りりかは、ふと不安になる。自分は、いつまでここにいられるのだろう。もうずいぶん慣れた歯科で働きながら男二人のために簡単な用事をして、夜には共に食卓を囲み酒を飲む。見知らぬ女からの電話や終始不機嫌な夫から解放されたこの暮らしは、あまりにも快適で、怖い。猫も、あれ以来ぱったりと出なくなった。
りりかは、決心したはずだ。一人で生きて行くと。しかしそれはもう、出来そうにない。もしも何かの事情で二人と暮らせなくなり、ごめんな姉さんのマンションは探したよと武藤に言われ、短い間でしたがお世話になりましたなどと桜庭に告げられたら。
りりかはまた、酒に溺れてしまうのだろうか。平日は何とか勤めに通い、食事の支度などはする気にもなれずにコンビニの弁当などで済ませ、淋しさを紛らわせようと休みの日は朝から酒を飲むようになるのではないか。
それとも、武藤が区切りを示した八年の間にりりかは強くなり、本当に一人で生きていけるようになるのだろうか。
大学生の時に一人暮らしは経験済みだが、いまのりりかにはとてつもなく高いハードルのように感じられる。二人の面倒は自分が見てやるなどと、思うこともあるのに。
「どうしました」
桜庭がりりかを見おろして尋ねてきた。りりかは黙って首を振る。
「悩みごとがあれば何でも聞くと、前に言いましたよね」
桜庭の口調は優しい。りりかはつい、彼を見上げる。
「私、ずっとここにいられるのかなって……」
「どうして?」
「武藤くんも桜庭さんも、いつかいなくなるんじゃないかって」
「まあヨシハルはもしかしたらそうなるかも知れませんが、ぼくは追い出されるまでいますよ」
「追い出されたら、どうしたらいいんですか」
「りりかさんは、ヨシハルが本当にぼくたちを追い出すと思いますか」
りりかは、虚を衝かれたような気持ちになる。自分は、武藤を信じているのではないのか。彼はりりかを裏切るようなことはしないと、桜庭の分まで誓ってくれたではないか。桜庭は、信じているのだ。自分よりも確かに、武藤のことを。りりかは急に恥ずかしくなる。
「……そう、ですよね」
「追い出されるというのは冗談ですから。ヨシハルがもしも結婚するようなことになったら、奴が出ていくでしょう」
「私と桜庭さんは、ここにいて、いいんですか」
「もう少し家賃を払いましょう。ぼくは、行くところも金もないですから」
桜庭は、眉間に皺を寄せた。
「ここだけの話ですが、ヨシハルはいま付き合ってる人とは、結婚出来ないと思います」
あの人妻のことだ。りりかは、黙って桜庭に視線を返す。
「義理の娘を裏切ることは、難しいんじゃないですか。旦那を裏切るよりもね」
「あの、それは武藤くんには」
「言わないですよ。だって奴は信じてますから、彼女の言葉を」
それは、桜庭の思いやりなのだろうか。それとも、ささやかな制裁か。りりかはぼんやりと考え、自分も彼に同意していることに気づく。
「とにかく、りりかさんは何も心配しないで。そして気になることがあれば、何でも話して下さい」
「桜庭さんは、優しいですね」
「とんでもない」
「どうして、ですか」
いつかの桜庭の問いを、今度はりりかがした。桜庭はりりかから目を逸らせ、少し黙った。
「りりかさんを見ていると、ここに来た時の自分を思い出します。それだけです」
桜庭はりりかの両肩に軽く手を置き、すぐに離すと立ち去った。りりかは、立ち尽くした。桜庭が階段を上がる足音が、耳に小さく届いた。
しばらく棒立ちになっていたりりかは、やっと我に返った。神経が擦り切れたような疲れに支配され、夕食の支度まではまだあるから少しベッドで横になって休もう、と思った途端、頭の中で猫の鳴き声がひときわ大きく響いた。まただ。どうして。りりかの喉が潰され、息が出来なくなる。りりかは、階段の前で床に崩れ落ちた。胸が、強い力で押されているように苦しい。ここに猫がいるのかも。りりかは胸をさすろうとし、腕が上がらないことに気づいて愕然とする。誰か。思っても声が出なかった。喉がどんどん狭まっていく感覚があり、思わず口を開ける。舌に載る空気がひどく重く感じられ、りりかは観念して頭を床につけた。伸びきった喉が、ますます苦しい。
大丈夫だから。りりかは自分に言い聞かせる。猫はりりかを殺したりしない。ただしばらく嬲っていたいだけなのだ。必ず居場所はわかる。だから落ち着いて。りりかは注意深く、右腕の肘から下を動かした。そろそろと胸をさするが、苦しさは収まらない。ここじゃ、ないんだ。りりかはみぞおちをさすり、下腹、腰と順番に掌で撫でる。
しかし、今日の猫はどこにもいなかった。締めつけられている喉に手を当てると、ほんの少し空気が通ったような気がした。ここだろうか。でもちっとも楽にならない。りりかは半ば諦めて、両手を床に投げ出した。いつまで、苦しいんだろう。それがわかれば、耐えられるのに。先が見えないことが、不安に拍車をかけた。もしかしたら今日が猫が現れる最後の日で、りりかは猫に連れられてどこかに行ってしまうのかも知れない。でもどこかって、どこに。猫は私を、殺しはしないはずなのに。
天井がいやに遠い視界の端に、男の足が映った。りりかは、顔を少し動かした。桜庭が、立っていた。いつもと変わらない、穏やかな顔つきだった。彼はいつかのように、両膝をついてりりかを抱き起こした。桜庭の太腿が、りりかの背中にあった。
「大丈夫ですか」
りりかは首を振った。声は出なかった。
「また猫が?」
首だけを動かしてうなずく。桜庭はりりかをじっと見つめた。
「あなたの中に本当に猫がいるなら」
彼はりりかの頭を掌で押さえた。
「ぼくが追い出します」
桜庭の顔が迫り、りりかは無意識に目を閉じた。桜庭の唇が、ゆっくりとりりかの唇に押しつけられた。柔らかい感触に、りりかは自然に口を開いた。前歯がぶつかる、小さな硬い音がした。
桜庭はりりかと唇を合わせたまま、長く息を吸った。りりかの舌の先が、桜庭の唇の縁に当たった。桜庭は待っていたように、りりかの舌を強く吸った。そんなことをしたら余計に息が、とりりかが思うのと同時に、喉が柔らかさを取り戻した。
こんなに強く吸われているのに、とりりかは半ば茫然としながら思った。桜庭のくちづけには、性的な匂いがまるでしない。温かい唇からは、慈しみと、そしていくばくかの悲しみが感じられた。りりかは、薄目を開けた。びっしりと詰まった長い睫毛が、間近にあった。閉じた瞼が、大きく張り出している。二重の線が深く横切り、その上下にも何本か細い皺があった。りりかは桜庭の年齢を意識して、また目を閉じた。
長いくちづけの後、桜庭は顔を離して静かに自分の胸を叩いた。
「猫は、ここにいます」
りりかは、桜庭の腕の中で放心して彼を見ていた。唇が、桜庭の唾液で濡れている。チョコレートのような匂いが、かすかにした。これは、猫がもういないという証なのだろうか。確かに、息は出来るようになったけれども。
「……本当に?」
桜庭はりりかの頭を撫でながらうなずいた。りりかは思わず、彼の胸に凭れた。
「桜庭さんは、大丈夫なんですか。……猫なんかいて」
「さあ」
桜庭はりりかを両腕で抱きしめた。
「もし倒れたら、りりかさんに助けてもらいます」
「私……」
「嘘ですよ。猫くらい、何でもありません」
水いりますか、と続けられて、りりかは桜庭の腕の中で首を振った。
「少しでいいので、こうして……いて下さい」
桜庭は満足そうに微笑んだ。
「りりかさんがぼくに頼みごとをするのは、初めてですね」
「……すみません」
「とんでもない。嬉しいですよ」
りりかは桜庭の胸に頬を当てた。彼の心臓の音に、追い詰められていた気持ちが次第にほぐれていった。桜庭は本当に、猫を吸い取ってくれたのだろうか。嘘でも、いい。ただいまはこうして、いられれば。頬に当たる桜庭の肋骨は、意外に太く感じられた。噛んでみたい。思いがけない衝動に、りりかは呆れて目を閉じた。桜庭なら簡単に承諾して、
「どうぞ」
とシャツのボタンを外すだろう。そう思うだけでまた、気持ちが緩むようだった。頼ってしまって、いいのだろうか。この男を。小さな迷いは、すぐに消えた。
りりかたちは、夕食時にはまずそれぞれが缶ビールだ。銘柄には三人ともさほど執着がなく、たいていはりりかと武藤が日曜日にベガタウンにある安売りの酒屋で適当に買ってくる。りりかと桜庭は毎日それを飲むが、武藤はたまに、
「飽きた」
などと言ってコンビニで自分用の違うビールを一本だけ買ってきたりする。
その日も武藤はコンビニの袋から缶ビールを出して冷蔵庫に入れた。りりかが料理をしながら首を伸ばす。
「あら、エビスだ」
「風呂入ってくる。飲むなよ」
「どうしようかなあ」
武藤は笑い、ふと真顔になった。
「本当は何でもいいんだけどさ」
どうしたの、という言葉をりりかは呑みこむ。武藤はほとんどエビスビールなど買わない。よほどいいことでもあったのか、と思うが、だとしたらりりかたちの分も買ってくるだろう。銀行で、何かあったのか。りりかでわかることなら聞いてやりたいが、とりあえずつまみを、と残り物に手を加えただけだが、武藤の好きな鶏肉と大根の煮物を温める。
案の定、風呂から上がって食卓に着くと、武藤は難しい顔つきになってエビスビールを自分でグラスに注ぐ。
「お先に。りりかも飲めよ」
「もうお皿並べるだけだから。先にやってて」
二人は、桜庭を待たない。初めは桜庭が帰るのを待って夕食にしていたのだが、彼の帰宅時間は微妙に前後して、そのうちに、
「二人で始めてて下さい。その方がぼくも気が楽ですから」
と言われて、りりかと武藤は先に夕食を摂るようになった。たいていは、桜庭も四十分くらいの遅れで帰ってくるが、やはりたまに十時近くなることもある。
武藤はビールをひとくち飲んで、りりかが料理を運ぶのを手伝ってくれた。皿を直接手に持ち、いちいち、
「あっ、うまそう」
と立ったまま子供のようにつまみ食いをしたりする。が、食卓の椅子に座ると、また眉間に皺を寄せて黙りこむ。テーブルに片肘をつき、つまらなさそうにビールを注ぐ。不機嫌とも不愉快ともどこか違うその顔つきを、りりかは何度か目にしてきた。高校時代の武藤の姿が、頭に蘇る。あの時は聞けなかったけど、いまは。いまなら多分聞いてやれる。だって私は、頼りになる妹なんだから。りりかは武藤の向かいに座り、なるべく普通の声を出した。
「どうしたの」
「何が」
「ここにこんな皺寄せてるわよ」
りりかは自分の眉間を擦ってみせる。武藤は、素直にうなずいた。
「おれ、来週からちょっと忙しくなるかも知れない」
「桜庭さんより? それは、ないか」
「あるかも。だから、りりかは先に寝てていいよ。めしは出しといてくれれば適当に食うから」
「そんなに?」
「ああ」
武藤はまたビールを飲む。太い首の、喉仏ががくんと動いた。
「まだ月末、とかじゃないわよね」
「検査来るらしいって連絡があってさ」
「検査?」
りりかはおうむ返しだ。
「あるんだよ、金融庁の検査ってのが。それで、資料作りとかで忙しくなるんだ」
「何を検査するの」
「銀行のやってること、何でもさ」
武藤はあまり語りたがらないようだった。りりかは、笑ってみせる。
「わかった。持ち物検査とかでしょ」
「みたいなもん。まあ、この商売やってるとしょうがないんだけどね」
りりかは小さな驚きと共に、武藤を見る。検査などというとくだらないとか面倒くさいとか言いそうなものだが、しょうがない、と受け入れている。自分も、おそらくは武藤も何となく高校時代の延長のような気持ちで暮らしているのだろうと思っていたが、彼はもう、本当に立派な、社会人なのだ。そして、りりかも。今度は、小さくはない淋しさがりりかを包む。どうしてだろう。それは、いいことのはずなのに。
「武藤くん」
「ん?」
「本当に脳内、十七歳なの」
「当たり前だろうが。でなきゃ、やってられるか」
武藤はやっと表情を和らげる。煮物を食べ、肩の力を抜いた。
「なあ。おれって、顔に出やすい?」
りりかも缶ビールをグラスに注ぎ、いただきます、と言いながら少し首を傾げる。
「そういう時と、そうでない時があるわね。私が離婚するって言った時は、全然びっくりしてなかったし」
「前にさ、先輩にお前はすぐ顔に出るからなって言われたことあるんだ。気に入らないことがあると速攻で帰るような人に言われたから、よっぽどなのかなって。まあ、気にはしてないけどね」
次々と料理に箸をのばす彼の顔に、険しさはもうない。
「先輩はやな奴とかいると、もう駄目なんだよね。飲み会の途中でも、金置いて帰っちゃうんだぜ」
穏やかそうに見える男だが、とりりかは不思議だ。
「あの人喧嘩しないけど、案外付き合い悪いから」
出来ることは自分でやります。ここに来たばかりの頃、桜庭に言われた言葉をりりかは思い出す。しかしこの間は、りりかに頼みごとをされて嬉しいと、確かに言ったのだ。りりかはふたつの台詞に、納得出来るようでも途惑ってしまいそうでもある自分を感じ、桜庭は自分に慣れてくれたのかも知れない、とやっと思う。
「武藤くんは付き合いいいけど、喧嘩もよくする?」
「うーん、かもな。おれ譲らない時あるじゃん?」
それは、人妻とのことを指しているのだろうか。
「りりかとは、喧嘩したことあったっけか」
「憶えてないけど、あるんじゃない」
「だよな」
話が高校時代に戻って、りりかはさりげなく切り出す。
「武藤くん、高校の時からたまに難しい顔してたわよ。ちょっと、話しかけにくいような。みんなは気づいてなかったみたいだけど、武藤くんも無意識だった?」
武藤はあっさりと首を振った。一瞬、真面目な顔になる。
「りりかは、気づいてた?」
「私がそう感じるだけなのかなって思うこともあったけど、でもやっぱり、普段とは違うって」
「さすが姉さん」
武藤は掛け時計に目を走らせた。もうすぐ、桜庭の帰る時間だ。
「おれ、中三の時に親父が死んだじゃん。最後に入院してからはもう家に帰れないってわかってたから、もちろんショックだったけど死んだことに関しては、何ていうか覚悟みたいなのは出来てた」
武藤がビールを飲み終えたので、りりかは飯を盛ってやる。
「サンキュ。でな、葬儀とか全部終わった時に、おれのことすごく可愛がってくれてた伯父さんに家の廊下の隅に呼ばれたの。これからはお前がこの家の大黒柱なんだ、まだ働いてなくても、お前がお母さんやお姉ちゃんを守る、何かあったらお前が出ていって収めるんだって気持ちでなきゃならないんだってね」
そういえば。りりかは高校時代を思い出す。武藤は時々自分のことを、
「父ちゃんはな」
などと言っていた。その時は彼に父親がいないことと特別に結びつけたりしなかったが、中学生でもうそんなことを言われていたのか。りりかは、彼が背負っている重い荷物を見たように感じる。
「おれ伯父さんのこと大好きだったから素直に信じてさ、何かあったらお袋と姉ちゃんの面倒はおれが見ないといけないんだって。でもそんなこと出来るのかなって、もし親父がいないからって姉ちゃんが結婚出来なかったら、おれが何とかしなくちゃいけないのかな、でもどうやってだろとか考えることがあって。その頃、考えても考えても答え出なくて、森に迷いこんだみたいな気持ちになることあったよ」
聞き入っているりりかに、武藤は少し笑った。
「おかしいだろ、ガキの考えることなんかさ。でもおれ、本当に大黒柱になるつもりで、大学も地元に残ったし、堅いとこ就職したし、お袋は全然元気で年金貰ってるけど、仕送りもしてるんだぜ。姉ちゃんの子供も、可愛がってるし」
艶のある声が、りりかの耳に響く。あの表情は。りりかは思う。自分の勘違いではなかったのだ。武藤は独りで悩んで悩んで、自分よりも年上の家族の心配をしていたのだ。この男は、よく人の心配をしている。それは中学三年生で大黒柱になれと言われてしまってから彼が背負っている、荷物の正体なのだろうか。
りりかは思う。武藤は、心配されたいと願わないのだろうか。それともあの人妻が、彼を手厚くケアしているのだろうか。
「たいした話じゃないから、人に言うなよ」
「桜庭さんにも?」
「ああ」
「どうして」
「別に。聞かれないし」
まただ。それがお互いのためだと、二人は思いこんでいるのだ。そんなの水くさい。りりかは少々勢いこんで言う。
「悩みごととかあったら、何でも話して」
誰かに言われた言葉だ。りりかは気づき、それが桜庭だと思い出して途惑う。
「おれの悩みは、姉さんもう知ってるだろ」
武藤はりりかの返事を待たずに、茶碗を差し出してきた。りりかは受け取り、自分には親身なアドバイスなど到底出来ない、とやりきれない気持ちで席を立つ。
「ちょっと多めで頼む」
武藤の調子は、もう普通だ。炊飯器の前で、りりかは一瞬立ち尽くす。
※今回で「私たちの屋根に降る静かな星」の連載は終了いたします。
ご愛読いただき、ありがとうございました。
本連載分に書き下ろし原稿を加え、後日刊行予定です。
詳細は改めて告知させていただきます。
